| 公開 |
2008年3月1日 |
| 監督 |
小泉堯史 |
| 原作 |
大岡昇平「ながい旅」 |
| 脚本 |
小泉堯史、ロジャー・パルバース |
| 音楽 |
加古隆 |
出演 |
藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックィーン、リチャード・ニール、富司純子、西村雅彦、蒼井優、田中好子、
加藤隆之、近衛はな、竹野内豊(ナレーション)、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
1948年、元東海軍司令官・岡田資(たすく)中将は、B級戦犯として巣鴨プリズンに収容され、横浜地方裁判所で裁判にかけれらていた。
1945年の名古屋空襲の際、撃墜したB29搭乗員の米兵“捕虜”38名を、正式な裁判を行わずに処刑したことが、その罪状だ。
証人尋問に続いて、岡田本人に対する尋問が繰り返された。
バーネット検察官の追求に対し、フェザーストン弁護人は、アメリカ人でありながら、岡田の弁護を誠実に行う。
岡田の主張は、こうである。
〜アメリカのB29が行ったのは、非戦闘員を標的とした「無差別爆撃」であって、国際法違反である。
だから、撃墜機からパラシュートで降下して日本軍に捕らえられた搭乗員は、「捕虜」ではなく、無差別殺人を犯した犯罪者である。
当時、東海軍は、優勢なアメリカ軍の攻撃にさらされて、その日暮らしをしており、第一総軍に指示を仰ぐことは不可能な状況だった。
よって、捕らえた米兵は、略式手続きを取って、処罰した。
これは、自分が司令官として決めたことで、部下のしたことは命令に従ったものであるから、全ての責任は司令官であった自分にある。
〜そして、法廷闘争を「法戦」と呼んで、戦い抜く覚悟であった。
法廷には、必ず妻・温子(はるこ)の姿があったが、言葉は交わせない。
巣鴨プリズンに収容されている、若い、元部下達を諭し、励ましながら、岡田は孤独な「法戦」を、毅然と戦い続ける。
その姿勢に、弁護人はもとより、検察官や裁判委員も、彼に対して好意的な思いに傾いた。
だが岡田は、裁判委員の助け船のような質問にも、自らの主張を全く揺るがすことなく応じ続けた。
判決が下る。絞首刑を言い渡され、岡田は「本望である」と告げた。
フェザーストンらが減刑運動を行う一方で、プリズンの岡田は、泰然として、執行の日を待つ・・・・・・・・・・。
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| 一言 |
冒頭で、第二次世界大戦が始まる前の、国際法における、空襲についての考え方を整理し、実際の戦争で何が起きたかを述べて、本編に入り、
しかも本編の大半は法廷シーン(残りもほぼ、刑務所のシーン)という、娯楽性を排除して(?)「戦争犯罪」について問う、実に真摯に作られた、重厚な映画です。
本作が問いかけているのは、大きく2点。
1点目は、この物語の題材である、名古屋空襲中に撃墜されたB29から脱出した搭乗員を、正式な裁判を行わずに処刑したことを巡る、東海軍司令官・岡田資中将の「戦争犯罪」。
2点目は、岡田資中将の裁判で争点になった「戦争犯罪」は、過去のものであろうか、ということ。
1920年代に、軍事目標以外への爆撃を違法とする国際合意が行われていたということを、知りませんでした。
現在でも「非人道的」という見方をされる無差別爆撃が、国際法に照らして「違法」であることにも、そのことを戦犯裁判で堂々と主張した日本人がいたことにも、驚きました。
ただ、だから略式手続きで処刑を決定した岡田が全くの無罪かというと難しいところですが(混乱状態の中で行われたことではある)、
少なくとも、処刑したのはジュネーブ条約で保護される「捕虜」ではなく、(無差別殺人の)「犯罪者」だったという言い分はもっともかと思えます。
そして、無差別爆撃が犯罪だとすると、21世紀になってもその「犯罪」が繰り返されていることになります。
しかも、岡田を裁いたアメリカによって!
この映画の主人公・岡田資中将は実在の人物で、実話が映画化された訳ですが、部下のやったことは全て司令官である自分に責任があるという一貫した態度にも、
裁判官も検事も(弁護人も)皆アメリカ人という法廷を、固い信念だけで戦い抜き、「本望」を遂げた姿にも、深い感銘を覚えました。
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