| 公開 |
2005年9月17日(山口県先行上映) |
| 監督 |
佐々部清 |
| 脚本 |
佐々部清 |
| 音楽 |
藤原いくろう |
出演 |
伊藤歩、藤井隆、鶴田真由、奥貫薫、津田寛治、橋龍吾、田山涼成、粟田麗、伊原剛志、黒田福美、福本清三、田村三郎、
水谷妃里、井上尭之、藤村志保、夏八木勲、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
東京の出版社の契約社員・橋本香織は、人気女優と大臣のスキャンダルをスクープ。
これで正社員になれると喜んだのも束の間、写真週刊誌に記事が載った日、その女優が自殺未遂。
香織は、故郷・下関に近い、福岡のタウン誌の編集部に異動させられた。
福岡に着任した香織は、1通の、匿名の葉書に目を止めた。
それは、昭和30年代から40年代に、下関の映画館・みなと劇場で活躍していた、幕間芸人を捜して欲しいという内容。
香織は、この取材を新しい職場での最初の仕事に決めた。
みなと劇場を訪れた香織は、支配人に会うが、5年前に先代が亡くなっており、今の支配人は、まだ子供だった当時のことはうろ覚え、
支配人の母は痴呆が始まっているという。
だが、昭和33年から働いている宮部絹代が覚えていた。その幕間芸人は、安川修平のことではないか、と。
絹代は、香織に語った・・・・
求人の貼り紙を見た安川修平がみなと劇場で働き始めたのは、昭和36年のこと。
何故か正社員ではなかったが、修平はよく働いた。
昭和37年のある日、映写機のトラブルでフィルムが切れる事故が起きた。
満員の客が騒ぐ中、修平が舞台に出て、即興で座頭市の物まねをして見せ、拍手喝采を浴びた。
これが“初舞台”で、以後、修平は幕間芸人として人気を博す。
昭和38年には、彼の芸を見にみなと劇場に通い詰めた良江と出会い、暮れに結婚。
昭和40年には長女・美里が誕生した。
昭和40年代には、テレビの普及で映画人気は衰退し、修平の給料も減らされて、生活は苦しくなる。
それでも、町工場で働く良江に支えられて舞台に立ち続けた修平だが、昭和45年、遂に解雇される。
これが、絹代の知っている全てだった。
香織はその夜、実家に泊まり、母の死後疎遠になっていた父・達也と過ごす。
翌日。香織が新たに得た情報といえば、みなと劇場の支配人から、母が「日本人がどうの、朝鮮人がどうの」と言っていたと聞いたことだけ。
実家での夕食時、香織がそのことをこぼすと、父・達也がその意味を推測した。
次の日、これをヒントに調査した香織は、安川修平の娘・美里の所在を探し当てる。
宋義徳と結婚し、一男・ソンジェをもうけた美里が、夫婦で営んでいる下関市内の焼肉店を、香織は訪れた。
美里の、修平がみなと劇場を解雇されてからの話は、辛いものだった。
修平の最後の舞台の直後、ずっと体調を崩していた良江が亡くなった。修平は、キャバレーの舞台に立つ生活を始めた。
だが、所詮素人の芸で、客には受けず、仕事が減り、生活は苦しくなる。
美里が中学に上がった頃、良い子にしていたらすぐに迎えに来ると言い残して、修平は一人で下関を離れた。
仕送りはすぐに途絶え、修平が迎えに来ることもなく、美里は施設に引き取られた。
迎えに来なかった理由と、従兄弟が韓国に来ないかと言ってくれていると書いた手紙が届いたのを最後に、修平の音信は途絶えた・・・・。
そして美里は、自分を捨てた父・修平が許せないと言うのだった。
安川修平の消息が掴めないまま迎えた、入稿起源の取材5日目。香織は、長府中学校時代の同級生・金田から電話を受け、カモンワーフで会った。
金田は、知人である美里の夫・宋から相談を受け、偶然に香織の名前を聞いて連絡したのだった。
宋は、美里の母・良江の33回忌に、美里が子供の病気で行けなかったため1人で訪れた臼杵の墓前で、良江が眠る墓に参る老人に会ったという。
偶然会ったその老人こそ、安川修平だったのである。
宋は、美里は実は父に会いたいのではないかと思い、きっかけを作ろうと、雑誌の記事なることを願って匿名の葉書を書いたことを告白した。
しかし、修平が今どこでどうしているかも分からない現状では、記事にならない。そこへ金田が、協力を買って出た。
香織は一旦、福岡の編集部に戻って、このままでは中途半端なので取材を続行したいと訴えた。
編集長は、ノーギャラを条件に、思いっきりやれと許可する。
金田が、修平の従兄弟の住所を調べて、香織に教えた。
修平の住所は分からなかったが、韓国・済州島の従兄弟を頼って行ったに違いない、修平と美里を会わせて欲しい、と言う金田に、香織は決心した。
香織は、済州島に飛んだ。修平の従兄弟は既に亡くなっていて、住所は変わっていたが、ようやく香織は修平にたどり着いた。
「遠かった・・・・。」
下関に帰った香織は、美里に会った。修平は美里が許してくれるなら会うと言っていると話す香織に、美里は会いたくないと言い放つ。
それでも、修平は下関に帰って来た。みなと劇場が閉館することになり、さよなら興業の舞台に出演することになったのである。
映画が終わり、絹代の紹介で、昔のようにギターを持った修平が舞台に立った。
久しぶりに満場の客を前に、修平は、日本映画黄金時代の懐かしい歌を歌う。
動かぬ美里に、せめて孫だけでもと金田に説かれて、宋がソンジェを連れてみなと劇場に駆けつけた。
舞台の上で、孫と対面を果たした修平は、ありがとうございました、と、深々と頭を下げた。
その頃、美里はみなと劇場のロビーに立っていた。
それから、しばらくして、済州島・・・・・・・・・・。
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| 一言 |
佐々部清監督が故郷・下関を舞台に撮った作品の第3弾。(撮影順では第2弾。)
前半は、主人公・香織が、幕間芸人・安川修平を取材する中で彼の半生を知り、
後半は、修平にたどり着いた香織が、修平と娘・美里を会わせようと奮闘。
又、この取材を通じて、冷え切っていた香織と達也の親子関係にも変化が、という展開。
日本映画黄金時代の、街の映画館を舞台に、「『日本版ニューシネマパラダイス』を作るつもりが『ニューシネマパラダイス 家族編』になっていた」という監督の言の通り、
2組の家族(父と娘)を暖かく描いた映画に仕上がっています。
下関を舞台にしたこの映画は、一方で、主要登場人物に在日朝鮮人がいて、彼らが差別を受けた事実も描かれていて、暗部から逃げない社会性のある映画でもあります。
ところで、見ていて、話が急に飛んだように感じた部分が、2箇所あります。
1つは、美里が拒否したにも関わらず、修平が下関に帰って来て、みなと劇場のさよなら興業の舞台に出演したこと。
もう1つは、美里が済州島に行ったくだり。
いずれも、その前のシーンがカットされているのではないかと勘ぐりました。
又、安川修平の後半生がほとんど語られておらず、美里を捨てて消息を絶った彼がどういう人生を送ってきたのか、定かではありません。
(今もギターを使って仕事をしている、とだけ。)
しかし、老年の修平を演じる井上尭之の笑顔が、語られていない年月を吹き飛ばしました。
それから、成人した美里を演じる鶴田真由の、子供のように泣く顔。
はぐれていた親にようやく会えて、ほっとして、嬉しくて、ただただ泣き笑いする幼い子供のような顔は、台詞など必要無く、
いくつになっても、何があっても無くても、親は親であり子は子であると、雄弁に物語っていました。
先に書いた疑問も、この泣き顔の前には、無力です。
さて。冒頭で「必ず本社に呼び戻す」と言われて福岡に赴任した香織ですが、この後、本社に戻すと言われても東京に戻らず、地方で今の仕事を続けることを選ぶだろうと思います。
大都会で人のスキャンダルを追うよりも、もっと素晴らしい仕事がそこにあると知ったから。
〜考え過ぎかもしれませんが、そう思える、爽やかな後味の映画でした。
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