「しゃべれども しゃべれども」

公開
2007年5月26日
監督
平山秀幸
原作
佐藤多佳子
脚本
奥寺佐渡子
音楽
安川午朗
出演
国分太一、香里奈、森永悠希、松重豊、八千草薫、伊東四朗、占部房子、外波山文明、建蔵、下元史朗、
三田村周三、山本浩司、日向とめ吉、他
備考
  
物語
 今昔亭三つ葉(本名・外山達也)は、今昔亭小三文門下の、二つ目の落語家。 いつも和装で、古典落語一筋だが、自分の落語を確立出来ず、真打ちにはなれない。 噺家ながら、口より先に手が出る性格の持ち主である。
 ある日、おたふく風邪をひいた弟弟子の代わりに師匠・小三文の鞄持ちを務めて、カルチャー教室の話し方講座に行った三つ葉は、 美人だが極度に愛想の悪い十河五月と出会う。 師匠の話の途中で退出した五月を追いかけて、三つ葉は咎めるが、五月は帰る。 その後ろ姿に三つ葉は、落語を聞きに来いと言った。
 三つ葉の祖母・外山春子の茶道の弟子である実川郁子が、三つ葉に相談を持ちかける。 大阪から東京に転校してきた甥の村林優が、クラスに馴染めないので、落語を覚えさせて人気者にして欲しい、と。
 寄席の高座に上がった三つ葉は、最前列の真正面に五月がいるのを見て驚き、その日の噺は散々なものになる。 後で五月は、三つ葉に、どうしたらうまく話せるのかと問う。
 三つ葉と春子が二人で暮らす家で、三つ葉を先生に、五月と優を生徒に、話し方教室が始まった。 ただし、三つ葉に出来るのは落語だけ。だから、落語教室である。
 どこで噂を聞きつけたか、大男が一人加わった。 優が見破ったその男の正体は、元阪神タイガースの野球解説者・湯河原太一。 ただ、解説は相当下手らしい。 ひどく無愛想な五月と、大阪弁で調子よく喋る優と、口下手な湯河原、生徒3人の話し方教室は、ギクシャクしながら続いた。
 成り行きで、三つ葉と五月は、浅草のほおずき市に一緒に行く。二人で引いたおみくじは、揃って大凶。 三つ葉が買ってやると言うほおずきを、五月はいらないと言い張る。 五月は、去年一緒にほおずき市に来た男に振られたらしい。
 後日、五月の自宅のクリーニング店に、ほおずきが届けられていた。
 三つ葉は、密かに思いを寄せていた郁子から歌舞伎に誘われて、喜び勇む。 だが当日、郁子手作りの弁当を食べながら、彼女は来年結婚することに決まったと聞かされ、三つ葉はその“味のおかしい”弁当を半ばやけになってむさぼり食う。 その弁当が元で食あたりを起こし、三つ葉は病院へ・・・・。 ベッドの上で点滴を打たれている最中、小三文に一門会を開くと言われ、三つ葉は、まだ習っていない小三文の得意芸「火焔太鼓」を演ると宣言した。
 優が、クラスのボス・宮田と野球で対決することになり、湯河原が打撃指導した。 三つ葉は、「火焔太鼓」の稽古に打ち込み、自宅の落語教室をしばらく休みたいと五月に申し入れた。
 優が姿を消した。宮田との野球対決に負けたらしい。 手分けして探しても見つからなかったが、五月のひらめきで三つ葉の自宅を探すと、押入の中に、コミックを手に潜む優がいた。 思わずびんたする三つ葉、泣き出す優。
 屋台で湯河原と五月と酒を飲み、酔った三つ葉は、落語教室はやめだと言い、五月とはけんか別れになる。
 翌日は、今昔亭一門の一門会。 二日酔いの三つ葉は、小三文から差し出された迎え酒を飲み干し、高座に出た。 いつもとは別人のように噺す三つ葉は、堂々と“自分だけの”「火焔太鼓」を噺しきった。 客席の片隅に五月がいるのに気が付いたのは、噺が終わってからだった。
 三つ葉が優を訪ねると、彼は怒っても怨んでもいなかった。 そして、覚えた落語の発表会をいつするかと聞いてくる。 優の大阪版と、五月の東京版、「まんじゅうこわい東西対決」をすることになった。 五月の家には、留守中、日時を書いたチラシが届けられた。
 発表会当日、会場の外山家。優は同級生達を前に、大阪版「まんじゅうこわい」を披露。 その面白さに、宮田も笑った。優は宮田を、来てくれてありがとうと見送る。
 遅れて着いた五月は、座布団に座ると、予定の「まんじゅうこわい」ではなく、「一番好きな落語」を演ると言い、噺し始めた。 それは、「火焔太鼓」だった・・・・・・・・・・。
一言
 不器用な4人の群像劇。といっても大きな話しではなく、小さなきっかけをつかむまでの物語。
 見せ場は、一門会での三つ葉の「火焔太鼓」、優と五月の発表会、それにラストシーンの三つでしょうか。 この内、三つ葉の「火焔太鼓」は、スクリーンいっぱいに映し出される三つ葉役・国分太一が噺す姿を見ていると、本物の寄席に来たような感じがして、見応えがありました。 又、発表会での優役・森永悠希の「まんじゅうこわい」は、のびのびと噺す様が、見事でした。
 そして、五月役・香里奈は、ほとんど全編、無愛想。はっきり笑顔だったのは、春子に浴衣作りを習うシーンとラストシーンくらいのもの。 無表情を通り越して、いつも何か怒っているような無愛想顔は、時にシーンをくすりと笑わせるものにして、良い味付けになっていました。
 その五月は、表情からは何を考えているのか読み取るのは困難だったのですが、終わってみれば、“そこにいること”、“それをしていること”が五月の気持ちの表現でした。
 しゃべれどもしゃべれども、伝わらぬ思い。 何とかしたい4人の物語は、うまくしゃべろうとする物語ですが、もちろん言葉は大切だけれども、一番大切なのは、思いを伝えようとする気持ちそのものだというのが、この映画の結末の語っていることでしょう。 それがたとえ、拙い言葉であっても、言葉の代わりの行動であっても。



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