鎌倉・同期会旅行 |
2007年12月15(土)〜16日(日)
3年前から恒例になった職場の同期会の旅行ですが、今年は「鎌倉」になりました。少し遅い季節で紅葉に間に合うかどうか?という感じでしたが、運良くまだ見頃の場所が残っていました。観光客が一段落して、最盛期にはない、静かで落ち着いた古都・鎌倉の雰囲気を十分に味わうことができました。今回もM子、E子、Y子と私の4名の旅です。 |
12月15日(土)
6時に起きてお風呂に入り、早めに身支度を終えて余裕の待機・・・(笑) Y子が作ってくれた旅行のしおりに目を通していたところ、1点の疑問が沸きました。行きの電車について、9時台の電車と10時台の電車の両方についての記述があり、いったいどちらに乗れば良いのだろう?(^-^;・・・今更ですが、すぐにY子にメールをして確認をしたら9時台の電車でした。もともと自分はその時間だと思っていたので大丈夫でした。湘南新宿ラインにE子は池袋から、Y子は新宿から、M子は渋谷から乗車し、一番最後に恵比寿から私が合流して全員が揃いました。誰も遅れずに(笑) |
湘南新宿ライン・逗子行き 恵比寿 9:53発 → 北鎌倉 10:37着
”鎌倉・江ノ島フリーきっぷ”を買って行きました。東京山手線内発1,970円で往復のJR+江ノ電、湘南モノレールが2日間乗り降り自由です。電車の中でおしゃべりしているうちにあっという間に北鎌倉に到着。おしゃべりに夢中になっていて乗り過ごすところでした(^-^;・・・駅から歩いてすぐの場所にある「円覚寺」を見学しました。 |
◇ 円覚寺 ◇
1282年(弘安5年)に時の執権であった北条時宗が禅の振興と文永・弘安の役での殉死者の御霊を弔うために中国から招いた無学祖元に建立させた寺と言われてます。 拝観料 300円 |
山門 |
仏殿 | 百観音 | 庭園 |
虎頭岩 | 白鹿洞 | 洪鐘(おおがね)/国宝 |
水仙 | 千両 | 万両 | ヒメツルソバ |
〜 昼食 〜 |
円覚寺を見終わった後にお昼にしました。北鎌倉駅周辺で何件か候補にしていたお店があったのですが、表に出ていた看板の「鯵たたき定食」に惹かれてレトロなお店に入りました。わざとレトロな作りにしているのだと思いきや、入口の戸を開けようとしたらガタガタ・・・・外れてるし、お店に入ってから「やってしまったか?」と思いました(笑) でも、魚は美味しかったです。私たち全員が鯵たたきを注文したら、鯵は売り切れてしまいました。 |
店構え | 鯵たたき定食 (1,000円) |
◇ 明月院 ◇
1160年(永暦元年)にこの地の住人で平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として、俊道の子の首藤刑部太夫山ノ内經俊によって創建。別名「あじさい寺」と言われています。 拝観料 500円 |
入口 | 鎌倉石の参道(道の両側に紫陽花が) |
枯山水庭園 | 亀さんですね・・・ | 蝋梅 |
◇ 葉祥明美術館 ◇
熊本市生まれの画家葉祥明さんの作品や絵本を展示した美術館です。(入館料大人700円) ※HPに100円割引クーポン券あり。 |
ちょっと小腹が空いて・・・
葛餅(抹茶付き) | 蕨餅(抹茶付き) |
◇ 七里ヶ浜 ◇
湘南の海が見たい・・・とM子のリクエストで、鎌倉から江ノ電に乗って「七里ヶ浜」へ。浜辺は風が強くて寒さも一層厳しかったですが、海では驚くほどたくさんのサーファーがサーフィンを楽しんでました。 |
江ノ電 | 七里ヶ浜で下車 | ちょうど水平線ギリギリに夕日が |
とても絵になる風景です | 江ノ島 | 頭上を飛び回るトンビ(かなり近くまで接近) |
夕日が沈むまで眺めていたかったですが、寒くて・・・負けました。また江ノ電に乗って「由比ヶ浜」で下車。宿泊するホテルに向かいました。私とY子が以前泊まったことがあるホテルですが、またしても道はうろ覚え・・・熱海での悪夢がよみがえりましたが、今回は何とかセーフでした(笑) チェックインしてゆっくりしてから温泉に入りました。ここのお湯はなんと去年泊まったKKR熱海から運んで来てるとのこと・・・お風呂は少々狭いですが、24時間入浴O.Kというのはなかなか良いです。少人数で行けば問題ありません。 お風呂を上がったらすぐに夕食でした。追加料金で部屋食にしたので、のんびりできました。そして、どれも美味しかったです。満足。 |
〜 夕食 〜
季菜 (百合根椿・鶏八幡牛蒡・鮟肝豆腐他) | 先付 (落花生和え) | お造り (勘八、甘海老、鮪) |
台の物 (大山鶏すき鍋) | 煮物 (柚子饅頭) | 揚物 (渡り蟹鹿の子揚げ他) |
酢物 (牡蠣のマリネ) | 食事 (十六穀ご飯、赤出し、香の物) | 甘味 (莓白玉あんみつ) |
夕飯を食べた後にY子とふたりで電動マッサージ器に座わり、マッサージしながら居眠りしてました。部屋に戻ってみんなでおしゃべりしながらまたウトウト・・・もうギブアップでさっさと布団に入りました。 |
12月16日(日)
朝起きてから温泉に入って来ました。シャキッと目が覚め、お腹も空きました。朝食は部屋ではなく、食堂に行って食べました。朝からボリュームたっぷりでした。鯵の干物が冷めているのを温めてくれたりの配慮もされていました。 |
〜 朝食 〜
朝食を食べてひと休みしてから、チェックアウト。その後江ノ電で鎌倉駅に出て荷物をコインロッカーに預けました。身軽になって今日の観光スタートです。まずはバスに乗り、最初の目的地へ。 |
◇ 瑞泉寺 ◇
1327年(嘉暦2年)七朝帝師夢窓国師が開山し、滝・池・中島等のすべてを巧みにえぐって橋をかけ、岩庭と呼ぶにふさわしい庭園が作られている。後に足利氏の菩提寺として栄えた。花の名所としても名高く、多くの文人も眠る。 拝観料 100円 |
遠くに石段が見えて来ました | 見事な木立です | 左側がたぶん昔の石段? | 竹林 |
山門 |
岩庭 | 岩庭 |
こんなところにお地蔵さんが | どこもく地蔵 | 鬼瓦 |
紅葉 | 水仙 | 千両 | 三叉 |
どこもく地蔵・・・昔、この地蔵堂の堂守が貧乏な暮らしに苦しんでいた。ろくに参拝者もいないこんな堂守をいっそのこと投げ出して、どこか他国へ移り住もうか、その方が生活も楽になるかも知れない、などど日々考えていた。そんなある日、夢枕に地蔵が現れ「どこもく、どこもく・・・」と言って消えてしまった。 夢から覚めた堂守は言葉の意味を考えたが、どうにもわからない。そこで近在の八幡宮の供僧に尋ねてみると、「どこもくとは『どこも苦』のことである。今の境遇が辛いからといって逃げ出しても、苦労は必ずついて回るものである。そのことを地蔵が教えて下さったのだ。」 堂守は自らの浅はかさを悟り、以前にも増して地蔵堂を一生懸命守りつづけたということである。 |
◇ 鎌倉宮(大塔宮) ◇
後醍醐天皇の皇子である大塔宮(おおとうのみや) 護良親王(もりながしんのう)をお祀りするお宮(神社)です。 |
鳥居 | 獅子頭守 |
『 厄割の石 』
100円で素焼きのお皿を買って、石にぶつけて割ることにより厄を祓うものです。やってみましたが、1回では割れませんでした(^-^;・・・
素焼きのお皿が並んでいます | この石にぶつけて割ります |
〜 昼食 〜
鎌倉宮から駅方面にぶらぶら歩いて行く途中にある創作中華料理のお店「七賢人」に入りました。(お店のHP) ランチメニューを注文。メインのおかずは好きなものを2品選ぶことができます。私は麻婆豆腐&豚肉と生ザーサイの炒め物の2品をチョイス。プラス200円でサラダとコーヒーを付けました。(1,260円) |
地元でとれたハーブのサラダ | Aランチ(ライス、スープ+おかず2品) | コーヒーカップも凝ってます |
昼食後M子は一足先に帰り、残った3人でさらにお寺巡りを続行です。また地図を片手にぶらぶら歩いて目的のお寺を目指しました。 |
◇ 海蔵寺 ◇
海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺である。この寺は、1253年(建長5年)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道知禅師)が願主となって七堂伽藍の大寺を建立したが、1333年(元弘3年)5月に鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。室町時代の1394年(応永元年)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興した。 |
山門 | 底脱の井 |
本堂 | 仏殿(薬師堂) | 庭園 |
境内の南の隅の方に・・・ | 十六井戸(井戸ではなくやぐら(墓)という説も) |
◇ 化粧坂(けわいざか)切通し ◇
化粧坂(けわいざか)切通しは扇ガ谷と源氏山を結ぶ場所にあり、鎌倉七切通しの一つ。鎌倉七切通しの中でも規模は小さいながらも当時の様子を残している切通しである。この化粧坂という地名の由来は、当時このあたりで敵の首実験をするとき武将の首に化粧を施した説や、このあたりに遊郭が多く立地し女性がよく化粧をしていたという説もある。 |
◇ 源氏山公園 ◇
平安時代の1051年(永承6年)、源頼朝の先祖である源頼義は陸奥の安倍頼時の討伐に出陣。その時、ここの山上に白幡を立てて、氏神の岩清水八幡宮に戦勝を祈願し、出征した。源頼朝も此れに習って、平家追討の時、山頂で、源氏の戦勝を祈願したと言われる。 |
化粧坂を上ったところにある公園 | 源頼朝像 |
後は山を下り、鎌倉駅を目指しました。おおよそ方向音痴の者ばかりが地図を頼りに無事にたどり着けたのは奇跡に近いかもしれません(笑) 駅周辺の商店街でお土産を買ったり食べたり・・・十分満足してから東海道線と山手線を乗り継いで帰りました。 |