機上の空論

アエロフロート   機材

 

 最近ではエアバスやボーイングなど西側の機材も使用していますが、ソヴィエト時代は頑なにイリューシンやツポレフなど東側製の機材のみ使用していました。そんな時代を知る者にとして、成田でアエロフロートのDC−10Fを見かけた時は新鮮な驚き、時代の変化を感じたものです。このページでは私が搭乗したソヴィエト製の機材について綴ってみます。

 私が搭乗経験を持つのは以下の機種です。

 * イリューシン62
 * イリューシン86
 * ツポレフ134
 * ツポレフ154
 * ヤコブレフ40 (チェコスロヴァキア航空: アエロフロートでの経験はなし)

    

 ほとんどがナローボディー機で、窮屈な気がします。Il-62は通路が狭く、それに合わせたサーヴィス用カートが非常に細く作られていたのが印象的でした。Tu-154は胴体断面が円形で、私のように座高が高い者が窓際に座ると肩が当ってしまいます。Yak-40に至ってはあの狭いキャビンに5列配置ではかなりの圧迫感です。

 それに対し、Il-86は非常に乗り心地がよく、私にとっては西側機以上、一番乗り心地の良い機種です。多分シートが私の体形に一番フィットしているのだと思います。通路に挟まれた中央列上にストウェッジがないのも圧迫感の緩和に役立っているのでしょう。Il-86の特徴としては、ボーディングブリッジのない空港では、ドアについたタラップから貨物室経由で搭乗できることです。クリミアのシンフェローポリでその搭乗を経験しました。貨物室から階段を上ると客室に至ります。乗客が自ら手荷物を貨物室の棚に置くのです。飛行中はその階段にロープが張られ、貨物室へは入れません。

 ソ連機に共通しているのは座席の構造です。背もたれが前方に倒れ、座面と肘掛が上に上がります。着陸時にはあの大口径エンジンの逆噴射で、空席の背もたれがバタバタと倒れるのが象徴的です。この座席構造については、有事の際軍事物資の輸送に使うためだとの説が実しやかに流れていますが、座席を撤去した方が軽くなりスペースも確保できるので、これは単なる噂に過ぎないでしょう。意外に思われるかも知れませんが、乗客の便宜を図っての事だと推測できます。と言うのは、窓際の席に着く場合、自分が座ろうとする列の座面と肘掛を上げ、前列の背もたれを倒すと、意外に広い通路ができます。ロシア人の中には体格の良い人が多いので、狭いキャビンにはそんな工夫が必要だったのだと思われます。

 あと、面白いのは窓のブラインドです。Il-86では西側機と同じプラスチック板ですが、Il-62とTu-154ではサングラスのような透明な色板です。前者は茶色、後者は青と機種ごとに色が違っているのも興味深く思えます。Tu-134は布製のカーテンがついており、Yak-40にはブラインドはありませんでした。Il-86を除くこの構造は、夜間に民間機か否かを識別できるようにとの、ソヴィエト空軍からの要請に因るものかも知れません。アンドレイ・イーレシュら著の「大韓航空機撃墜九年目の事実」(文芸春秋社)では、ソ連の空軍関係者が民間機を識別する方法として窓からの光を指摘する記述が多く見られるからです。真相は不明ですが・・・

    

 Il-62は離陸滑走距離が長いのが特徴です。成田からモスクワまで飛んだときはなかなか浮き上がらないので一瞬大丈夫かと思ったくらいです。成田で観察された方は良くご存知だと思います。

 最後に私の経験したもっとも接地の衝撃が少なかった着陸はレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)からシンフェローポリへIl-86で飛んだときです。滑走路のかなり手前から高度を下げ低空を這うように進入しました。このような着陸は着地後の滑走距離が延びるので、技術的には賛否両論があると思いますが、非常に柔らかい着陸であったことは確かです。降りるときドアのそばに機長がいたので「素晴らしい着陸だった」と声を掛けたらにっこりと頷いてくれました。

 

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