| 公開 |
2004年10月30日 |
| 監督 |
土井裕泰 |
| 原作 |
市川拓司 |
| 脚本 |
岡田恵和 |
| 音楽 |
松谷卓 |
出演 |
竹内結子、中村獅童、武井証、浅利陽介、平岡祐太、大塚ちひろ。中村嘉葎雄、市川実日子、YOU、松尾スズキ、小日向文世、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
〜森に近い家の朝。今日で閉店するというケーキ屋が、最後の約束のバースデーケーキを届けに来た〜
妻・澪が死んで1年。秋穂(あいお)巧は、息子・佑治と2人暮らし。
“病気”のため人混みに入ることや激しい運動が出来ない巧は、同僚に支えられて、司法書士事務所で事務員をしている。
佑治は、母・澪が描き残してくれた絵本の物語を信じていた。
死んでしまった大切な人はアーカイブ星に行っていて、雨の季節になったら帰ってくる・・・・巧もまた、信じていた。
雨の日。森の廃屋で佑治が探し物をしていて、巧がそれを見ていた時、澪が現れた。
ただし、自分の名前も、家族のことも知らない澪・・・・彼女には記憶が全く無かった。
だが巧と佑治は、彼女を妻であり母であると教え、家に連れて帰った。
記憶が無い澪と、彼女が一度死んだことを内緒にする巧と佑治と、3人の生活がぎこちなく始まった。
澪にせがまれて、巧は、2人の歴史を語った。
高校時代の巧は速く走ることに夢中な「陸上バカ」だったこと、高校2年の春に同じクラスになり、2年間席が隣同士だったこと、
巧が澪に片思いしていたこと、でもほとんど口もきかないままだったこと、卒業式の日に澪に頼まれてサイン帳に書いたこと、
その時にペンを挟んだままサイン帳を返してしまったこと、巧は地元の大学に、澪は東京の大学に進学したこと、
澪が帰省した時にサインペンを返してもらうことを口実に電話して呼び出したこと、「ダムが決壊したように」一方的に喋った初めてのデートのこと、
初めて手をつないだ時のこと、手紙のやりとりをしたこと・・・・。
澪は、「もう一度あなたのことを好きになりたい」と呟いた。
改めて、巧は語る。
陸上の練習のし過ぎで脳の中で何かが起きて、体をコントロールすることがうまくいかなくなってしまい、巧から一方的に別れの手紙を送ったこと、
大学も辞めてしまった巧を訪ねた澪を、巧は追い返してしまったこと、
でも澪に会いたくなって雨の季節に東京に行ったものの、澪の姿を見ただけで帰ってしまったこと、
ひまわりが咲く季節に澪が巧の元に現れ、巧は病気のことを話し「ふさわしくない」と言ったけれど、澪は「大丈夫」と受け入れたこと、
そして2人は結婚して、佑治という子供が生まれたこと・・・・。
ぎこちなく始まった3人の生活は、段々“普通”になり、巧の勤めは充実し、学校での佑治も生き生きしていた。
家事をこなして幸せに過ごす澪は、ある日、佑治と一緒に探し出したまま開けていなかったタイムカプセルを、1人で開いた。
巧には秘密で澪と2人で埋めたと佑治が言っていたタイムカプセルの中には、澪が巧からもらった手紙と、日記が入っていた。
日記を読んだ澪は・・・・涙を流す。
それからの澪は、佑治に、目玉焼きの作り方や洗濯物の干し方や、いろんなことを教えた。
初めて町に出て、巧の同僚に後事を託したり、ケーキ屋で佑治の18歳までのバースデーケーキを予約したりした。
少し早めに、佑治の誕生日を祝ったりもした。
7月の終わり、雨の季節が終わる日。
母が消えると思った佑治は学校から、妻が消えると思った巧は勤め先から、走った。
雨の季節の始めに澪が現れた場所で、自分を生んだせいで母が死んでしまったと悲しむ息子に澪は、佑治は幸せを運んでくれたのだと言う。
一緒に生きて良かったと思って欲しかったと悔やむ夫に澪は、巧を好きになってずっと幸せだったと言う。
そして、澪は、消えた。
陸上競技場のスタンドで、巧は1人、澪が遺した日記を読む。
巧が知らなかった真実、そして、澪の気持ちを・・・・・・・・・・
※上の空白部分は、重要な事実のネタばれになるので、文字色を背景と同色にして、読めなくしてあります。
既に見ているから大丈夫、あるいは気にしないという方ば、マウスでドラッグすると、背景が白色に反転して、読めるようになります。
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| 一言 |
竹内結子がヒロインで、死者が期間限定で帰ってくる設定、といえば、前年に相次いで公開された「黄泉がえり」と「星に願いを。」と同じで、まるで柳の下の3匹目のドジョウのような印象を受けます。
実際見ていて、「そろそろ現れるぞ」とか「もう消えるぞ」とかいったことを思い、事実そうなったのですが、前2作に全く引けを取らない映画でした。
又、宣伝上は“「世界の中心で、愛をさけぶ」に続く純愛映画”という売り方をされていますが、「世界の中心で、愛をさけぶ」よりも粗が少なく、全体的な完成度は高いと感じました。
物語の基本的な部分は設定が全てですが、“前2作”と違うのが、死者が帰ってくることが家族(夫と子供)には分かっていたことと、帰ってきた死者には全く記憶が無いという2点。
だから、夫も子供も死者が帰ってきたことに腰を抜かすことなく歓迎し、帰ってきた死者は何も分からないから戸惑い、3人はぎこちなく共同生活を始めることになります。
そして改めて関係を作っていく(「もう一度好きになる」)過程が、いいのです。
終盤にさしかかると、予定通りに別れの時が訪れます。
別れは悲しいものですが、“分かっていた”別れが“予定通り”に訪れたのであり、大切なことはちゃんと伝えられたので、悔いの残らない別れでした。
さて、澪が消滅した後、謎が残りました。
20歳の頃、巧が冷たく澪を遠ざけたのに、何故澪はまた巧の前に現れたのか?
そして、澪は何故死後、「雨の季節」だけ帰ってきたのか?
前者については、ただのエピローグかと思われた、陸上競技場のスタンドで巧が澪の日記を読むシーンで、一気に氷解しました。
巧の片思いだと説明されていた高校時代、実は澪も片思いしていたこと!
しかも、澪の方が先に巧のことが気になっていたこと!
いろんな場面で巧少年が考えていたのと、同じことを澪も考えていたこと!
・・・・これには、目から涙の代わりに(?)ウロコが落ちるような気分でした。
そして、20歳の澪が交通事故に遭い、病院で意識不明だった間、彼女の意識は28歳で死んだ1年後に“ジャンプ”し自らの生涯を知った、という事実!
(つまり、本編の“帰ってきた”澪は、死後蘇った澪ではなく、時空を超えてやって来た、20歳の澪!)
巧と結婚して、佑治という子供を産んで、28歳で死んでしまう・・という自らの短い生涯を知り、それでも、巧の側にいたいが為、将来生まれ来る子供に会いたいが為、運命を受け入れて、別れを告げた巧に飛び込んでいった澪。
巧の回想では、何故澪と結婚出来たのか不思議だったのですが、澪が書き遺していた真実により疑問が氷解し、同時に20歳の澪の覚悟と決意には強い衝撃を覚えました。
だから「いま、会いにゆきます」なのか、と。
「黄泉がえり」では死者が期間限定でよみがえった理由が謎のままでしたが、本作では、澪が「雨の季節」の間だけ帰ってきたことも、
20歳の澪が交通事故に遭って意識不明でいた時期がそうだったからだと(この期間に意識が“ジャンプ”した)、納得出来ました。
結局映画が終わって残った大きな謎は、何故20歳の澪の意識は9年後にジャンプしたのか、ただこの一点ということになります。
この点にまで理由を求めるのは、もはや野暮でしかないでしょう。
不思議だけれど事実、と受け入れれば、この作品は、ただただ素敵な物語です。
あえて難を言えば、主題歌が、合っていない気がします。
パンフレットに掲載されている歌詞を読むとそうでもないのですが、映画館でラストシーンに続いてこの歌が流れた時、(音量のせいもあるでしょうが)うるさいと感じてしまいました。
エンドロールでは、澪が佑治に描き残した絵本のページがめくられ、それを見るBGMには、賑やかすぎるものでした。
もっとゆったりした曲が似合っていると思います。
長く書きましたが、何がこの映画の魅力かといえば、見せ場とか山場ということよりも、全編が観客を泣き笑いさせる作りだということ。
つまり、巧と澪(と祐司)の過ごした、何でもない時間が、ともすればぎこちない時間が、いじらしくて、おかしくも、愛おしい映画です。
※上の空白部分は、重要な事実のネタばれになるので、文字色を背景と同色にして、読めなくしてあります。
既に見ているから大丈夫、あるいは気にしないという方ば、マウスでドラッグすると、背景が白色に反転して、読めるようになります。
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