「北の零年」

公開
2005年1月15日
監督
行定勲
脚本
那須真知子
音楽
大島ミチル
出演
吉永小百合、渡辺謙、豊川悦司、柳葉敏郎、石田ゆり子、石橋蓮司、香川照之、石原さとみ、吹越満、奥貫薫、阿部サダヲ、 金井勇太、大後寿々花、モロ諸岡、榊英雄、寺島進、忍成修吉、田中義剛、馬淵晴子、大口広司、藤木悠、平田満、鶴田真由、他
備考
  
物語
 明治の初め。阿波・徳島本藩との間のいざこざをきっかけに、新政府から北海道移住を命じられた淡路の洲本城代・稲田家。 家老・堀部賀兵衛や小松原英明をはじめとする先遣隊に続いて、小松原の妻・志乃と娘・多恵を含む第一陣が北海道・静内に上陸した。 一同は、その地に殿を迎えて新しい国を作るべく、開墾と建設に励んだ。
 第2陣を乗せた船が難破して後続の来ないまま、初めての厳しい冬が過ぎた。 皆が待ち望んだ殿が、ようやく静内に到着。だが、随行の重臣の口から、廃藩置県により「藩」が無くなったこと、皆の開墾している土地は新政府の管轄となったことが知らされた。 さらに、殿の一行は、そのまま引き上げてしまった。残されて、落胆する人々・・・・。 だが、英明はこの地に踏みとどまることを真っ先に宣言して髷を切り落とし、皆それに続いた。
 2年目の開墾地に、淡路から持って来た作物は根付かない。 堀部は、英明に、札幌に行って、北海道でも育つ稲を手に入れることを命じた。 田植えに間に合わせるために、2週間で帰ることを約束して、1人旅立つ英明。しかし英明は帰らなかった。
 2度目の冬。作物が育たなかったために、稲田家移民団の食糧事情は深刻となる。そこへ、商人の持田倉蔵が、食糧を持ってやって来た。 その食糧は、本来移民団が受け取ることが出来る筈の扶持米だが、移民団はそんなことは知らず、倉蔵のなすがまま。 倉蔵はあくどく移民団を屈させ、増長し、間宮伝蔵の妻・加代と関係を持つ。
 英明の帰りを待つ志乃親子は、最初の夏に熊に襲われた多恵が助けられて以来、アシリカという、アイヌの古老・モノクテと行動を共にする男に陰ながら支えられていた。 倉蔵の支配力が増す中、皆が食糧不足に陥ったのは、英明が裏切ったからだと、志乃に対する風当たりが強くなる。 ある日、志乃は多恵を伴って豪雪の中を旅立ち、行き倒れた。
 5年後。雪の中で行き倒れた志乃親子は、通りかかったお抱え外国人・ダンに助けられて、牧場経営を教わっていた。 今や志乃の牧場で育てられる馬は、移民団の農民達の貴重な力となり、開墾地はようやく作物が実るようになっていた。 その志乃が、役人に呼び出されて、戸長の事務所に赴いた。 馬留場で働く男は間宮伝蔵。戸長の部下達は、堀部賀兵衛はじめ、かつての稲田家の武士達。そして戸長は、あの持田倉蔵で、その妻は加代だった。 戸長として倉蔵は、志乃に新政府の命令を告げる。西郷隆盛の反乱軍と戦う政府軍のために、馬を提供せよ、と。
 馬を取り上げられたら、開墾地の農耕が立ち行かなくなる。さらに、それ以上の災難が開墾地に襲いかかった。 イナゴの大群が襲来したのである。 急行したアシリカの助言で、あえて畑に火をつけてイナゴの群れを追い払うことに成功したものの、作物は壊滅的打撃を受けてしまった。
 札幌から、新政府の役人が派遣されて来た。役人の名は、三原英明・・・・元の小松原英明その人である。 英明は馬の徴発に来たのだった。志乃には高圧的に命じた倉蔵だったが、イナゴの被害の後、村人が静内を続々去る状況で、今、馬まで失ったらおしまいだと訴えるものの、英明は聞き入れなかった。
 戸長の事務所を去ると、英明は、志乃の牧場に赴いた。かつての夫を、かつてのように迎え入れようとする志乃。 しかし英明は、札幌に着いてから病に倒れて死にかけたこと、命の恩人と新しい家族になり過ごしていたことを話した。 そして、馬を提供するよう告げる。志乃には受け入れがたい話。英明は、退去した。
 翌日。部下と20人ばかりの兵を連れた英明が、馬を徴発するために、志乃の牧場にやって来た・・・・・・・・・・。
一言
 史実を元に、豪華キャストで、厳寒期を含む北海道ロケを敢行して製作された、上映時間2時間48分に及ぶ大作。 激動の時代の荒波に翻弄され、流されそうになりながら、誇りを失わずに(あるいは取り戻して)、自らの力を信じ、夢に向かって、困難に立ち向かおうとする人々の物語は、見応えのあるものでした。
 この映画を見ていて、騙されたのは、英明の立場。 最後の最後まで「彼には何か考えがある」と思い込んで見た結果(これは、吉永小百合演じる志乃の信じる思いに引っ張られたせい)、結末に釈然としないものが残ってしまったのです。 英明を信じずに、時代の中で変わってしまった人として見るべきでした。
 ところで。時代考証もしっかりしていてよく作り込まれていると思われる今作ですが、クライマックスに過ちが。 それは、間宮伝蔵の台詞に「ゼロから始めた〜」という下りがあること。「ゼロ」は「ZERO」、つまり英語。 明治初期の、敢えて時流に乗ることを拒絶した男が、果たして英語を使うのか?「一から始めた〜」と言う方が自然だったと思います。 しかも、タイトルは「きたのぜろねん」と読ませているが、英語表記では「YEAR ONE IN THE NORTH」、つまり「北の元年」。 題名は「北の零(ゼロ)年」の方が強い印象だからいいとして、それを本編にまで持ち込んだことにより、不自然になってしまいました。
 行定監督の前作「世界の中心で、愛をさけぶ」では、アキの父がアキを車に乗せて走り去るシーンで、昭和61年当時のものらしい車を使いながら、画面内に平成時代の車が駐車しているのが入っていました。 良い映画を作っていますが、詰めが甘いのが惜しまれます。



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