コンコルド搭乗ノート    到着後

 機体が停止しベルトサインが消えると、気の早い乗客が席を立って出口へ向かう。到着が遅れたので、急ぎの用があるのなら尚更であろう。いつもはのんびり構え、できれば一番最後に降りる私も、通路の流れが途絶える隙を突いて席を離れた。ただ、向かったのは出口へではない。休暇の暇な旅である。一刻一秒を争う必要など全くない。通路に出ると、後方のギャレーへ向かったのである。

 その目的は、乗務員のサインを貰うためである。実は飛行中に、到着時に宜しくと話をつけておいた。手には一冊の本を持っている。3年前にインターネットを通じて購入した、"Flying Concorde" である。搭乗が決まった時から、この本にサインを貰うと決めていたのである。タイトルがそのものズバリであるので良い記念になる。更に乗務員の人数確認には、全員のサインを貰うに限る。

 対応してくれたのは唯一の男性客室乗務員、ブルース・ウイルス似の彼である。話していると、親しくなった女性乗務員も2人寄って来た。感激を二言三言話し、要点に入る。表紙をめくり、左ページが空白、右ページに本のタイトルが印刷された所を開き、全乗員のサインをと頼む。すると、こちらの意図を正確に汲み取ってくれ、彼は、「左に客室乗務員、右にパイロットで良いか」と提案してくれた。素晴らしいアイディアでる。その通りにお願いした。すると、ドアのところで待つように言われ、その言葉に従う。

 席に戻るべく来た道を戻ろうとすると、既に渋滞を起こしている。流れに従い自分の座席の一つ後ろに辿り着く。まだ隣人は座席に座っていた。一つ後ろの座席に座り、彼と別れの挨拶をする。堅い握手。彼に道を譲り、頭上の収納庫から荷物を取り出す。座席に置いたカメラなどを鞄に詰め込み、出口へと向かう。途中、まだ超音速飛行の余韻に浸っているのか、座席を立たない乗客が数人いた。彼らもコンコルドと別れ辛いのか。

 ドアの外、左側には青い封筒を持った女性が立ち、乗客一人一人に渡している。中には白黒の写真(AB版・・・平たく言えば、日本の某航空雑誌と同サイズ。写っているのはG-BOAF)と同じサイズの搭乗証明書が入っていた。右側に目を移すと、20名ほどの行列ができている。何かと思えば、操縦席を訪れ、搭乗証明書に機長のサインを貰うためである。勿論私も列に加わった。多分既に何人かは、操縦席訪問を終えているであろう。また、私の後ろに6人が連なる。ということは、到着後30人ほどが、操縦席を訪問することになる。このことは、時間を切り詰めるためではなく、コンコルドそのものを目的とした乗客が数多く乗っていたことを物語る。

 私の後ろに並んだのは、見覚えのある英国人夫妻である。ニューヨークのラウンジで居眠りした時、向かいの席に座っていた。また、喫煙室でも顔を合わせている。「どこから来たのか」と尋ねられたので、「日本から」と応える。すると、この間「日本に行った。素晴らしかった。」と返答する。その後、日本に印象や家族の話(息子がカナダとオーストラリアにいるとのこと。恐るべし、英連邦。)等など、会話が弾む。

 その会話が一段落つくと、例の本をこれまた顔馴染の女性客室乗務員が持ってきてくれた。サインを確認し礼を述べる。列に戻ると、周りが何事かと覗き込む。皆面白がっているようだ。

 列が半分位になった頃、機内から制服を着た年配の男性が降りてきた。肩には4本線が入っている。機長である。出発準備、フライト、サイン会と休む暇もなかったのか、とても疲れた表情である。他の乗客は、彼が機長と気付いてはいないようだ。あるい気付いても、彼の疲労を慮ったのか。捕まえて、いろいろ話を聞きたかったのだが、もし私が話し掛けると、行列を作る乗客も彼を放さないであろう。ここは武士の情け。話したい衝動を抑えて、操縦室までの順番を待つことにする。

 前方から、2人ずつ操縦席に入る旨が聞こえる。数を数えると、私は7番目に並んでいる。後ろは夫妻である。彼らに先を譲る。その次に控えているのは、これまた50代後半と思える夫婦連れである。しかも日本人の。勿論彼らにも先を譲る。これで後から3番目になった。後の2人も友人同士のようである。先を譲ろうとすると、構わないとのこと。そのままの位置で並ぶ。すると、先の日本人夫妻が話し掛けてきた。予定ではパリに宿泊することになっていたが、乗り継ぎができないのでロンドン泊にするとのこと。これからBAとの交渉が待っているらしい。彼らもやはりコンコルドが大きな目的だったようである。レジなどを聞かれ、暫しコンコルド談義に花が咲いた。

 操縦席から戻ってくる乗客は皆、満足げでにこやかな表情をしている。マッハ2を体験し、操縦席まで見られるのである。航空マニアでなくてもこれ以上の喜びはないであろう。皆人生最高の時の過したのであろう。それを物語る表情である。

 ついに順番が来た。ペアを組む英国人青年に先を譲り、傍らに佇む乗員と少し話す。操縦席に目を移すと、駐機スポットの灯火が窓枠を浮かび上がらせる。ヴァイザーは上がっているようだ。その下には沢山の計器が色とりどりに浮かび上がっている。M字型の操縦桿も見える。やはり機長はいなかった。3本線の肩章をつけた副操縦士が右側の座席に座り、英国人青年と話している。話が終わると、彼は何処からか小さな熊の縫いぐるみを取り出し、スロットルの上に置いて写真を撮る。縫いぐるみを支えるのは、勿論パイロットである。乗客は皆各々、それぞれの趣向でこのフライトを記念するのである。また、乗員も精一杯サービスに努める。やはりコンコルドは誰にとっても特別な存在なのだ。BAもそれを十分理解している。着陸後、ターミナルへ向かう時にされた機長のアナウンスもそのことを示している。「本日はご搭乗ありがとうございました。コンコルドは10月に退役しますが、それまでに再び皆様をお迎えできることを心待ちにしております。また、これが最初で最後のコンコルドでの旅になられる方々には、人生で最良の経験の一つに数えていただければ光栄です。」

 

 件の英国人青年が狭い通路をとおり、操縦室を後にする。彼をやり過ごし奥へ進む。操縦室の入り口には大きく機関士のパネルが迫り出している。細かい計器やスイッチの類がびっしりと並び見る者を圧倒する。暗いので一つ一つは判別できないが、複雑なシステムを備えていることが良く分かる。パイロットと挨拶を交わし、先ずは搭乗証明書にサインしてもらう。かなり疲れているように見えたが、努めてにこやかに対応してくれる。訊きたいことは山とあるが、ここは2〜3に質問に絞り込んで感謝の念を示そう。尋ねたのは、先ず、ケネディー、ヒースロー両空港での利用滑走路である。これは飛行記録に載せるためである。次に頼んだのは、INSデータインプット用のカードを見せて欲しいということである。サインを書いてもらった例の本によると、操縦パネルにはそのカード・リーダーが備えられており、データが記載されたカードを挿入することで飛行経路が自動的にインプットされるという。そのカードを写真に撮りたかったのである。するとパイロット氏は、座席後方に置かれたダンボール箱の中を探ってくれたが、残念ながらそのカードは見つからなかった。しかし、離陸情報を記入した紙を見つけ、持って行けという。思ってもいなかった幸運。ありがたく頂戴する。この感激で、訊きたかった数々の質問が何処かへ飛んでいってしまった。ここらが潮時であろう。礼を述べ握手を交わして、操縦室を辞す。

 再度乗務員に見送られて、搭乗機を後にする。ゲート番号を控えなかったのは、残念なミスである。それだけ気分が高揚していたのであろう。入国検査に向けて歩を進める。途中年配の日本人夫妻に追いつく。なにやら別のゲートへ向かう方向を見ている。如何したのかと声を掛けると、大きく開いた窓からコンコルドの機首が見えるとのこと。指差す方向を見ると、白い機首が灯火に照らされて、暗闇に浮かび上がっている。これは是非とも写真を撮らねばならない。カメラをガラスに押し付ければブレることもあるまいと、ファインダーを覗く。ここからの角度では、機体は中央にこない。しかし、何とか画面には収まるようだ。とりあえず1枚撮ってみる。まずまずの出来である。この1枚で満足する。ただ、心残りなのは、機体全体を撮影できなかったことである。しかし飛行体験を考えれば、差し引いてもあまりある。機体に最後の別れを告げ、その場を立ち去った。最大のハイライトは終わったが、休暇はまだ続くのだ。

(2003.09.06 記)

 

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