| 公開 |
2008年4月20日 |
| 監督 |
篠原哲夫 |
| 原作 |
藤沢周平 |
| 脚本 |
飯田健三郎、長谷川康夫 |
| 音楽 |
四家卯大 |
出演 |
田中麗奈、東山紀之、篠田三郎、壇ふみ、北条隆博、南沢奈央、樋浦勉、千葉哲也、富司純子、高橋長英、永島暎子、村井国夫、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
叔母の命日に墓参りをした帰り道、野江は美しい山桜の下で足を止めた。枝に手を伸ばすが、届かない。
そこへ、長身の武士が声をかける。「手折って進ぜよう」と、その武士は山桜の枝を1本、手頃なところで折り、野江に渡す。
彼の名は、手塚弥一郎。かつて野江を見初めてくれたが、母一人子一人の家であることを理由に、会うこともなく縁談を断った相手だった。
弥一郎は「今は幸せでござろうの」と問い、野江は「はい」とだけ答える。邂逅は、それで終わり、立ち去る弥一郎を、野江は見送った。
野江は、最初の夫に先立たれた後、二度目の結婚をして磯村家に入っていた。
しかし、磯村の夫も舅も蓄財に励むばかりで、姑は「出戻りの嫁」・野江に冷たい。
それでも、野江は必死に耐える日々を送っていた。
ある日、藩を揺るがす大事件が起きる。重臣・諏訪兵右衛門が、斬殺されのだ。殺したのは、弥一郎。
諏訪が富農と結託して私腹を肥やす陰で、貧しい農民達が苦しみ、餓死者すら出る惨状を見かねて、
誰一人異論を唱えることが出来ない相手に、弥一郎は一人、白昼堂々と義刃を振るうに至ったのだった。
彼は、事を為した後、自ら目付役宅に赴き、捕縛された。
この事件は、野江の人生をも変えることになる。
磯村の夫が、弥一郎のことを切腹は必至と罵倒した時、野江は初めてはっきり反抗的な態度を見せて、磯村家を離縁されたのだ。
再び実家の浦井家に帰った野江を、父・七左衛門も、母・瑞江も、弟・新之助も、妹・勢津も、やさしく迎え入れた。
弥一郎は、獄中生活が続いていた。
本来、即刻切腹となるべきところ、諏訪の悪行を知る重役達の中に弥一郎を擁護する声もあり、藩主が江戸から帰国するのを待って裁定を仰ぐことになったのである。
厳しい冬が過ぎ、春が来た。
野江は、1年前に弥一郎と邂逅した山桜の下に行き、通りすがりの百姓に1本折ってもらった枝を手に、手塚家を訪ねる。
一人、息子の無事を祈って待つ、弥一郎の母・志津は、「いつか、あなたが訪ねてきてくれると思っていた」と、暖かく出迎えてくれた。
藩主の帰国を待って、野江は手塚家に足繁く通って志津と時間を共に過ごし、弥一郎は牢で静かに時を過ごす・・・・・・・・・・。
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| 一言 |
同じ藤沢周平原作の時代劇映画といえば、山田洋次監督の三部作(「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」、「武士の一分」)と比較されてしまい、
それだけで損をしそうな気もします。
実際、同じような世界観で、似たような設定で、作り込み度がちょっと落ちる気がするし(言葉が現代語風で、時代劇としては逆に違和感)、
派手な見せ場を欠くし(剣豪と剣豪の決闘が無い)、結末も曖昧で、地味な印象を拭えません。
しかし、100分を切る上映時間(山田監督の三部作と比べると「短編」といえる)のシンプルな物語は、別な味わいのある佳作だと思います。
「山桜」が地味に感じられる原因の一つには、主演・田中麗奈と東山紀之の、抑えた演技が上げられます。
例えば、田中麗奈は、本来大きく華のある特徴的な目が、この映画の中では随分小さな目にしか見えません。
これは、役者の演技力がそう見せるのであり、役者の演技力を発揮した結果、映画が地味になった、とさえ思えるのです。
感動的に作り込まれたシーンは無いのですが、感じ入ったのは終盤、
牢の中でただ黙して正座している弥一郎と、手塚家で弥一郎の母・志津と一緒に手仕事をする野江とを、代わる代わる映した場面。
離ればなれどころか、会ったのも言葉を交わしたのもただの一度きりである、野江と弥一郎が、心が通じていて、既に夫婦であるかのように思えました。
徹底的に抑制された分、むしろ熱い純愛物語、というのが「山桜」のようです。
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