「コンデないのに」〜ジャズピアニスト 深澤芳美 〜
去年の暮れ、八十七歳で亡くなったクラリネット奏者、レイモンド・コンデさんの思い出です。
フィリピン生まれのコンデさんは、昭和七年に留学生として日本にやって来たそうです。
早稲田で学生生活を送っているうちに、クラリネットでジャズを演奏するようになったと言っていました。
戦後「ゲイ・セプテット」を結成して一躍スターになり、
その後数十年に渡り、日本のジャズ界で素晴しい活躍をしました。
私が銀座のフレンチレストランで一緒に仕事をさせてもらった七、八年前は八十歳ぐらい。
普通なら引退しているとこでしょうが、「勉強、勉強、もっとうまくならないとね。」が口癖で、
まだまだ現役のとても魅力的な方でした。
クラリネットは(さすがに音量は若い頃より出なくなったと言っていましたが)艶のある音色で、
その素晴しいリズム感から生まれる絶妙のタイミングで吹くメロディーは、存在感のある美しいものでした。
また、コンデさんのファンの方とお話する機会があると、みなさん必ず「ヴォーカルも大好き」と言いますが、
『スターダスト』『嘘は罪』『明るい表通りで』などのスタンダード・ナンバーや、
生まれ故郷の『ダヒルサヨ』などを粋に歌っていて、とっても素晴しかったです。
コンデさんの長い音楽人生からすれば短い間だったでしょうが、
一緒に演奏させてもらって、本当に「勉強」になりました。
日本人女性と結婚、日本に帰化し、その飾らない人柄で多くの人に愛されたレイモンド・コンデさん。
今月二十三日に行われた「追悼ミサ」には、
北村英治さん、ペギー葉山さん、秋満義孝さん、猪俣猛さんなど、
たくさんのジャズミュージシャンの方々が参列していました。
ところで、私の大好きなコンデさん自作のジョークがあります。
「コンデ(自分は休んで)いないのに、(店は)混んでいた。」というものですが、
コンデさんの口から直接聞く事が出来た私は、「幸せだったな」と思っています。
2004年1月31日の「東京新聞」の朝刊に掲載されました。掲載時のタイトルは「クラリネット名奏者に惜別」