コンコルド搭乗ノート    搭乗前

 厳しい保安検査を抜け、専用ラウンジへ向かう。3時間遅れだと出発は12時頃である。ここはしっかり朝食を摂っておくべきだ。しかし、あまり運動しないので、腹八分目にしなければならない。さもないと、音に聞く豪華な機内食に差し障る。そんなことばかり考えながら歩くこと2〜30m。左手に専用ラウンジの入り口が見える。傍らには、「これより先コンコルド搭乗者のみ」の立て札がある。

 ドアをくぐると、受付がある。搭乗券を見せると、「ご機嫌いかが?」と微笑まれる。「良好。天気も同様に良好ならよいのだけど」と応じる。「そうね」とまた微笑まれる。夜中に雨が降ったらしく、空港への道は濡れていた。雨こそ降ってはいなかったが、空は一面雲に覆われていた。

 奥へ入ると広々とした空間が広がる。日本の3DK4〜5軒分の広さか。あるいはもっと広いかも知れない。朝食用ビュッフェ兼バーカウンターと12ほどのダイニングテーブル、1人がけソファーが7〜80脚ほどある。また、所々に電話が置いてあり、TVも一台「フォックス・ニュース」を映していた。既に2〜30名ほどが集まっており、ダイニング・テーブルは満席である。一先ず、ラウンジを一回りする。ダイニングの傍に、コーヒーなどの飲み物と新聞が数紙置いてある。コーヒーと、「ニューヨーク・タイムズ」と「ザ・タイムズ」を取り、ソファーで時間を潰す。英紙は前日11日付である。一面によると、10日ケント州グレーヴセンドで華氏100度(38℃)を記録したとのこと。10分ほどで、ダイニング・テーブルに空席が目立つようになった。

 早速、席に着く。係員が来て、純白のテーブルクロスを取り替える。それぞれのテーブルには、白い生花が一輪、コップに活けてある。ビュッフェ形式になっており、各自好きなものを取る。スクランブル・エッグに、ベーコン、ソーセージ、そしてマッシュルームと英国式朝食にする。カウンターでは紅茶を頼む。「何にする」と尋ねられたので、「アール・グレイ」を頼むとすぐに入れてくれた。ここの係員は、米国人であろう。非常に気さくである。英国式洗練に漂う一種の緊張感が、一時的に緩む。

 朝食を終えると、喫煙室に入り一服。6畳間を二つ長くつけたような空間に、他は誰もいない。至福の時である。一隅に、ブランディー、ウィスキー、水、氷がグラスとともに置いてある。水を飲む。後ほど再び入った際には、ブランディーをいただく。その時は、紙巻ではなく、葉巻が欲しくなった。

 8時前、ラウンジを出て搭乗ロビーを散策する。第4ゲートには「アリゾナ・ダイヤモンド・バックス」塗装のアメリカウェスト機が駐機している。早速撮影。更に奥に進むと、なんと、第6ゲートにコンコルドが駐機しているではないか。周囲には電源車などが取り巻く。燃料も注入しているようだ。外から見える範囲では、機体にトラブルがある様子はない。もしかすると遅れを少し取り戻すかも知れない。

 機首はボーディングブリッジの背後にあり、全体は見えないがとりあえず写真をとる。そしてレジの確認。密かにG-BOACを期待している。伝説の航空会社名(BAの前身)と同一レジへの憧れである。肉眼で見ると、そのレジに見える。胸の高鳴りを感じる。念の為カメラの望遠で確認すると、末尾の文字は"C"ではなく"G"であった。残念。しかし、今はレジよりもマッハ2が優先である。

  

 売店で航空雑誌、ガム、喉飴(「夏の労働強化月間」のせいで、声がかすれていた)を買ってラウンジに戻る。途中出発案内を見ると、予定時刻は12時のままである。ラウンジ内を少し歩き、すぐ傍に駐機しているアメリカウェストのA320を撮る。すかさず、暇を持て余した乗客が、「それはコンコルドではないって知ってるかい」などと声を掛けてくる。「こいつならコンコルドより早く着くだろう」と切り返す。周囲に爆笑の渦。暫し彼らと話し、再び喫煙室へ。

 そこで暇つぶしのちょっとしたアイディアが浮ぶ。早速ラウンジの受付嬢のもとへ足を運ぶ。「機長への伝言があるのだが」と深刻そうな顔で話し掛ける。「機長のお知りあいですか」と尋ねられる。「いや、そうじゃないんだ。でも、遅れを取り戻す良い考えが浮んだのでね。」と返す。非常に興味深そうに、しげしげと見つめられる。「3時間遅れということは、時間が4分の一しか残っていないと言うことになる。ということは、マッハ8、つまり4倍の速さで飛べば良い。」と続け、にやりとする。2人の受付嬢も、「マッハ8!良い考えね」と笑ってくれた。彼女たちがこの考えを、機長に伝えたか否かは不明である。

 彼女たちに見送られ、再び出発ロビーへ。搭乗機の出発準備の状況を眺める。既に出発予定の9時を回っているが、先程と状況は変っていないようだ。出発案内も12時発を伝えたままだ。搭乗口を見ると、隣の5番ゲートは全日空が使用するようだ。窓越しに見ると、既に全日空機が駐機している。そう言えば、出発ロビー内に日本人らしい姿を良く見かける。 

 再びラウンジに戻り、喫煙室へ。ここの顔ぶれも変らない。皆暇そうだ。ある意味で贅沢な時の過し方である。喫煙席を出て、ソファーに座る。最後に時計を確認したのは、10時50分頃であった。窓の外を眺めていたが、知らぬ間に眠っていた。時計を見ると11時20分前である。30分ほど眠っていたことになる。暫し夢見心地で居る。親子連れ(夫婦、赤ん坊、小学5年生くらいの女の子と3年生くらいの男の子)が記念撮影している。

 再び喫煙室に入る。顔なじみの連中が黙々と紫煙を燻らせている。20台半ばの日本人夫妻。50がらみの米国人夫婦。夫人の方は小型ゲーム機に夢中である。職場に何度も電話している一癖ありそうな男。ぬいぐるみを抱いた30近そうな、長身の美女。などなど・・・そしてついにその時が来た。天井のスピーカーから搭乗案内が響く。「お待たせいたしました。第6ゲートより搭乗を開始します。出発時刻は12時。ロンドンまでは3時間17分の飛行です。ロンドンは晴。気温は華氏90度(32℃)。」気温にどよめきが走る。吸いかけのタバコを噴かして、ゲートへ向かう。受付嬢に挨拶して、にこやかに見送られる。

 窓越しにもう一度搭乗機を見る。確認しただけでも4時間近くここに駐機していた。コンコルドでは、かなり入念な出発準備をするのであろうか。確かに他の機種にはない複雑なシステムを持つので、チェックに時間を要するのかも知れない。それとも他の航空機などへの影響を配慮して、出発時間を調整したのであろうか。謎である。

 搭乗口に着くと、隣の全日空機も既に搭乗を開始し長い列ができている。彼らの視線を集めながら進み、係員に搭乗者照会のためパスポートを見せ、搭乗券を渡す。ボーディングブリッジを渡ると、コンコルドの小さなドアが口を開けて待っていた。

(2003.08.28. 記)

 

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