| 公開 |
2008年9月27日 |
| 監督 |
瀧本智行 |
| 原作 |
間瀬元朗 |
| 脚本 |
八頭弘幸 |
| 音楽 |
稲本響 |
出演 |
松田翔太、笹野高史、柄本明、劇団ひとり、金井勇太、塚本高史、りりィ、北見敏之、佐野和真、風吹ジュン、
塩見三省、山田孝之、成海璃子、井川遥、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
国家繁栄維持法。死の恐怖から生命の価値を国民に意識させ、犯罪の抑止と生産性向上を目的とする法律。
そのために、1000人に1人の確率でナノ・カプセルが仕込まれた予防接種を、全ての国民は小学校入学時に受ける。
そのナノ・カプセルは、18歳から24歳までの間に、設定された日時に破裂し、その者を死に至らせる。
“国家の礎”として“国繁死”する24時間前には、「死亡予告証」、通称「イキガミ」が本人又は家族に届けられ、最後の24時間を有意義に過ごすための様々な特典も用意されている。
「25歳になった」藤本賢吾は、厚生保健省で、政府が発行する死亡予告証を届ける職に就いた。
この制度に疑問を抱きながらも、藤本は、“配達人”としての仕事をこなし、慣れつつあった。
売り出し中のミュージシャン・田辺翼は、母親と二人暮らし。
夜遅くに帰宅して、留守中に配達されたイキガミを、呆然とする母親から受け取り、愕然とする。
死の数時間前まで無為に過ごした翼は、かつて「コマツナ」として路上で歌っていた相棒の森尾秀和に会いに行くが、本当のことが言えなかった。
その夜は、スカウトされた事務所の社長に組まされた、気の合わない相方と「T−birds」として、音楽番組の生放送が待っていた。
出番が来た翼は、唖然とする相方を無視して、「コマツナ」時代の歌「みちしるべ」を一人、絶唱する・・・・・・。
滝沢直樹は、引きこもりだった。
政治家の母・和子は、国繁法支持を熱烈に訴えて選挙の真っ最中。父・信利は、和子の秘書をしている。
自殺しようとしていたのを止めて、直樹に、藤本はイキガミを渡した。
イキガミが届いた息子に、和子は、自分の応援演説を頼む・・・・。
直樹は、金属バットで交番の警官を襲い、拳銃を奪った。
警察が警戒する中、和子が街頭演説する広場に、直樹が現れ、発砲、群衆は逃げ惑う。
1発目は看板を壊し、直樹は母親を拳銃で狙うが、なかなか引き金を引けない・・・・・・・。
飯塚さとしは、ヤクザの下で、恐喝まがいの仕事をしている。幼い頃に交通事故で両親を失い、妹・さくらは失明して施設で暮らしている。
稼いだ金でマンションを買って、妹とまた一緒に暮らすのが夢だ。
イキガミの不在通知で死が迫っていることを知ったさとしは、さくらの眼科の主治医・近藤に事情を話し、自らの角膜をさくらに提供することにした。
急いでさくらを入院させたが、藤本がイキガミを再配達に来たことで、角膜の提供者が兄であることと、兄の死が迫っていることにさくらが気付いてしまう。
さとしは藤本の無神経に激怒したが、後の祭り。
しかし、責任を感じた藤本は、病院の時間を1時間早めて、さくらを“だます”ことを提案。
さとしと藤本と、近藤をはじめとする病院の職員、それに入院患者まで巻き込んで、さくらをだまそうと必死になる。
さくらは疑い深く、何度も何度も、時間を確認しようとするが、藤本達は何とか、さとしの死亡予定時刻が過ぎたと信じさせ、彼女を手術室に見送る・・・・・・。
藤本の、死亡予定者への感情移入と干渉は、重大な規律違反であり、厳しい処罰の対象であった。
彼には、参事官達による尋問が待っていた・・・・・・・・・・。
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| 一言 |
主人公・藤本賢吾の役どころは、「スカイハイ」のイズコや、「Sweet Rain 死神の精度」の死神・千葉にどことなく似ています。
「死」をはさんで、人の生き方を見るところも、両作に似ています。
“3つの選択”をさせるイズコや、死を“実行”するか“延期“するかを判断する死神・千葉と違って、単なる配達人の藤本は、
主人公でありながら物語の傍観者的立場が強いのですが(能動的に行動することは処罰の対象!)、
イズコも死者に過度に関わって行動すると主に戒められたので、大同小異といったところでしょう。
さて、どことなく似ている「スカイハイ」や「Sweet Rain 死神の精度」と決定的に違うのは、
「イキガミ」の世界では、18歳から24歳までの寿命が確率1000分の1の無作為抽出で、国家により決められてしまうということ。
しかもこの法律=国家繁栄維持法が、(設定から推測して少なくとも)数十年間、粛々と施行されているという空恐ろしさ!
受け取ったら戦場に送り出されるアカガミ(赤紙=召集令状)よりも恐ろしいと言えるかもしれません、イキガミは。
(赤紙は生還の可能性が0ではないが、イキガミは死亡率100%。)
死の恐怖から命の大切さを自覚し、犯罪発生件数の減少と生産効率の向上をもたらす〜という思想が支配している世界で、
1000分の1に当たってしまった人が、最後の24時間をどう生きるかを描く、この作品。
ある者は最高の輝きを放って息絶え、ある者は無駄死にのように絶命したが遺された家族を変え、ある者は闇に暮らす妹に光を与えた〜
それぞれ、感動の物語・・・・と言いたいところ、どうにも後味の悪さが残りました。
個人は必死の思いで生きた、けれど社会は変わらない、国家の行為を疑問に思っても変えることは出来ない、声を大にして異を唱えることすら出来ない
・・・・映画が終わっても、作品世界では、非情な国家事業が淡々と続くのです。
社会を変えるなんて簡単ではないから、せめて個人は一所懸命に生きてみよう、ということなのか。
超管理社会の恐怖を思い知ってもらおう、ということなのか。
この後味の悪さは、いろいろと考えさせます。
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