小さなドアの傍らに立つ女性客室乗務員が、にこやかに乗客を迎える。彼女の背後にある棚の上には、深紅のバラが並べられている。乗り込む前に、ボーディング・ブリッジについた窓から機首を望む。先端はまだ下げられてはいないようだ。ヴァイザーは良く見えない。写真撮影を考えたが、ガラスに金網が入っており、これでは焦点が合わないと思い止まる。
ついに、コンコルドに足を踏み入れる。小さなドアに頭をぶつけないように気を付けなければならない。先の客室乗務員と挨拶を交わす。機首方向を見ると操縦室のドアが開いており、操縦士が入念に計器類をチェックしている後姿を覗く。
機体後方に向かい歩を進める。指定された座席は後方キャビンにある21Bである。道すがら出会う乗務員と挨拶を交わしながら、機内を見渡す。多くの著述にあるように狭く感じる。特に革張り座席の幅が非常に狭い。また、通路も幅が50cmほどである。しかし、意外にも背を屈めずに歩くことができる。私の身長は181cmあるが、測ってみると指4本分の余裕がある。靴の踵まで含めると、床から天井までの高さは192〜3cm程か。
座席の位置の至る。機内に持ち込んだ鞄を頭上の収納庫に入れる。やはり、これも小さくできている。縦方向にすっぽりと入ったので、奥行き40cmほどである。横幅は50cm、深さは22〜3cmであろう。差し詰め必要な、銀塩カメラと飛行記録用のクリップボードを持って着席。デジカメはベルトサインが消えてから取り出すことにする。座ってみると、意外や圧迫感はあまりない。昨夜ニューヨークまで乗った、B747-400のエコノミークラスよりは開放感がある。ただ、昨夜は満席の上、機体ド真ん中であったのだが。シートポケットを探ると、安全のしおり、通常の機内誌、これまた昨日と同じゲロ袋の他、コンコルド専用の機内誌とショッピング・カタログが入っている。後でゆっくり目を通すことにする。
周りを見渡すと、まだ2割方しか席が埋っていない。こちらへ向かってくる乗客も疎らである。多分前方キャビンで「渋滞」が起きているのであろう。右後方、22C・Dに陣取った、米国人と思われる夫妻が記念写真を撮ろうとしている。カメラマンを買って出る。暫くすると、隣席の乗客がやってきた。エジンバラ在住者で、かなりのマニアのようだ。コンコルドはこれで2度目だそうだ。ただ、一回目はロンドン−エジンバラの体験飛行で、音速を突破しなかったとのこと。飛行中彼との話が盛り上がり、このフライトを忘れ得ぬものとしている。
音に聞く「マッハ計」をキャビン前方に探すが、見当たらない。前方の壁には、ただ「コンコルドへようこそ」と黄色い文字で書かれた黒地のステッカー(の様に見えた)が見えるのみである。あたりを必死に見渡すも、それらしいものは影も形もない。多少落胆するが、飛上がったら何処かからでてくるかも知れない、と思い直す。右側の窓からは、隣のゲートに駐機していた全日空機がプッシュバックされるのが見える。私が乗っていたならそうするように、きっと何人かの乗客がコンコルドを撮影したことであろう。
気が付くと、いつの間にか座席が埋っている。見える範囲では満席である。12時18分(米東部夏時間。この章内以下同じ)、囁くようにエンジンが回り始める。意外と静かな音である。同時にベルトサインが点灯し、機長からのアナウンスがある。内容は概ねラウンジで聞いたものと同じであった。12時19分、プッシュバックされる。既にプッシュバックを終えた全日空機が、右手に佇んでいる。どうやらこちらが先に上がるようだ。
12時22分、非常時対処法のデモンストレーションが始まる。映写やビデオの設備のないコンコルドでは、懐かしい客室乗務員の実演である。説明のアナウンスは、昨日B747-400機上で見たビデオとほぼ同じである。むしろ、モノクラス構成のためクラスによる違いが省かれる分、簡潔に終了した。高速・高高度飛行ならではの対処法が示されるかとの期待は、空振りに終わった。コンコルドもやはり旅客機なのである。
これに関連して。ドアクローズとプッシュバックの間に、乗務員が「安全のしおり」を配布していた。よく聴くと、「シート・ポケットにない方は、お申し出下さい」と言っている。先述の通り私の席には予め入っていたが、多くの座席には入っていなかったようだ。どうやら、搭乗記念に持ち帰る乗客が多いらしい。その気持ちは痛いほど分るので、持ち帰った乗客を非難するつもりは全くない。しかし、「機外持ち出し不可」と印刷された「安全のしおり」を、私は持ち帰る気にはなれなかった。
12時24分、エンジン音が少し高まり、自力走行が始まる。他の機種と比べて少し遅い感じがする。誘導路が混んでいるのだろうか。あるいは、窓が小さいが故の錯覚か。窓は、よく言われるように葉書大である。日本の官製葉書を一回り大きくした、外国の絵葉書サイズと言えば、お分りいただけるであろうか。二重窓の内側は通常の航空機と同じくらいの大きさなので、機内から見るとあまり小さいと言う感じはしない。
途中、空港外周を走る自動車が一台、我々を抜き去るように見える。ちょうどその時、ベルトの確認のために、ブルース・ウイルス似の乗務員が通りかかる。すかさず、「この機体は何処か故障しているのではないか」と尋ねる。彼は真顔で、「そんなことはないので、ご安心を」と応じる。「今見たんだが、自動車がコンコルドを追い抜くとは信じられない」と言うと、ブルース・ウイルス氏は苦笑。礼を失しないためか、少し声を出して笑う。
12時31分、RW22Rに正対して停止。いよいよ離陸である。暫しの静寂。乗客は皆、息を潜めているようだ。すると突然、今まで聞いたことのないようなエンジン音が静寂を破る。高い金属音とともに、重低音が空気を震わす。胸の鼓動が高鳴っている。他の乗客も皆そうであろう。客室中から、歓声とも呻きとも分らぬ声があがる。一瞬、ケロシンの燃えた臭いが客室に漂う。
12時32分30秒、離陸滑走が始まる。座席に押しつけられるような加速感を伴うとの記述を読んだことがあるが、そんな感じはしない。33分11秒、機体は大地に別れを告げる。翼から激しくヴェーパーが出ている。急な機首上げ姿勢をとっているはずだが、それも感じない。後刻入手した資料によると、離陸上昇時の迎角は13度となっていた。最大迎角は18度とのこと。その他の離陸データを以下に示す。
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離陸直後から、機体は急な左旋回をする。離陸後49秒ほどで、海岸線の横切り海上に出る。翼のヴェーパーはまだ続いている。離陸のために折り曲げられていた機首先端は、既に戻されているはずである。その時機首上げの力が働くはずと思っていたが、姿勢の変化に伴う揺れは感じなかった。コンピューター制御の賜物か。5度の角度ではあまり影響しないのか。旋回したことでそれを感じなかったのか。空力中心に近いからか。それとも、私が鈍感過ぎて感じなかったのか。謎が残ってしまった。
視線を窓から前方へ移すと、先程はなかったマッハ計と高度計が数値を刻んでいるではないか。暫し呆気にとられたが、「コンコルドへようこそ」と出ていたのはステッカーではないと気付いた。電光表示だったのである。前方に座る乗客の頭でちょっと読み難い。音速突破(マッハ1)とマッハ2の瞬間が見られるか不安になる。
12時38分、つまり離陸後5分ほどしてシートベルト着用のサインが消える。機体は順調に加速、高度を上げている。音速突破の時が、刻一刻と近付いている。
(2003.8.31. 記)