| 2001年5月12日 | |
| 藤 由起夫 | |
| 石松愛弘 | |
| 国吉良一 | 山田純大、保坂尚輝、榎木孝明、六平直政、水橋研二、夏八木勲、ムハマト・イクバル、 ローラ・アマリア、アウリア・アクサン、藤谷美紀、松原智恵子、藤村志保、津川雅彦、他 |
| ビデオレンタル中 DVD発売中(税別 4700円) |
|
| 太平洋戦争開戦、日本軍はオランダ領ジャワ島のオランダ軍を降伏させ、同地を占領した。 島崎中尉は、インドネシアの青年達を軍事教練する機関「青年道場」を創設、ヌルハディ、アセップら多くの青年が集まった。 島崎は彼らに、自分達の独立は自分達で勝ち取るものだと教え、厳しく指導した。 あまりの厳しさに、最初は反発していたヌルハディ達だが、徐々に島崎の教えを理解して行く。 戦局は悪化し、1945年8月15日、日本敗戦。ジャワ島にも、オランダ軍とイギリス軍が再び支配するべく来攻した。 抵抗する島崎の教え子達。 武器を求める彼らに、日本軍人の立場にある島崎は苦悩するが、武器庫の武器を持ち去ることを黙認した。 その島崎がオランダ軍に捕らわれ、捕虜虐待の容疑で拷問を受けるが、ヌルハディ達に命がけで救出された。 傷が癒えた島崎は、インドネシア独立の戦いに身を投じる決心をする。島崎を慕う、部下だった日本兵達もまた。 激しい戦闘の連続に、次々に倒れるインドネシア青年、そして日本兵。 多くの犠牲の上に、インドネシアの独立は現実のものになりつつあった・・・・。 |
|
| 第4回林忠彦賞受賞作品に、「帰らなかった日本兵」(長洋弘氏)というのがありました。
太平洋戦争が終わった後、日本に帰ることなく、インドネシアの独立戦争に身を投じた旧日本兵達の、年老いたポートレート群。
「ムルデカ 17805」は、実在した彼ら「帰らなかった日本兵」達の物語です。 全体として、大がかりな戦争映画。しかも、インドネシア国軍=現役の軍隊の参加で、迫力のある映像に仕上がっています。 難点、あるいは疑問点を二つ。 まず、冒頭で、日本が開戦に踏み切ったことを、「自存自衛のため」と言い切っています。 この映画は、一般的には「侵略戦争」とされるあの戦争は日本にとって恥ずべき事ばかりではないということを謳っており、実際そういう面もありますが、 劇中でも軍政を巡る議論があったように、果たして純粋に「自存自衛」かどうか。 この表現を、戦場になったアジア各国の人達はどう受け止めるか、興味あるところです。 もう一つは、後半が、ひたすら、戦闘、戦闘、また戦闘で展開して行ったこと。 インドネシア独立戦争の歴史を知らないと、各シーンがどういう位置にあるのか、さっぱり分かりません。 字幕でも、イメージ的に地図に線を引くのでも良いから、大局はどういう状態にあるのか、分かるようにして欲しかったところです。 全編を通してキーワード(合い言葉?)になっている「サンパイマティ(死ぬまでやれ)」。 一番印象に残る「サンパイマティ」は、島崎の友人・宮田中尉が、武器を持ち去るヌルハディに、自らの軍刀を渡しながら語ったものです。 「サンパイマティ。だが、無駄に死ぬな。」 ・・・・たくさんのインドネシア青年、それに日本兵が、正に死ぬまで戦いました。 きっと、無駄な死ではないと信じて。 けれど、この後、捕虜虐待の罪を着せられてオランダ軍に処刑された、宮田自身の死は、果たして無駄な死ではなかったか・・・・? ラストに、現在の年老いたヌルハディが、独立戦争戦没者墓地で宮田の遺児に、宮田から譲られた軍刀を握りしめて、インドネシア独立のために戦ってくれた日本兵達への感謝の念を告げるシーンがあります。 この映画のタイトルについている数字「17805」は、「皇紀2005年8月17日」の意。 正・副大統領となったスカルノとハッタが、独立宣言文に書き入れた年月日です。 西暦ではなく、(当時使われていた)日本の皇紀で。 太平洋戦争を戦ったことで、日本という国は今も非難にさらされますが、個々の日本人(日本兵)には、今もなお感謝され、尊敬されている人もいるということに、この映画は光を当てています。 歴史には、こういう面もあるのだと。 |