MESSAGE
−2003.10〜12−

『記憶』
福永泰 2003年12月4日(木) 0:29:28
皆さんご存知のように、この度チームから戦力外通告を受け、仙台を去ることとなりました。
 
この世界はどんなことがあれ、結果が出なければこういうことになる、それは2年前にも経験しているし、こうなったことは冷静に受け止めています。
 
2年という短い期間で、更にそのほとんどをリハビリに費やしていた自分にいつも変わらぬ声援を送って頂き本当に感謝しています。
2002年1月14日のチーム始動日、開幕戦、入院中に届いた千羽鶴の数々、復帰戦となったFC東京戦、ホーム復帰戦となったナビスコカップのこれまたFC東京戦・・・、
感動した日々はとても思い出深いものです。
皆さんの想いに応えられなかったことが一番悔いが残ることです。。。
 
怪我をしてから1年8ヶ月、いろんなことがありました。
なかなか上手くいかないリハビリの中、何度も埼玉に診察にも行ったし、良いと言われる治療院、接骨院にも自費で通いました、中には有り難いことに無償で診てくれたところもありました。温泉にも通い、膝に良いと言われるものを口にし、サプリメントも何種類も飲み続けました。今年に入ってからは痛み止めを飲む日々、それも9月に入ったころから効果がなくなりました。
今現在リハビリで状態は改善してはきてますが練習に合流出来るレベルにはありません。
 
今週末に入院することになりました。再手術というには語弊があります、前十字靭帯自体には何の問題もありません、もちろん昨年4月の手術は成功でしたから。膝の内部にあるボルトの切除、前回の手術で外側半月板も一部取り除いているので更に傷ついている部分のクリーニング、そして痛みの原因を可能な限り追求するといったものです。前回のような入院期間、リハビリ期間を要することもないのでそんなには心配はしていません。
もちろんこれによって痛みがなくなったり、またサッカーが出来るようになるという保障もありませんが。
 
この時期に膝を開けるということは次のチームを探すということを困難なものにするとはわかっていますがそれでもやると決めました。やはり普通の生活に支障があるレベルではとてもサッカーをとは考えづらい状況です。でもやはりこのままプロサッカー選手を終えていくのかと思うのは心残りになります、サッカーが好きだという気持ちはとても大きく持っています。難しい問題ですが一つ一つ整理し1歩を踏み出そうとしているところです。温かく見守ってもらえれば幸いです。
 
皆さんの気持ちに応えられなかったことも心残りですが、チームを良い方向に変えられなかったのかと思うと同様に悔いが残ります。J2に降格してしまったという現実をしっかり受け止めベガルタ仙台にある問題を改善する事が出来ればまたJ1に相応しいチームとしてやっていけることでしょう、仙台にはこれだけの素晴らしい環境があるわけですから。チームを去る身で生意気かとは思いますが早期の改善、J1復帰を祈っています。
 
僕はこのチームでも素晴らしい仲間と巡り合えて本当に幸せだったと感じてます、更に同様に素晴らしいサポーターの後押しも受けました、1人の選手、その前に1人の人間として大きな感動を頂きました、改めて感謝しています。
そしてこの怪我に本気で向き合ってくれた人達も復活を楽しみにしていてくれたことでしょう、それを想うと申し訳ない気持ちになり、必ずやまたこの世界でやりたいという想いに駆られます。
 
僕はこの仙台をすぐに好きになりました。
そしてチームはこれからのチームでとてもやりがいを感じていました。
僕がこのチームに何を残せていったのかわかりませんが、このチームに「福永泰」が居たことを記憶して頂けたら嬉しいです。
 
本当に住みやすくて良い所でした。
いつまでも僕の記憶に残るでしょう。
 
またどこかで会いましょう。。。
『挑戦』
福永泰 2003年12月31日(水) 23:9:55
2003年も残すところあとわずか、皆さんどのようにお過ごしでしょうか?
 
8日に手術をし1週間で退院、普段の生活がリハビリと言われ1週間仙台で過ごした後、都内の施設で本格的にリハビリを開始しました。
その施設でこれからお世話になる人達は初めて会う人達で、今年の自分は人に対してとても慎重になってしまいどんな人達なんだろうと怯えていました。。
 
それも今回は杞憂に終わりました。
 
ドクター、アスレチックトレーナー、施設、どれをとっても素晴らしい!
何が1番いいかっていうと自分が指示された事をしっかりとやればいいということ、そして1つ1つ「これはこういうことに対してこういうふうにやる。」とすべてにおいて説明が付く。あとは信じてやるだけ。
患部の中に直接出来る治療、患部の外側から出来る治療、そして筋力をバランス良く取り戻す為のリハビリ、、やれることはすべてやる、ドクター、トレーナーが毎日打ち合わせをして本気で関わってくれる、これほど嬉しいことはない、まさに「天国だ!」と思った。
今は午後に4〜5時間かけて治療、リハビリを行っていて年明けからは午前、午後となっていくだろう。内容も地味でキツイ、でも最高に嬉しくも感じる、本当に治る気がしてきたから。
 
帰って来てからいろんな「仲間」と会う機会が増えた。どの人も「この先どうするんだ?何かあれば言って来い。」と言葉を掛けてくれる、他にも電話やメールでも同様に心配してくれている、本当に有り難い。また人を信じてみようと思った。
 
この先膝がどのように改善しいていくのかまだわからない、その先の仕事をどう選択していくのかも当然わからない。ただ、自分自身これから先のことをとても楽しみにしている、どのような道を選んだとしてもどれもが新たな挑戦だから。
まずは白黒はっきりさせたいという想いが強い、これからのリハビリで出た答えはすべて受け入れられるだろう。
 
来年こそは良い年にしたい。
 
皆さんにとっても良い1年になるよう心から祈っています。
 
体調を崩さぬように気をつけて下さいね!
 
それでは良いお年を。。。 


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