奈良国立博物館の視覚障害者のためのワークショップ

上に戻る



 10月13日午前、奈良国立博物館で開催された「第3回 視覚障害者向けWS『さわって楽しむ!仏教美術』」に参加しました。近鉄奈良駅から博物館まで歩いたのですが、まず我が物顔のシカの多さにびっくり。広い歩道の点字ブロックに沿って杖を使って歩いていると、次々杖が点字ブロック上のシカに当たり、しかもまったく逃げません。近くではあちこちからシカのビーッとつぶれたような鳴き声が。若いころしばしば奈良にも行きましたが、そのころとはすっかり様変わりしているようです。
 午前10時からのWSには、視覚障害の方が私もふくめ4人参加(定員4人)。4つのコーナーを参加者がそれぞれボランティアとともに順に回るという形式で行われました。数点の仏像に触れましたが、それらは実物ではありませんが、とても精巧な優れたレプリカでした。
 
●薬師如来坐像(国宝)
 高さ50cmくらいの坐像です。平安時代初期(9世紀中ころ)の制作で、1本のカヤの丸太からのほぼ一木造りだそうです。直径50cm弱の蓮華座に結跏趺坐の姿勢で座し、両膝、両肩とも広がっていて、全体に堂々とした感じです。頭部は螺髪で、ぶつぶつしたのが全面にきれいに並んでいます。目は切れ長で、頬はふっくらした感じ。右手は前に掌を向け、指を上に向けて伸ばしています。これは施無畏印で、恐れなくてよいの意味だそうです。左手は膝の上に乗せ、掌を上に向けて前に出した4本の指を自然に軽く曲げています。これは与願印の一種で、与願印は人々の願いを聞き届け望むものを与えて叶えるという意味だそうです。そして、多くの襞がくっきりとシャープに彫られた衣を着けています。よく触ってみると、首の後ろ辺りに割れ目のような線があります。また、右手と左手は継ぎ足している(左手は差し込みになっている?)ようです。
 姿は阿弥陀如来と変わらないようなのに、なぜこれが薬師如来とされるのか質問してみました。左手の掌の上にできている窪んだ空間にもともとはおそらく薬壺があったのではということです。なお、両手とも指先は経年劣化のためなのかとても細くなっていました。私たちが触ったのは、奈良博の国宝「薬師如来坐像」の忠実な模刻で、「令和の薬師如来坐像」と呼ばれるものだそうです。そしてこの模像を使ってワークショップもしているとのことです。
 
●裸形の阿弥陀如来立像と、衣を着けた姿
 まず、高さ1mくらいの阿弥陀如来の立像です。約800年前(鎌倉時代)のヒノキ造りで、私たちが触ったのは型に樹脂を流し込んで制作した模像だとのこと。しかし、模像だと言っても、長年経った木の感じ、とくに木の肌が少し荒れて?ちょっとけば立っているような感じやすり減っているのかもと感じさせるところなど、樹脂でつくったとは思えないすごい職人技のように思いました(このような技術を持った職人は今は1人しかいなくて、しかもその方はすでに仕事を止めているとか)。
 全体に体は細身の感じで、裸形ということなのでしょう、ふつうの人物像のように胸のふくらみやお腹などリアルな感じがしました。頭は小さなつぶつぶの螺髪、目は前を見据えているようです。右手は胸の高さくらいまで上げて掌を上に向けて親指と人差し指で輪をつくり、左ては下に垂らして掌を前に向け親指と人差し指で輪をつくっています(来迎印)。足はもちろん素足で、爪先立ちというかちょっと前に踏み出そうとする感じです(体も全体に少し前傾だったかも)。へその部分には直径3cmくらいの輪宝という8弁の花に似た円盤がつき、また股間には直径5cm余の蓮の花の形の円盤がついています(仏像には男女といった区別はないので、局部はこのようにしてあらわすとか)。
 リアルにつくられている立像ですが、実際に祀られる時は、生きている生身の仏様に会いたいということで、本物の衣を着けていたとのこと。そして、この裸像が本物の衣を着たものにも触りました。衣は 3枚重ね。一番内側が裙で、腰から足元まで下半身に巻くスカートのようなもので、お腹当たりで紐で結んでいるようです。真中が覆肩衣(ふくけんえ)で、肩から覆う上半身の下着のもののようです。一番外側がおなじみの袈裟で、左肩からはじめてぐるっと体に巻きつけ、右肩は少し出して、一周してまた左肩にかけて終わります(袈裟の布に触りました。幅50cmくらい、長さ150cm余の長方形の布でした)。飾りなどはまったくなく、布を巻きつけただけの簡易なものですが、如来の衣としてはこういうのが正式のもののようです。
 
●寄木造の仏像の組み立て体験
 まず、組立て用の寄木像の原形になっている模刻の阿弥陀如来坐像(平安時代、12世紀)に触りました。高さ50cm余で、蓮台の上に結跏趺坐の姿勢で、頭は螺髪、両腕を内側に曲げ、広げた両膝の間で両手の指を交差するように組み、それぞれ親指と人差し指で輪をつくり、ぴったり合わせています(阿弥陀定印:深い瞑想に入っていることをあらわす)。衣の襞もよくあらわされ、両膝の前の蓮台の上まで広がっています。ヒノキ造の寄木像だそうです。
 私たちが組立てに用いた寄木像は、安全に簡易に組立てられるよう、原形よりも一回り大きく、寄木の仕方も原形とは大きく異なっているようです。全体の像から、左右の肩から上腕、右の腰の部分、定印を組んでつながっている左右の前腕、両膝の前に広がっている衣、そして最後になんと、頭の上からお尻の所まで、中央で縦に真っ二つに別れるようになっていました。そしてその内側は、軽くするためでしょう、大きくくりぬかれていました(そのくりぬきになっている曲面が、彫刻刀で丁寧に削った細長い小さな曲面が重なり連なっていてとてもきれいだった)。組立てる時は、各パーツにある太さ1cmくらいの棒とそれに対応する穴を見つけてはめ込みます。
 
●5種の木材を比較
 仏像などの素材になっている、クスノキ、カヤ、ヒノキ、ケヤキ、ヤマザクラを比べてみました。長さ30cmくらいの同じ大きさの細長い長方形で、それらお持ってみたり、なでてみたり、軽くたたいてみたり、匂をかいでみたり(匂のためには、それぞれのチップが入った容器も別に用意されていた)。ケヤキやヤマザクラは他に比べてかなり重く、それだけ堅そうでした(とくにケヤキ。ケヤキは、強力な負荷がかかる和太鼓の胴によく使われる)。カヤは、なにか甘いような香がしたように思います。クスノキは、おなじみの匂です。ヒノキは、言われると粘っこい肌のような気がしました。たたいた時の音は、堅そうな木材のほうがコンコンというようなすんだ音がするような…。全体に、触覚や聴覚、嗅覚で木材を比較するのは難しそうに思いました。
 これらの木材の中で、日本に仏像が伝えられて最初につくられるようになった木の仏像は、クスノキが使われたそうです。奈良時代後半から平安時代初期にかけては、カヤを使った一木造が行われたとのこと。そして、よいカヤの木が減ったこともあってなのか、平安時代中期以降は、ヒノキを使った寄木造がほとんどになったそうです。(ケヤキやヤマザクラは仏像にはあまり使われていませんが、東北など北の地方では使われる例があるようです。)
 
 4つの体験の後は、ボランティアの方の案内で仏像館の常設の展示を簡単に解説してもらいました(時々学芸の方が補足してくれました)。以下、印象に残っている数点について記します。
 
●香薬師
 ガラスケースの中に、長さ10cmもないような小さな手が展示されています。この手は、実はもともと新薬師寺にあった高さ70cm余の「銅造薬師如来立像(通称 香薬師像)」の右手だそうです。この立像は、表面を金メッキした金銅仏で、法隆寺の夢違観音や調布市・深大寺の釈迦如来倚像と並ぶ白鳳時代(7~8世紀)の、国宝に指定されたほどの名品だとか。明治時代でも表面は金ぴかに輝き、中まで純金化もと思われたのか、3回も盗難に遭い、現在も本体は行方知れずだそうです。
1回目は明治23年、この時は、中まで金かどうか確かめるためでしょう右手が切断され、中は銅であることが分かったからでしょう、本体とも近くの神社に捨てられていました。2回目は明治44年、この時にはすでに国宝に指定されていたため大騒ぎとなり、間もなく大阪府で発見されますが、両手両足が切断されてしまっていました。その後、なくなってしまった両手・両足は新たにブロンズでつくり本体にくっつけて修復します(このさい、1回目の盗難で切断されていた本物の右手は、寺で別に保管されていました)。3回目は昭和18年で、その後現在までブロンズの両手・両足がついたままの本体は見つかっていません。本物の右手だけは新薬師寺に別途保管されていたわけですが、いつしか所在が不明となっていましたが、2015年鎌倉市の東慶寺にあることが分かり、新薬師寺に変換されたとのこと。目の前にあった手は、その本物の右手(たぶんレプリカ)だったのです。
●愛染明王
 1256年快成(かいじょう)作の、高さ26cm余の小さな本造の坐像です(東大寺の大仏殿を修理したときに出た古い柱の切れ端を使ってつくられているとか)。宝瓶(ほうびょう)という壺から開いた蓮華の上に座っているようです。全身が真っ赤で、目が3つ(両目の間の顎にもある)で、眉を吊り上げ牙をむき出しとても怒った表情のようです。髪の毛は逆立ち、獅子の頭の形をした冠をかぶっているとのこと。腕は6本もあり、それぞれ武器や宝具を持っています。上段は右手が五鈷杵、左手が五鈷鈴、中段は右手が矢、左手が弓、下段は右手がなにも持たず指先をすこし丸め、左手は拳を握っています。(ここで、五鈷杵、三鈷杵、独鈷杵の実物を触りました。いずれも長さ10cm余で、それぞれ両端が、五鈷杵は中央の1本と半円のようにカーブした4本の計5本、三鈷杵は中央と左右の計3本、独鈷所は中央の1本だけ、先のとがったものがついています。)
●走り大黒(伽藍神立像)
 高さ50cm余の木像で、まるで全力疾走しているような姿から「走り大黒」と呼ばれていたそうですが、本来はお寺(伽藍)の建物や修行僧を見守る神様だとのことです(制作は13世紀)。大きく前傾して、両手・両脚を前後に大きく開いて走っている姿です(ただし、右手と右脚は前、左手と左脚が後ろという、ちょっと変わった走り方のようだ)。両手はかるく握っているようですが、本来は右手に釘、左手に槌を持ち、怠けている僧がいると追いかけて槌でたたいて釘を刺すとか。頭にはすっぽり頭巾を被っていますが、衣は風でなびいていて、走り回っている感じがよくあらわれているようです。恐そうな神様ですが、なんだか魅力がありますね。
 
 その他、13世紀の阿弥陀三尊像(中央に高さ80cmくらいの阿弥陀如来、向って左に勢至菩薩、右に観音菩薩。いずれも高さ50cmくらいで姿はほぼ同じだが、宝冠の正面に、勢至菩薩は水瓶、観音菩薩は化仏が刻まれている)、毘沙門天(多聞天)などについて簡単に説明してもらいました。とにかく内容豊富で充実したワークショップでした。私は最近体力がとみに衰えてしまい、残念でしたが少し早めに切り上げてもらいました。
 
(2026年11月2日)