「デスノート the Last name」

公開
2006年11月3日
監督
金子修介
原作
大橋つぐみ、小畑健
脚本
大石哲也、金子修介
音楽
川井憲次
出演
藤原竜也、松山ケンイチ、戸田恵梨香、片瀬那奈、藤村俊二、鹿賀丈史、五代路子、満島ひかり、中村育二、 青山草太、清水伸、奥田達士、小松みゆき、清水伸、津川雅彦、マギー、上原さくら、前田愛、中村獅童、池畑慎之介、他
備考
前後編の内の後編。前編は6月公開。
物語
 「キラ事件で恋人を亡くした」悲劇の人として同情を集めた夜神月(ライト)は、「キラ逮捕に協力する」ためにキラ対策本部に入ることに成功した。 だが、キラその人である月の真の目的は、事実上捜査の指揮を執っている名探偵Lの素顔と本名を知って、デスノートで抹殺すること。 一方のLは、月=キラの疑いを持ち続けており、月とLの頭脳戦は新たな局面に突入した。
 捜査が膠着する中、「第2のキラ」が現れた。 テレビ放送を利用して、その力を見せつけて、キラに力を合わせようと呼びかけた、「第2のキラ」は、キラ=月をみつけて家に押しかけてきた。 その正体は、アイドル弥海砂(あまねみさ)。 彼女は、家族を皆殺しにされた過去を持ち、逮捕されながら容疑不十分で釈放された犯人がキラに抹殺されたことから、キラの信奉者になっていた。 そして最近、海砂自身が殺されそうになった時、彼女のことをずっと見守っていた死神ジェラスに救われた。 人間を救うことは死神の掟に反していたためジェラスは消滅したが、引き続き見守ることをジェラスに頼まれた死神レムが、ジェラスのデスノートを海砂にもたらし、彼女は「第2のキラ」になったのだった。 海砂はまた、寿命の半分と引き替えに、顔を見ただけで本名(と寿命)を知ることが出来る「死神の目」を手に入れていた。 協力を申し出る海砂を、月は受け入れた。 海砂が付けた条件は「恋人になること」だったが・・。
 偶発的に、海砂がLの顔を見た。 だが、海砂が知ったLの本名をキラが聞く前に、海砂はキラ対策室に拘束された。 Lは独自に、「第2のキラ」=海砂の可能性にたどり着いていたのだ。
 キラ対策室で、海砂の監禁は続くが、海砂は口を割らない。 数日後、月は自ら「キラかもしれない」と申し出て、海砂同様に監禁された。
 それから幾日かして、月と海砂が監禁されてから止んでいた、犯罪者の突然死がまた起きた。 一応容疑が晴れて、軟禁状態ながら月と海砂は監禁室から出され、キラは捜査協力に戻った。
 キラそっくりの傾向で犯罪者を抹殺する「第3のキラ」は、ずっとキラ事件を追っていたテレビ局員・高田清美。 彼女は、レムから渡された(ジェラスの)デスノートを使っていた。
 月は、キラと「第3のキラ」による殺人の僅かな傾向の違いから、正体は高田清美だと絞り込んだ。 キラ対策室の仕掛けた罠にはまって追い詰められた彼女は、捜査員の目の前で、心臓麻痺で死亡した。 全ては、デスノートのルールを熟知し駆使する、月=キラの計画通りに運んだことなのだが・・。
 「第3のキラ」こと高田清美の遺したデスノートは、キラ対策室に押収され、レム=死神の存在も明らかになったが・・・・ 高田清美がやったことは、“ノートに犯罪者の名前を書いただけ”。 デスノートの機能も、解明出来ない。 Lは、デスノートの分析をFBIに依頼することにし、月の父である本部長・夜神総一郎がデスノートをアメリカに運ぶため出発した。
 キラ対策室に、月とLだけが残った。 Lは、ワタリに海砂を連れて来させていた。 海砂は、月が隠していた死神リュークのデスノートを持っていた。 海砂の危機を知ったレムは、彼女を助けるためにLとワタリの名前を自らのデスノートに書き、ジェラスのように消滅した。 そして、Lもワタリも倒れた。
 完全勝利を確信した月は、海砂が持って来たリュークのデスノートに、父・夜神総一郎の名と、月に求める物を渡して死ぬことを記した。 果たして、ジェラスのデスノートを携えてアメリカへ出発した筈の総一郎が、月と海砂が待つキラ対策室に戻って来た・・・・・・・・・・。
一言
 これで決着かと思いきや、どんでん返しに継ぐどんでん返しで、エンドロールが流れ始めてやっと全てが終わったことが分かる展開。 140分近い長編ながら眠気を催す暇など無い、優れた娯楽映画。 又、人の死、人が人を殺すことを題材にして、ぼかすことなく主張を明確にしている点においても優れた作品だと思います。
 デスノートを手にして以来、犯罪者を抹殺して犯罪の無い世界を作ろうとして、いつしか自己防衛のために大切な人の命まで奪うようになった月=キラと、 犯罪捜査のためなら犯罪者の命を道具にしてしまうL。 2人の天才の頭脳戦は、こうなるだろうと予想出来た結末を迎えました。 でもそれは、然るべき結末と言うべきでしょう。
 劇中、キラの行うことを「正しい殺人」と呼んで擁護する政治家が現れるなど、犯罪者を抹殺することは一定の支持を得られそうなこと。 しかしこの映画を見終えると、「正しい殺人」など無い、いかなる理由を付けても、殺人は殺人、ということがはっきり謳われていることが分かります。 正義を振りかざしたところで、人殺しは人殺し、人を殺した報いは受けなければならない・・・・前編を見終えた時に似ていると感じた小説「クロスファイア」、 また同じ金子修介監督による映画「クロスファイア」に通じるものがあります。 この結末は受け入れなければならないと思います。
 寂しく、虚しさの漂う、“1年後”のエピローグは、人の死がもたらすものが何であるかを、静かながら力強く語っています。 又、それでも楽しんでいるのは、死神だけだとも。



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