機上の空論

アエロフロート   ハプニング

 

 長距離路線ではIl-62しか投入できる機材がなかったので、日本線では機材変更がないに等しい状況でしたが、欧州線では時刻表とは異なる機材が使用されたり、目的地や経由地が異なっていたりと、乗ってみなければどう飛ぶのか分らないことがよくありました。また、国内線では何時に出発し、何時に到着するのかさえも事前に分らないところがありました。(右は「ずっと同じ表紙」の時刻表)

 例えば、初めてアエロフロートに搭乗したときは、ストックホルムからコペンハーゲン経由でレニングラードへ飛んだのですが、時刻表では、往復ともストックホルム経由のレニングラード−コペンハーゲン線として記載されていました。しかもコペンハーゲンを飛び立つときパイロットが客室に現れ、乗客に「モスクワ行きだよね?」と確認するのです。乗客が声をそろえて「レニングラード行き!」と応じ、再度このやり取りがあった後、しぶしぶと操縦席に戻ってゆくという一幕がありました。幸い、その便はモスクワでなくレニングラードに着陸しましたが・・・

 機材変更の例としては、1986年4月、モスクワ−ストックホルムがTu-154からIl-86に、1990年3月、コペンハーゲン−モスクワがTu-154からTu-134に、成田−モスクワ−コペンハーゲンの第二レグがIl-62からTu-154にと、そのときの乗客数に柔軟に対応して機材を投入しているとしか思えない運用をしていました。お蔭で、いろんな機材を楽しめました。

 こんなこともありました。1990年3月、モスクワ−成田を飛ぶIl-62の機内の「安全のしおり」が、何と、クーバナ航空のもので全てスペイン語で書かれていました。文面を理解できた乗客が何人いたのでしょうか。

 1988年3月、シンフェローポリからモスクワへ向かうIl-86に搭乗後、機内で「ゲロ袋」(品の悪い表現で失礼!)が離陸前に配布されました。私にとってアエロフロートでの8回目の離着陸だったのですが、それまでは座席のポケットにも入っておらず、「幻のゲロ袋」だったのです。それも紙質の悪い、何も印刷されていない深緑色のものでした。そこがかえってアエロフロートらしく、私のコレクションの中でも異彩を放つ貴重品です。(下左)その後も、1991年4月にモスクワ−成田線に乗るまでは、「ゲロ袋」が搭載されているのを見たことはありません。新しいものは、紙質も大分良くなり、ロゴのスタンプが押されています。(下中。下左はスタンプの拡大。)

  

 1988年3月に話を戻すと、次に搭乗したモスクワ−ハバロフスク線で、実際に多くの乗客が「ゲロ袋」を必要とする事となりました。ウラル山脈を越えた頃に、機体がゆっくりとした上下動を始めたのです。ちょうど高速エレベーターに乗っているような感覚が、30秒周期くらいで繰り返されました。それが20分以上は続いたでしょうか。うとうとしていた時なので、周期も継続時間も正確に測ったものではありません。原因も不明のままです。フゴイド運動だったのか、気流のせいか、はたまた何かの操縦訓練だったのかわかりません。私は何ともなかったのですが、多くの乗客が酔ってしまいました。そのフライトのデータが、機長の手で記録カードに書かれていたので以下に記します。

  • 高度   10,100m
  • 速度   850km/h
  • 外気温  −50℃

  経路    モスクワ・ドモジェドヴォ
    − キーロフ
    − ハンチマンシースク
    − キレンスク
    − マグダガチ
    − ハバロフスク

 1991年4月、ベルリン・シェーネフェルトからのIl-86に搭乗していました。順調に飛行しシェレメチェヴォ空港に着陸した時、横方向に急激な衝撃が加わりました。何事かと思っていると、前輪が接地し機体は無事誘導路へ入って行きました。しかし、ターミナルを目前に停止しました。窓から様子を見ると、牽引車がやって来ます。どうやらパンクしたようです。停止から20分ほどで無事スポトインしました。この間何のアナウンスもありませんでした。

   

 パンクしたIl-86から、その日三便ある成田行きの第一便(SU575)に乗り継ぐ予定でした。乗り継ぎの手続きを済ませて時間を潰していると、ロシア語と英語で575便の乗客を呼び出すアナウンスがあり、行ってみると、「同便はロンドンから遅れており次の581便(モスクワ始発)に乗ってくれ」とのこと。遅れたのは仕方がないとして、この柔軟な対応に「アエロフロートもなかなかやるぞ」との好印象を受けました。このフライトは、先述の通り、ゲロ袋はあるし機内誌も一新されていて、さらにギャレーで一服させて貰えるはで、アエロフロートのペレストロイカもかなり進んでいるとの感をいっそう深めました。無事成田に着陸し、荷物が出てくるのを待っているとなかなか出て来ません。全ての荷物がなくなったとき、そこに残ったのは、モスクワで呼び出された10人ほどでした。やはりアエロフロートはアエロフロートで、荷物は当初予定していた575便で3時間ほど後無事到着しました。

   

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