ケネディー空港隣接のホテル。午前5時前に目覚める。
前日ロンドン経由で当地に着いたのが午後10時過ぎであった。到着後、入国審査場の混雑を避けるために20分ほど機内に留め置かれ、更に厳格な入国審査を通るのに1時間ほど待たされた。(順番が来ると、1分で通された) 何だかんだで、日付が変る頃ホテルに着き、床に着いたのが1時半を過ぎていた。ぐっすり眠り、「寝過ごした」と飛び起きたのが午前3時前。再び眠り、再び飛び起きたのがこの時間である。
眠れないのは時差のためか。それとも、コンコルド搭乗に興奮しているためか。思えばコンコルドへの憧れは、デモ・フライトで来日した試作機をTVニュースの映像で見た時から続いている。当時はまだ小学3年生であった。何時しか乗ってみたい、と幼心に思ったものである。ついにその夢が実現するのだ。興奮しない訳がない。
出発予定時刻は午前9時。7時にホテルを出て、朝食は専用ラウンジで取ればよい。後は空港ロビーを見て回れば、十分楽しめるであろう。そんな考えから、目覚ましとモーニング・コールは6時にセットしておいた。しかし1時間半周期で目覚めていることから考えると、ここで再び眠ると快適な睡眠が妨げられる。その結果、コンコルド機上で暴睡となるのは何としても避けたい。ならばと、このまま眠らず、予定を30分繰り上げることにする。
ホテルの送迎バスに乗り、空港に着いたのは7時前。BAのカウンターには既に列ができている。しかし、便名を見ると別便である。奥に進むと、コンコルド専用のカウンターを発見。自動ドアによって別室となっている。直にチェック・インをする。朝の挨拶を交わし航空券を見せると、「到着が遅れたため出発は3時間遅れる」と告げられ、BAからの「詫び状」を渡される。こちらとしては遅れても全く構わない。むしろ「詫び状」という「お宝」を得られて喜んでいる。ただ、欠航になるのは困る。そんな心中を察したのか、「遅れても絶対飛ぶから心配ご無用。ラウンジでゆっくり朝食を召し上がれ」と言う。カウンターの係員氏は、背の高い細身の紳士である。媚びたところはないが、近寄り難くもない。適度な距離を保ってくれて心地よい。言葉を発すると、その後に必ず「ミスター」をつけて苗字を呼ぶ。
手荷物は、身の回りの品(カメラと飛行記録用紙を挟んだクリップ・ボードなど)が入った肩掛け鞄と、着替えなどが入った小さなボストン・バッグの2つ。両方とも機内に持ち込むことが可能だが(実際前日は機内に持ち込んだ)、専用タグが欲しいのでボストン・バッグは預けることにした。すると背後に控えている保安係員(?)について行き、手荷物検査を受けるようにと言われる。搭乗券を貰い、荷物を持った係員に従う。半分壁で仕切られた隣室に入ると、巨大な検査機がある。ロッカビー爆破事件を受けて導入が叫ばれた最新式の検査機であろう。プラスチック爆弾も発見できるという代物であろう。定かではないが、X線ではなく中性子線を使用するとの記述を、その頃読んだ記憶がある。この機械を撮りたかったが写真撮影は禁止されている。仕方がなく涙を飲む。不審物は何ら発見されず(当り前か!)、先程の保安員氏が手荷物を受け取り、ベルトコンベアーに乗せ、検査の終了を告げる。この厳しい保安検査も、国家の威信を体現するコンコルドならではであろう。現在の悲しむべき国際情勢を考えれば、蓋し当然であろう。
ラウンジに向かうと、もう一つ関門が控えていた。機内持ち込み手荷物と身体の検査である。そこでは手荷物だけではなく、ベルトや靴も検査機にかけられた。更にポケットの中のものも一緒に検査するから全て出せとの仰せである。胸のポケットに入っているタバコ、ライター、ペン、ハンカチ、そして腕時計も備え付けの箱に入れる。ズボンのポケットに入っていたドル札数枚も出そうとすると、係官はにやりとして、「それは不要」と言う。5セント玉も一枚入っていたので、「これは出すのか」と尋ねると、今度は頷く。どうやら金属探知ゲートを不要に鳴らさない措置も兼ねているようだ。前にいた女性の手荷物に何らかの反応があり、止められた。彼女はウンザリしたような表情で、係官の目による検査に応じて鞄の中身を出している。私のものは幸い何の反応もなく済んだ。ベルトをつけ、靴を履いてラウンジに向かう。
(2003.08.25. 記)