愛知県美術館の鑑賞会

上に戻る


 
 1月17日午前、愛知県美術館で開催された2025年度第2回「視覚に障がいのある方との鑑賞会」に参加しました。同伴のアートな美の方に解説してもらい、またしばしば美術館スタッフに説明してもらいながら、いろいろな彫刻をはじめ10点くらい鑑賞しました。これまでに鑑賞した作品も多かったですが、今まで気付いていなかったことに気付いたり、別の見方で考えてみたり…、作品は時間を開けてみるのもよいものだと思いました。
 以下、各作品についての点字の解説や一部立体コピー図も参考にしながら、今回鑑賞した作品たちを紹介します。
 
●アレクサンダー・アーチペンコ(1887~1964年)の「歩く女」(1912年、ブロンズ)
 まず、表面から裏面まで貫通している大きな空洞に触って、既視感がありました(調べてみると、3年近く前の鑑賞会で触っているが、その時はよく分からなかった作品だった)。アーチペンコは、当時のロシア・キエフ(現ウクライナのキーウ)に生まれ、キエフとモスクワで絵と彫刻を学び、1908年にパリに移って、美術館で見た古代エジプトや中央アジアの彫刻に興味を持ち、またキュビズムのグループ(ピュトー・グループ)にも加わったとのこと(その後1923年にアメリカに移り活動して、アメリカ国籍を取得)。この作品はそのころの作品なので、それらの影響を受けているのかも知れません。
 高さ70cmくらい。タイトルが分からなければ、人物なのかどうかさえはっきりしないような抽象的な作品。人物だと思って触れば、下部の両側に分厚い角ばった板のような脚部(右脚のほうがやや前に出ている)、正面から背中に向って大きな空洞が貫通しているつるうっとした瓢箪型の胴体、その上にドーナツのように中央部が空洞になっているリング状の頭部。そして、滑らかな曲面の胴部から頭部にかけては、その両側に表面がでこぼこした分厚い板のようなのが挿し込まれていて、これは女性が身に着けているものをあらわしているとか。また、左胸辺りの内側の空洞には乳房を思わせる大きな突起があり、さらに左脚の前には竹を縦割りにしたようなものが断面をこちら側にして支えの杖のようにくっ付いています(この杖のようなもの、私は脚部の内部の骨のように感じた)。この作品は、女性の身体とともに、身体の外側にあるものと内側にあるものの両方もあらわしているのかも知れません。
 
●レイモン・デュシャン=ヴィヨン(1876~1918年、フランス)の「恋人たち」(1913年、鉛)
 縦35cm、横52cm、厚さ6cmのレリーフです。分厚い長方形の鉛板の上半分に1つ、下半分の左右に2つ、楕円形の凹曲面が一部重なって彫られ、それら曲面の上に、向って左に女性、右に男性の身体の各部がそれぞれ凸の塊のようにぼこぼこと浮出しています。男女はともに膝をついて座っているような姿勢で、それぞれの脚部もぼこぼことしています。男性は上半身を右側にひねって、右手で女性を引き寄せるようにして女性の首にキスしています(男性の左肩から背中にかけてが大きく盛り上がっていた)。いっぽう、女性は男性から遠ざかるように上半身を大きく反らし、顔を上に向け、右腕も後ろのほうに伸ばし前腕を曲げて手のひらを頭に当てていますが、左手は伸ばして男性の顎の下に当てており、男性から逃れたい気持と受け入れてしまう気持ちの両方があらわされているようです。
 レイモン・デュシャン=ヴィヨンは1911年に兄のジャック・ヴィヨン(1875~1963年。本名 ガストン・エミール・デュシャン)らとともにピュトー・グループに参加していて、この作品はキュビズムの影響を強く受けていると思います。なお、マルセル・デュシャン(1887~1968年)はレイモンの弟です。また、デュシャン=ヴィヨンは、兄のペンネーム ヴィヨンと姓のデュシャンをつなげたペンネームだとのこと。レイモンは、第一次世界大戦が始まると志願してフランス軍の病院で働きながら制作を続けていましたが、1917年に腸チフスにかかり翌年に亡くなっています。
 
●ポール・ゴーギャン(1848~1903年)の「木靴職人」(1888年) (立体コピー図有)
 縦58cm、横49cmの油彩画。画面左下に大きな作業台があり、その上にほぼ同じサイズの木靴が2個乗っています。作業台の向こうに職人が立ち、帽子をかぶり顔を下に向け右手になにか工具を持って木靴を彫っているようです。画面のやや右寄りには、画面を縦に2つの空間に分けるかのように、樹が画面の下から上まで貫いています。そのほかにも切り株のようなのもあり、作業は野外で行われているようです。
 ゴーギャンは、1879年以降印象派展に出品を続けていましたが、1886~88年に3度ブルターニュ地方のポンタヴェンに滞在、この地で印象派風のスタイルから、輪郭線による明確な形態と平坦な色面を合わせて画面を装飾的に構成する「総合主義(synthétisme)」へと画風を変えます。この作品はこの時期(1888年10月に南フランスのアルルでゴッホと共同生活を始める直前)に描かれたもので、総合主義の特徴がよくあらわされているようです。木靴と地面は黄色、職人の服と作業台はモスグリーン、左奥は暗い緑、右奥は青といった色面が配され、一部黒い輪郭線も用いられています。樹の幹や工具の取手、作業台に分散された赤茶色が緑と呼応し、また各色面にはさらに様々な色が細かな筆致で付け加えられ装飾的な画面になり、総合主義の特徴がよくあらわれているようです。(総合主義は、印象派のように見えたままのリアルだけでなく、画家の心象風景や感情など主観をも合わせ、さらに美そのものも合わせようとしたもののように思います。)
  
●マーク・マンダース(1968年~)の「Dry Clay Figure」(2014年、彩色したブロンズ 木)
 高さ 1mほどの上半身の人物像ですが、背中側にちょっと触れて、その内部まで深く食い込んだ無残とも言えるような凸凹から、なにか爆風のようなもので大きく損傷し焼け焦げてケロイドのようになっているのかもと一瞬想像してしまいました。見た目は粘土そっくりだとのことですが、ブロンズに粘土の色(明るい灰色?)を彩色したもので、1cmくらいのベニヤ板の上に乗っています。正面はほぼ滑らかな曲面ですが、腹部には横に大きなひび割れが走っています。顔は、高く太い鼻筋と一文字に結んだ口などなにか立派なつくりのように思われますが、両頬は途中から垂直に切り取られ、また頭の上部も右目だけを残して水平に切り取られています。さらに、両脇から背中側全面は激しい凸凹で、棒ないし指のようなもので深く削ったような溝、箆で削り取ったような面、さらに指を突っ込んで握ったような跡などなんともすごい様子です。
 オランダに生まれたマンダースは初め詩人を志しますが、18歳の1986年「建物としてのセルフ・ポートレート」というアイディアが浮かび、美術表現へと向ったとのこと。このアイディアは、自分とは異なる「マーク・マンダース」という架空の芸術家を想定し、その人物の作品や家具、筆記用具などで建物や部屋を構成して、彼の存在や考え方を示すというもの。国際芸術祭「愛知トリエンナーレ2016」では、愛知県美術館の1室がマンダースの会場になり、半透明のビニール幕でいくつかに仕切られた空間に粘土による彫刻や作業台、粘土を入れたバケツなどが置かれて、架空の彫刻家マンダースのアトリエがあらわされ、その展示の一部をなしていたのがこの彫刻作品だとのことです。正面側がほぼ完成した後長時間放置していたため背面側が崩れてしまい、その後新たに粘土を盛り付け、指や箆などで何度も削り取り、また制作を止めて、その状態をブロンズにしたものだとのことです。制作途中のものをそのまま作品化することで、制作者の存在を実感させるものになっているようです。
 
●山本豊市(1899~1987年)の「聴」(1966年ころ、ブロンズ)
 高さ30cmくらいの座った姿の裸婦像です。座布団のような台?の上に、正座の姿勢から、左膝を少し浮かせて右に寄せ右脚に重なるようにして座っています。頭部をやや左に傾け、両腕をまっすぐ体に沿わせて下に伸ばし、右手は座布団の右角、左手は左脚のふくらはぎの辺をつかんでいます。確かに、何かに聴き入っているようなポーズです。像は全体に滑かな手触りで、とくに背面は滑らかな曲面になっています。
 山本は、中学卒業後1917年から戸張孤雁に弟子入り、1924年に渡仏して4年間マイヨールに学びます。帰国後奈良や京都の仏像に興味を持ち、乾漆の裸婦像を多く制作するようになりました(以前、山本の乾漆像「立女B」に触れたことがある)。
 
●戸張孤雁(1882~1927年)の「煌めく嫉妬」(1923年、ブロンズ)
 これも高さ30cmくらいの、座った姿の裸婦像です。粘土を積み重ねたような台の上に、ぺたん座り(膝から下の足を両側に広げてお尻を地べたにつける)し、頭はやや項垂れ下腹部がちょっと丸く膨らんでいます。左腕は下に垂らして左手を左足首にそえていますが、右腕は太く、右手で右足先を強く握っています。右側の肩甲骨が盛り上がり、背中も広く、像の右側から後ろ側を触っていると、力がこもっていることが感じられます。
 大きさも形も上の山本豊市の「聴」と似てはいますが、「聴」は細身でやわらかな感じがするのにたいし、戸張の「煌めく嫉妬」は、少し力が入ったような感じで、怒り?のような感情が示されているのかもです。
 
●熊谷守一(1880~1977年)の「雨水」(1959年、油彩 板) (立体コピー図有)
 熊谷守一は60歳ころ、赤い細い輪郭線と色面で構成する油彩の画風を確立し、この絵にもそのような画風が見て取れるようです。立体コピー図で触っても、分かりやすい構図でした。
 縦24cm、横33cmほどの横長の作品で、自宅の軒先から下がる雨樋を描いたものだとのこと。画面右側に、赤茶色の雨樋が垂直に下りてきて、地面に2枚重ねて置かれた青い瓦の上で、直角に曲がっています。その先端から雨水が流れ出て、瓦の縁を通って地面に水溜まりをつくっています。この新しくできた水溜まりは明るい生成り色で、その左側のすでにできている灰色の水溜まりに重なるように広がっています(この水溜まりの色の違いは、立体コピー図でも触ってよく分かる)。また、2つの水溜まりの間には白い色面も描かれ、これは水泡、あるいは濡れた地面が陽を受けて光っている様をあらわしているのかも知れません。水溜まりの近くには、青緑色の葉が広がった草もあり、なにか見えていて、みずみずしい感じが伝わってくるようです。(赤の細い輪郭線も一部見えているようでした。)静かな暮らしの中、自然の一瞬を切り取ったような作品で、けっこう気に入りました。
 
●バルテュス(Balthus, 本名 Balthasar Michel Klossowski de Rola: 1908~2001年)の「白馬の上の女性曲馬師」(1941年(1945年加筆)、油彩 ボード) (立体コピー図有)
 縦80cm、横90cmほどのほぼ四角に近い画面。白い馬が右向きに描かれ、少女が斜め前を向き、鞍もつけず、横座りのような姿勢でちょこんと馬の背に乗っています。上半身にチュチュを着け、手綱を左手首の下をくぐらせて右手で握っています。足には靴を履き、左の靴は馬の腹の横、右の靴は腹の下まで先がすっと伸びています。休憩中なのでしょうか、馬は右前足をわずかに上げ、左後足を立てていて、歩き出すところのようです。馬体の側面には、脚に続く筋肉がもりもりしています。背景は舞台裏なのでしょうか、暗い茶褐色で、画面右側には組立てた足場のようなのが立っています。暗い背景に、白馬と少女が浮かび上がるような構図になっているようです。
 バルテュスは、ポーランド貴族の流れをくむ芸術家夫妻の子としてパリに生まれ、ほぼ独学で絵を学んだそうです。具象画家で、風景やとくに女性・少女をエロティックとも思われるような独特の雰囲気で描くことが多かったようです。1962年に文化大臣から依頼されてパリでの日本美術展準備のため来日し、通訳の20歳の日本人学生出田節子と5年後に結婚(年齢差34歳)、バルテュスの晩年を支え、また自身も画家として活動しています。
 
●エルンスト・バルラッハ(1878~1937年)の「忘我」(1911~12年、ブロンズ)
 高さ50cm弱の全身像で、なにかに絶望してなのか、天を仰いでいる年老いた男のようです。両肘を斜め上に上げ大きく外に広げて頭の後ろで両手を組み、頭部を真上に向け、幅広の口を大きく開けています。下顎からはひげが伸びています。体には膝下くらいまで厚いコートを左前に着ています。左足で地面に突っ張るようにし、右足は足先を上げてわずかに浮かせて一歩踏み出そうとしているようです。作品全体の形は、下のほうが広がった円錐ないし釣鐘状で、在存感を感じさせます。
 北ドイツ出身のバルラッハは、ハンブルクとドレスデンで絵と彫刻を学び、人々の日常生活をテーマとして制作していましたが、1906年南ロシアを旅して素朴で逞しい農民の姿に深く共感、庶民の生活の姿の中にその内面の感情もあらわすような表現主義の作品を産み出すようになり、ドイツ表現主義の代表的な作家とみなされるようになります。しかし、ナチスが台頭すると彼の作品は大敗芸術とされ、多くの作品が破壊されたそうです。
 
 その他にも、何度も鑑賞したことのあるロダンのブロンズ像「歩く人」、熊谷守一の「卵」の4点セット、クリムトの「人生は戦いなり」の半立体版に触りました。それらの中でも、熊谷の「卵」の4点セットは絵を理解するのにとても良いものだと思いました。実物の絵から再現した3次元の立体作品(縁が垂直のお盆の上に卵が4個近切して乗っている)、斜めから見た半立体のもの、2次元の触図版、実物の絵をできるだけ忠実に絵筆を使って触って分かるように再現したものです。半立体版では、お盆の手前側の縁が斜面になっており、また互いに接している卵は手前の卵の上側の縁は見えなくなって弧状に欠けていました。また絵筆で再現した版では、横方向の細かい筆づかいやタッチが分かりました。
 
(2026年1月26日)