「ラスト・サムライ」

公開
2003年12月6日
監督
エドワード・ズウィック
脚本
エドワード・ズウィック、ジョン・ローガン
音楽
ハンス・ジマー
出演
トム・クルーズ、渡辺謙、真田広之、小雪、中村七之介。菅田俊、福本清三、原田眞人、小山田シン、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、トニー・ゴールドウィン、他
備考
  
物語
 ネイサン・オールグレン大尉は、南北戦争で戦功を挙げたアメリカ合衆国軍人だが、インディオを虐殺した戦いの後、誇りを失い、酒浸りの生活を送っていた。 1876年、そのオールグレンが、“反逆者”勝元と戦う軍隊を育成するために、招かれて日本に渡った。
 実力者・大村が牛耳って近代化を進める日本の軍隊は、農民出身者の集団で、銃の扱いもままならない。。 まだ無理だというオールグレンの意見は退けられ、早々に勝元の軍勢と戦うために出撃したものの、突撃して来る騎馬武者隊を見た兵はろくに戦うことなく潰走。 オールグレンは、取り残されて包囲された中で、負傷しながら何人かの敵を倒した末に、力尽き、捕らわれた。
 勝元の勢力下の村で、オールグレンは、勝元の妹・たかの家に預けられ、傷の手当てを受ける。 たかは、オールグレンが殺した武者の妻だった。
 体力を取り戻して、オールグレンは、村を歩いた。 彼が目にしたのは、剣術や弓術、格闘術等の鍛錬に励む侍達、一心に刀を打ち続ける鍛冶職人、農耕に勤しむ人々、そして彼らの長・勝元の、質素にして凛とした暮らしぶりだった。 勝元は、元々“天皇の指南役”であったが、古き侍の道に固執して、新政府から反逆者と呼ばれるに至っているのだった。 意外に流暢な英語を話す勝元との“会話”から、敵であっても礼儀を尽くし、「名誉」を尊ぶ侍の精神を知ったオールグレンは、村の人々と関わろうとして行く。 剣術の腕も上がり、最初は憎々しげに接していた氏尾もオールグレンを認めるようになって行った。
 1877年、祭でにぎわう村を、忍びの一団が襲った。 不意を突かれた勝元達だが、何とか襲撃者を撃退。 オールグレンも日本刀を手に、勝元を、そしてたかとその子供達を守って戦った。
 勝元が天皇に招かれて東京に出た。オールグレンも同道して、元の職に復帰した。 軍では、以前より兵の修練は進んでおり、最新鋭兵器・ガトリング砲まで備えていた。
 帯刀して参内した勝元は、大村の批判を浴びた。それでも刀を手放すことを拒否した勝元は、捕縛された。 そのことを知ったオールグレンは、彼自身を襲った刺客を仕留めた後、勝元の手勢と協力して勝元の救出に成功。一行は村に戻った。
 村は、政府軍の攻撃を受けるのが必至となった。 政府軍は近代兵器で武装した、何個もの連隊からなる大軍。勝元の手勢は約500で、武器は刀、槍、弓といった古式の物。 勝元の側にあって、オールグレンは共に策を練る。
 両軍が対峙すると、政府軍の大砲の斉射で戦いの火ぶたが切って落とされた。 砲撃で陣が崩れて敗走したとみせかけて、追撃にかかった政府軍歩兵部隊を深入りさせると、勝元軍は反撃を開始。 接近戦に持ち込んで、壮絶な斬り合いを展開した。
 戦いが続くと、勝元の手勢は数を減らして行った。 そしてついに、残った兵の先頭に立って、勝元が馬に乗り、政府軍の陣地に突撃を開始した。 オールグレンと氏尾が両側を固める。 銃撃の雨に氏尾はじめ兵はバタバタと倒れたが、ひるむことのない勝元軍に、大村はガトリング砲の発砲を命じた。 この攻撃で遂に勝元の兵は全員倒れた。 重傷を負った勝元は、近くにいたオールグレンに、自決の手助けを頼む。 大村の命令に背いて一存で攻撃を中止させて、この様子を見ていた、ガトリング砲の指揮官は、地に伏して頭を垂れ、兵達もそれに習った・・・・・・・・。
 戦いが終わり、天皇の御前では、大村がアメリカとの武器購入に関する協定を結ぼうとしていた。 そこに天皇に渡す物を携えた者の来訪が告げられた・・・・・・・・・・
一言
 主演はトム・クルーズであり、形式上の主人公はネイサン・オールグレンですが、本質的な主人公は、その精神(武士道、侍魂)がオールグレンの心の“名誉”を取り戻させた武士達であり、 その長である、渡辺謙演じる勝元であるといっても過言ではない、アメリカ・ハリウッド製の準日本時代映画といったところです。
 現実の1876年〜77年の日本で「勝元の乱」は起きておらず、そもそも政府を牛耳る政治家にして軍人にして有力財閥の頭領でもある人物(大村)も、 海外事情にも通じた「天皇の指南役」でありながら「議会」を離れて500人からなる“反乱軍”を率いた“侍の長”(勝元)も実在しないのですが、 前者を当時の政府の有力者だった大久保利通に、後者を参議の地位を捨てて下野し、彼を慕う武士達を率いて政府軍と戦った西郷隆盛(あるいはその他の士族達も)に擬すれば、 正に、明治時代初期に新政府に抗って死んで行った武士、そして彼らの死と道連れになった武士道(侍魂)の有様を描いていると言えるでしょう。
 明治時代の日本という設定で、史実を元に創作した時代映画と思えば(歴史映画ではなく)、政府の機構がちょっと変なのも(大村が政・軍・商を一手に掌握している、「議会」はまだ無い等)、 江戸城(皇居)が変なのも(平山城のようだったり、寺のような階段があったり)、地理が変なのも(勝元の村が富士山麓の「吉野の国」?)、政府が忍者に夜襲させたのも、御愛嬌の内でしょうか。 ただ、世界展開するハリウッド大作映画である以上、世界中で日本に関して誤った認識を植え付ける恐れはあります。
 舞台設定の難の他にも、オールグレンが武士道に感化されたという肝心なことも少々分かりにくい気がしましたが、ハリウッドの制作陣が日本の古き良き精神に敬服してこの映画を作り上げた事実には、 その精神を持っていた人々の子孫として、“礼”をもって対するべきでしょう。
 「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは有名な言葉ですが、“どう死ぬかではなく、どう生きるか”というハリウッド流(?)解釈が今日的かもしれません。
 日本人俳優を多く起用したことは効果的でした。 特に渡辺謙がアメリカでも高く評価されているようですが、勝元はむしろアメリカ人うけする侍像という印象を持ちました。 それよりもっと、真田広之演じる氏尾の、凄味の効いた武人ぶりが見事でした。



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