「この胸いっぱいの愛を」

公開
2005年10月8日
監督
塩田明彦
原作
梶尾真治
脚本
鈴木謙一
音楽
千住明
出演
伊藤英明、ミムラ、勝地涼、宮藤官九郎、倍賞千恵子、富岡涼、吉行和子、愛川欽也、坂口理恵、金聖響、 中村勘三郎、古手川祐子、臼田あさ美、ダンカン、他
備考
  
物語
 2006年1月。百貨店に勤める鈴木比呂志は、224便に乗り、北九州市に出張した。 そこは、彼自身が、父が亡くなった後、9歳から10歳の1年間を、祖母が営んでいた旅館に預けられて過ごした場所でもある。 今は人手に渡ってしまった、祖母の旅館の前まで行った比呂志は、飛び出してきた男の子を見て驚く。 それは、20年前の彼自身!
 喫茶店に入り、新聞やカレンダーを見て比呂志は、1986年にタイムスリップしていることを知る。 同じく224便に乗っていたチンピラの布川輝良とも出会い、携帯電話も存在しないこの時代での連絡方法を決めて別れた。
 直後、比呂志は、20年前の出来事を思い出して大急ぎであの旅館に飛び込み、かつての彼自身が起こした火事を、小火で食い止めた。 旅館の人々は驚くが、これをきっかけに、この時代で行き場の無い比呂志は、偽名を使って、住み込みで働かせてもらうことに。 寝起きする部屋は、「ヒロ」と呼ばれていたこの時代の比呂志と一緒。奇妙な共同生活が始まった。
   1986年のヒロには、青木和美という、バイオリンを弾く、憧れの「お姉ちゃん」がいた。 比呂志は、和美が難病にかかっていて、手術を拒否し、間もなく死んでしまうことを知っている。 だが、この時点ではまだ彼女は生きていた。
 布川は、ある保育園を訪ね、お腹の大きな保母の様子をのぞき見し、彼女と言葉を交わし、逃げた。 その保母は、難産で布川を生むと同時に死んでしまった、布川の母・靖代。お腹の中の子は、布川自身なのだった。
 比呂志と布川は、連絡を取って会い、状況を報告しあった。そこに、224便の乗客だった、影の薄い男・臼井光男が現れた。 臼井は、もう一人タイムスリップしていた、224便の乗客の話をした。 彼の話は〜 気が付いたらずっとバスに乗っていた彼は、224便に乗り合わせていた盲目の老婦人をみつけた。 彼女は、1986年前にタイムスリップしたことを知ると、喜んだ。 彼女は、20年前に自分が入院していた間に死んでしまった盲導犬・アンバーの最期を看取れなかったことが心残りだったのだ。 臼井もつき合って、老婦人は、アンバーが預けられていた施設に向かった。 そして、まだ生きているアンバーとの再会を果たして、彼女は消滅した。 〜というものだった。 布川が呟く。どうしてもやり直したかったことに決着をつけたら、元の世界に戻れるということなのか?
 比呂志は、20年前に“和美姉ちゃん”を救えなかったことを引きずっていた。 ヒロと将棋で勝負して勝った比呂志は、後悔しない人生を送るため、人生改造の10箇条を課した。
 和美の病状が、悪化した。それを知ったヒロは、祖母の旅館から飛び出してしまう。 20年前に、和美が死んでしまうという事実を受け入れられず、東京の母の所に逃げたことを思い出した比呂志は、ヒロを港でみつけて連れ帰った。
 和美の死期は近い。手術をすれば助かるかもしれないが、成功率は低く、うまくいっても障害が残る可能性もある。 障害が残ってバイオリンが弾けなくなれば、生きている意味が無いと、手術を拒否する和美に、比呂志は説得を試みるが、彼女は受け付けなかった。
 ある日、比呂志は海岸で、焼け焦げた飛行機の座席をみつけた。さらに、突然背中からナイフで刺され・・・・・! 布川は言う。今見たのが、真実だと。
 意を決した比呂志は、北九州市内で開くコンサートのリハーサルをしているオーケストラを訪ねて、命と引き替えになってもいいと、ある頼み事をした。
 コンサートの日。比呂志が用意したチケットを持って、和美の父が、和美をコンサートに連れ出した。 コンサートは開演。途中、指揮者が、今は無名だが極めて高い才能を持った人、と和美のことを披露、舞台へ誘う。 既に手が思うように動かなくなっている和美は、しばらく考えて、舞台に上がった。
 その頃、布川は、保育園を辞めてラーメン店で働いていた靖代と再会していた。 布川は、靖代が難産で死んでしまうと告げ、どうせろくな人間にならない子供のために、どうして命をかけたのかと詰め寄る。 だが靖代は、布川の手をお腹に当てさせ、この子はもう生きているのだと答えた。 布川は、立ち去りながら、靖代の子に生まれて良かったと言い残し・・・・・・・・・・。
 また臼井は、20年前に住んでいた辺りの近所の、初老の男と会っていた。 男は、きれいに咲かせていたのにメチャメチャにされた花を片付けていた。 近所の、影の薄い子供がやったのだと分かっているが、また花を咲かせれば、その子が悩み続けることになるだろうから、もう花は植えない。 そう語る男に、臼井が泣きながら謝った・・・・・・・・・・。
 コンサート会場の舞台で、オーケストラと共に1曲演奏した後、和美は舞台裏に駆けて行った。 後を追って来た比呂志に、和美は訴えた。 こんなのでは駄目だ、もっと上手く弾けるようになりたい、もっと生きたい! その様子を、遅れて追って来たヒロが見ていた・・・・・・・・・・。
 2006年1月。街頭のテレビがニュースを流し、回想する人物・・・・・・・・・・。
一言
 「『黄泉がえり』のスタッフが贈る、未来からの黄泉がえり。」という触れ込みの作品。 確かに、「黄泉がえり」とはまた状況を入れ替えた、人の思いが起こした不思議な出来事の物語ですが、「未来からの黄泉がえり」とまで言ってしまうのはどうだったか・・・・。 (見る前から、ネタバレ状態。)
 それに、どうしても「黄泉がえり」と比較してしまい、相変わらず、あるいはそれ以上に話が飛ぶところがあったり、現象の原因がはっきりしないままだったりするのが気になりました。 『黄泉がえり」は、粗はあるけど全体としては良い映画だったけど、同じように粗があると、もう1回それでも良い映画とは言いにくいものです。
 野暮な比較をしなければ、これはこれで及第点の作品です。 軸になる比呂志の物語の他に、布川の物語、臼井の物語、それに老婦人の物語と、4つの物語が平行して進んで(老婦人だけは、臼井の語り)、どれも独立した作品になっても良いと思いました。 劇中、タイムスリップしてからの10数日間(?)をどうやって生活したのか、比呂志ははっきり描かれ、布川も示唆されているのに対し、全く分からないのが、臼井。 あの“影の薄い男”が、彼のラストシーンまでの間、どうやって違う時代の中を生きていたのか? 4つの物語の内、臼井のことが一番気になります。



学芸員室/映画掛TOPへ戻る