機上の空論

 成田開港30周年

ちょうど30年前のこの日、日本航空のDC-8が成田空港に着陸しました。成田空港の開港です。時は流れ、世の中が変動するとともに成田もその姿を変えつつあります。当初1つだったターミナルや滑走路も2つになり、乗り入れる航空会社も増えました。

また、飛来する航空機も世代交代が進んでいます。「成田と言えばB747」と言われるほど、世界中から「ジャンボ・ジェット」が集まってくるその姿は、「成田は大量輸送時代の申し子」と言っても過言ではないでしょう。正に成田はB747が築いた空港です。近年、そのB747の数が減り、一抹の寂しさを感じている方も少なくないと思います。

しかし、成田の歴史を語る上で避けて通ることができない航空機があります。残念ながらB747程の派手さは無く、ある意味で地味な存在ではありますが、開港直後に使用していた乗り入れ会社の数は少なくはありません。思いつくまま列挙してみましょう。

中には、今では見られない懐かしい名前がありますね。さて、その航空機とは、DC-10です。L−1011(トライスター)との熾烈な販売合戦は、今なお語り草になっています。日航や、ノースウェスト・オリエント、フライング・タイガー、そしてパンナムのB747に混ざって、垂直尾翼をエンジンが貫くそのスタイルは異彩を放っていました。

中でも欧州から遥々南回りで飛来していた(SASとSABENAは北回り)ことに、時代を感じます。今では欧州までノンストップで飛ぶことが当たり前になっていますが、当時は、アンカレッジ経由の北回り、と東南アジアから中東の幾つかの空港を経由する南回りが主流でした。モスクワに立ち寄るシベリア便もありましたが、冷戦真っ只中の時代、英国航空とエール・フランス、そしてルフトハンザがB707で、日航とSASがDC-8で週1〜2便(日航はもう少し多い)を運行していたに過ぎません。(アエロフロートのIl-62も忘れてはなりませんが、地理的な位置から接続便と考えたほうが良さそうなので、対象外とします。)

そうそう、日欧間のノンストップ便を開拓したのもDC-10でした。1980年代の前半、フィンエアが燃料タンクを増設したDC-10-30ERを導入したのが始まりです。そのルートは、現在のようにシベリア上空を飛行するのではなく、アラスカ上空を経て北極回りでヘルシンキと成田が結ばれたのです。当時このニュースを聞いて、非常に驚いたことを、今でも鮮明に覚えています。

そんなDC-10も、現在の成田では殆ど姿を見られません(派生型のMD−11は除く)。唯一の定期便がアエロフロートの貨物機であるという事実に、時代と皮肉を感じます。



最後に欧州各社のDC-10を並べてみました。勿論模型です。開港当時の塗装でと思ったのですが、SASだけは予算の都合で(笑)80年代半ばからのものになってしまいました。この色の時に結構お世話になったので、個人的には思い出のライン・アップです。

(2008・05・20 記)


トップへ     「機上の空論 目次」へ