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コトバにしないと伝わらないのかしら
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コトバにすれば伝わるのかしら
| ・名前 ・年齢 ・性別 ・歌 ・絵 ・コトバ ・学業 |
ヨリ 25 女 矢井田瞳・スガシカオ・CHARA・amika Love Psychedelico 奈良美智・Paul Klee 吉本ばなな・ピーコ・江國香織 建築 |
勘
ワタシの母は、妙に勘がいい。頭を使うことはちょっと苦手そうだが、あれだけ勘が良ければきちんと、以上に生きていけると思う。
それに比べて、ワタシは・・・。自分は、勘が鈍いほうかもな、って、年に数秒思うくらいで過ごしてきた。
しかしここ数日、やけに「勘外しまくり!」ということが続いた。
ワタシの友人のことなのに、母のほうが予想的中、なんてことや、自信を持って「それはない!!」と言ったことが起こったり。
そろそろ、自分は勘の悪い人である、外しやすい人である、と自覚した方が良いのかもしれない。
勘というのは、存分に経験や観察力に基づくものであるようで、そこをなんとかすればもうちょっと勘のイイ女になれるだろう!
勘違いばっかりしてるからなあ。(01.12.29)
関西弁
ワタシは、エセ関西弁がしゃべれる。
生粋の関西人からみたら、きっと「おかしなコトバ」と思われるかもしれないが、東京でしゃべっている分にはばれない程度の関西弁。
5年間大阪で暮らして、必死で習得した、第2言語だ。
大阪を離れる前、この言葉を使う自分がいなくなってしまうのではないかと、とても怖かった。
関西弁でしゃべる自分が、一番自分らしい、と思っている。
東京で暮らし始めて、東京の言葉が耳から入って、口が影響されてしゃべっているけど、言っていることまで本当じゃない気持ちになる。
自分が考えていることが、表現したいことが少し違って伝わっているんじゃないか、と。
関西弁だからって伝えきれるものじゃないけど、関西弁の方が自分の感覚により近い気がする。
独り言とか、アタマの中の言葉は、関西弁でしゃべっているのだ。
東京の人としゃべる時には、アタマの中で一度しゃべった関西弁を東京の言葉に直して、しゃべっている。
まるでバイリンガルのようだけど、生まれ育ちは関東だから、このまま東京で暮らしていれば、じわじわと東京の言葉に犯されていくのだろう。
東京の言葉がなんとなく自分と馴染まないのは、若い人の言葉がどんどん変化するからだと思う。
関西の言葉は東京の言葉のようには変化しない。語尾が上がる東京の言葉には、大阪に居るときには忌み嫌っていたけれども、今では下手すると自分だって言ってる。
若い人の東京の言葉は、どんどん軽薄になっている気がして、もっと大事にしてほしい、と思う。
東京で関西の言葉はとても目立っているように思うけど、知らない人でも、電車の中なんかでしゃべっているのを聞くととても嬉しい。
懐かしいような、落ち着くような。東京で生活する自分はやっぱりどこか気を抜けないでいる。
それにしても、本当に必死に、楽しく覚えた関西弁、あんなやる気を外国語の勉強でも発揮できるといいのにね。(01.9.15)
けーたい電話
ワタシは、ケータイを持ってない。
最近人で込み合った電車に乗るのが日常になりつつあり、1日1回は人のケータイを見る。
混雑した車内では携帯電話の電源はお切り下さい」という車内放送が流れるけれども、
本当に切っている人は、どのくらいいるのだろう?
映画館やコンサートでは切っている人をみかけるけれど、ホームで切ってる人なんて見たことナイ。
むしろ、満員電車でメールしてる人を見かけるくらいだ。
ケータイでしゃべっている人を見ると、「こんな狭いプライベートゾーンでよくしゃべれるなあ」と思う。
自分の目の前に広がる空間よりも、手に持った電話と耳からの情報という状況で意識を集中するのはすごい。
自分がケータイを持っていないから、マナーについて考えてしまうのだろうか?
それなら、自分がケータイを持つ前に、一度だけでいいからしてみたいことがある。
「うううう!!!心臓の、ペースメーカーが!!」と言いながら、電車でしゃべっている人のケータイを
切らせることだ。
(01.7.31)
交通手段
ワタシは、定期券を2種類持っている。
一つは電車、もう一つはバスの定期である。東京で暮らして、毎日のようにバスに乗る生活。
バスは、運転手さんの人格が運転なんかに出ていて、毎日乗っていても違いというか変化がある。
ワタシは運転免許を持っていないので知らなかったのだが、ブレーキのかけ方で運転の上手い下手があると聞いて、
バスに乗るとき気をつけてみると、乱暴なブレーキのかけ方をする運転手さんは結構いる。
とても上手にブレーキをかける人もいる。上手な人は、サービス精神があり、発車や車内放送も快適なかんじ。
「発車しますから、座って!」とつっけんどんにマイクで注意した運転手は、やっぱブレーキで、がっくん、と来た。
バス同士がすれ違うとき、運転手さんがお互い右手を軽く挙げて会釈するのを見るのが好き。
仲の良い人たちだったりすると、手をふりふりしたりひらひらしたり、面白い。
バスは、道路の混雑状況によってかかる時間がかなり変わってくるからときどき困ってしまうけど、
電車の車両とはまた違う狭さの中から眺められるものは、今まで見たことのないものだったりする。
(01.9.29)
視線
ワタシは人の目を見てしゃべるのが苦手だ。
「目が合っている」というのがどうしてわかるのかよくわからないけど、それがわかった瞬間
目をそらしてしまう。顔を見ていても、目を見られないので、鼻とかほっぺたとかをぼんやりと見ている。
目が合うと、体が凍り付くようになってしまう。それが、全く知らない人、すれ違った人とでも、
緊張感が体に走るので、不自然なほど顔を背けどこか全然違うところを見たりして、
奇妙な行動に映ることだと思う。目が合った瞬間、相手に圧迫される気がする。対人恐怖の一種なのか、
その原因は自意識過剰なのか。「目を見て話してくれる人がいい」と言う友達がいる。
彼女のような人たちを、羨ましいと思う。でも、ずーっと目を合わせてしゃべるのも、大変だろうな、とも思う。(01.7.3)
身長
ワタシの身長は168センチである。
しかし、この間までは確か167センチに少し足りないくらいだったはずで、いきなり大台、なんということ!
と、憤慨の気持ちでいっぱいである。小さいときから、「人より少し背が高い」というかんじだった。
アネやアニは「幼いときは人より小さめが思春期にぐっと成長!」というタイプで、特に3才離れたアネは、
「もしかして、もうすぐ妹に身長を追い抜かれる!?」という危機を感じたことが少なからずあっただろう。
ともかく、背の小さい悩みも「ぐぐっ」と伸びる喜びも、感じたことがないというわけで、人から「背が高くて
いいねー」と言われても「何もいいことなんてない」と思う。というか、中途半端な長さのような
気がしてならない。Mサイズのシャツなんかはなんとなく小さい。少しかかとの高いヒールを履けば
170センチをゆうに超える。モデルとかする人たちは170センチ以上が必要だし、日本人男性の平均身長は
168センチらしい。そりゃ、満員電車でもこの高さのおかげで酸欠になることはないけど、子どもに不思議そうに
見上げられていると思うのは気のせいだろうか。これでも、そんな風に感じるのはここ4,5年で、それまでは
あまり自覚がなかった。というのは、たぶん家族と生活する時間が長く、出不精だったので、世間の高さを
認識していなかったのだ。しかし、見回してみれば、もちろんワタシよりも背の高い女の人なんてたくさん
いるんだけれども、ワタシより小さい人がもっとたくさんいて、そういう人たちが服の大きさを決めている。
もう、縮むことも、劇的に伸びることもないだろうと思われるこの身長に、なんとなく猫背になって
これからもきっと歩いてしまうんだろうと思う。
(01.7.18)
物欲
ワタシは、洋服とかクツとかにあまりお金をかける方ではない。
いつもぎりぎりの数を使い回していて、カバンやクツは壊れてから次のを焦って探す。
お金に余裕がないからなのかもしれないけど、バイトをしてまでそういうモノを欲しいと思わない。
きれいな格好をしたくないわけではないんだけど、追っかけ始めたら止まらない、「赤い靴」みたいになってしまいそう。
今のワタシには、お洒落サンはみんな似たような格好をしているように見えて、その中に入りたくないという拒絶心でいっぱいなのだ。
自分の中では恥ずかしくない程度の格好をしているつもりなんだけどな・・・。
じゃあ何にだったら惜しげもなくお金を使うか、というと、それも答えづらい。
お金を使うこと自体に慣れていないような気もするのだ。
なければないで、なんとかなる、と思って納得してしまうときが多い。
けれど、大きな買い物はそうやって控えるくせに、小さな買い物になると自制心も弱くなって
少なからぬお金を使っているかもしれない。
文房具屋さんとか薬屋さん、雑貨屋さんでどれほど小金を使い物欲を満たしたんだろう。(01.12.10)
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