機上の空論

機内サーヴィスあれこれ  変革

 

 1989年11月にベルリンの壁崩壊する前後、国際情勢は大きく変化しました。東西ドイツの統一、ソ連を始め東欧共産主義体制の崩壊、湾岸戦争、バブル崩壊、更にはインターネットの普及など、ここ十年ほど人類は歴史の大変換を経験してきました。

 民間航空の世界でも、1989年ごろを境に大きな変化が生じています。例えば、米国で始まった「マイレージ・サーヴィス」もこの時期に始まり、今では世界中の航空会社に広がっているのは周知のことと思います。私が「マイレージ・サーヴィス」を初めて知ったのは1988年8月、ユナイテッド航空機上でのことでした。残念ながら、眠りたかったので無視してしまったのですが・・・

 前置きが長くなってしまいましたが、この頃機上では2つの小さな変化が起きました。常に飛行機に乗っているわけではないので、それが起きた正確な時期は判りませんが、重箱の隅を突付く視点で発見したこの変化を見てゆきましょう。

1.砂糖の量が減少
 先ずは右の映像をご覧下さい。いずれもSAS機上で出された砂糖ですが、一番左だけが小さくなっています。1985−86年にかけて、欧州系(エールフランス、SAS、イベリア、アエロフロート)の航空会社で出された砂糖は10gが標準でした。それが1989−90年ごろには5g前後が標準になったようです。米国系でも、1986年より1989年には砂糖が減量されていました。(量が印刷されていないので正確なことは判りませんが、「目分量」で3gほどになりました。)
 世界的な健康ブームや、環境保全のためのゴミの減量がその原因として考えられますが、経費削減の意味も大きいと思います。砂糖の値段だけではなく燃料費の節約にもなります。スタンリー・スチュワート著「ボーイング747−400の飛ばし方」によると、「機内で配る小さなコーヒーの砂糖袋でも運びつづけると、計算上は年間一ガロン(ただし英ガロン。約)四.五リットル)余計に使うことになる。」とあります。(この数字はたぶんロンドン−ニューヨーク線での数字でしょう。)この一袋を今の5gと仮定し、1フライとあたり600袋(3袋×200人)とすると、この減量で年間2700リットルの節約になります。

    

 

2.固形石鹸が消えた
 同じ頃機内の洗面所から石鹸がなくなりました。これも砂糖と同じ理由だと思います。上の日航とエールフランスのものは12gあります.イベリアのもほぼ同じ大きさで、SASはそれより少し小ぶりです。全て1984−86年のものです。1986年に乗ったノースウエスト機内では既に石鹸はありませんでした。
 ただ、石鹸については固形のものは使いにくい面もあります。つまり、10g以上の石鹸を一度の手洗いで使い切れないのが実情でしょう。かといって、誰かが使い残したものを順次使うとなると現実的ではなくなります。これらの事情を総合的に考えると、液体石鹸に取って代わられたのは止むを得ないことでしょう。ただ、フィンランド航空では1990年にも固形石鹸が使われていました。(下)

 結論としては、「昨今の世知辛さは1990年前後の世界史的激動期に広がり、その震源地は米国であった。そしてその源は1979年のデレギュレーションにあった」と言えるでしょう。

 

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