| 公開 |
2007年7月28日 |
| 監督 |
佐々部清 |
| 原作 |
こうの史代 |
| 脚本 |
国井桂、佐々部清 |
| 音楽 |
村松崇継 |
出演 |
麻生久美子、田中麗奈、藤村志保、堺正章、吉沢悠、伊崎充則、中越典子、粟田麗、金井勇太、田山涼成、
田村三郎、松本じゅん、桂亜沙美、小池里奈、浜葉みやこ、三村恭代、小松愛梨、飯島夏美、井之脇海、
慶田盛里奈、他 |
| 備考 |
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| 物語 |
「夕凪の街」
原爆投下から13年、復興しつつある昭和33年の広島。
平野皆実は大空建研で事務の仕事をしながら、洋裁の内職をする母・フジミと2人、基町の粗末な家に住んでいた。
もう一人、旭という弟がいるのだが、戦時中に水戸の叔母夫婦のもとに疎開したまま広島に戻らず、その石川家の養子になっている。
ある日、皆実は、会社の同僚・打越豊に、「好きな人にあげる」ものを見つくろうよう頼まれ、金魚の柄のハンカチを選んだ。
打越はそのハンカチを、皆実に渡す。だが皆実は、不意にうろたえて走り出し、転んだ。
追いついた打越に、皆実は「うちはこの世におってもええんじゃろうか?」と問う。
元々、平野家は千田町に住む5人家族だった。
末っ子で唯一の男子・旭を水戸に疎開させて程ない昭和20年8月6日、広島の街は、原爆で消滅した。
学校の倉庫にいた皆実は助かったが、校庭にいた友達は死んでしまい、やっとみつけた妹・翠も、街をさまよう皆実の背中で息絶えた。
「お姉ちゃん、長生きしいね」と言い残して。
父は会社ごと消えてしまい、1週間後に救護所で、目が見えないほど顔が腫れた母・フジミにやっと会えた。
以来、母と2人、寄り添って生きてきた皆実だが、楽しいと思うと聞こえる「おまえの住む世界は、そっちじゃない」という誰かの声に苦しんでいるのだった。
「誰かに死ねばいいと思われた」、一番恐いのは「死ねばいいと思われるような人間に、自分が本当になってしまっとることに気が付くこと」と泣きじゃくる皆実を、
旭はそっと抱きしめた。「生きとってくれて、ありがとうな。」
風邪ひとつひいたことのない皆実が、体調を崩した。
何日会社を休んでも、回復するどころか衰弱が進み、血を吐き、髪も抜け始めた。
原爆症が発症したのである。
水戸から旭が駆けつけた。
河原で姉弟2人語り合っているところへ、打越が訪ねてきた。
共にカープファンである旭と打越はすぐに打ち解けて、川面に石投げをする。
それを見ていた皆実は、力尽きて倒れた・・・・・・・・・・。
「桜の国」
平成19年夏、東京。石川七波は、弟・凪生に、挙動のおかしい父・旭は仕事を退職して、ぼけているのではないかと話す。
その旭が、何も言わずに家を出た。七波は、携帯電話一つポケットに突っ込んで、尾行を始める。
駅に着いた旭は、切符を買う。それを見ていた七波は、小学校の同級生・利根東子に声をかけられて驚く。
財布を持っていない七波は尾行を諦めるが、東子に引きずられるように後を追い、東京発広島行き夜行高速バスに乗り込んだ。
広島に着いた旭は、次々に、高齢の女性を訪問した。いずれも七波の知らない人ばかりだ。
東子が平和記念公園に行くと言って別行動となり、七波は一人で尾行を続ける。
盆灯籠で華やぐ墓地で、旭は平野家の墓に手を合わせた。
旭が去った後、七波は墓石に彫られた名前と享年に目をやる。
祖母・フジミの他に、「翠 十歳」、「皆実 二十六歳」・・・・。
河原の大木の下で、旭はやって来た老人と「打越さん」、「旭君」と呼び合うが、七波には誰だか分からない。
東子に連絡を取ろうと、彼女に借りて着ていたパーカーのポケットから電話番号を書いたメモを出そうとして、違う紙片を七波はみつけた。
それは、凪生から東子に宛てた別れの手紙で、東子の両親が、被爆2世である凪生との交際に反対しているのが理由であることが書かれていた・・・・。
一方の東子は、平和記念資料館を見学して原爆の惨禍を知り、耐えられないほどの嘔吐感に襲われていた。
平和記念公園で合流した七波と東子は、一休みした後、夕凪の広島を歩く。
七波は、ずっと思い出すまいとしてきたことを、思い出していた。
〜桜並木の街の団地に住んでいた小学生の頃、祖母・フジミが80を過ぎて死んだこと。
意識が混濁したフジミは、七波を見て「翠のお友達」と言い、七波には何のことか分からなかったこと。
それより前、七波が帰宅したら母・京花が血を吐いて倒れていて、42歳で死んでしまったこと。〜
昭和34年の春、石川旭は、広島の大学に入るために、実母・フジミの家に帰って来た。
よくフジミの手伝いに来る近所の少女・京花と知り合ったのもこの時だ。
学生時代を過ごし、そのまま広島で就職した旭は、京花と親しくなる。
だが、フジミは、旭が被爆者である京花と結婚することには反対した。
もう、家族が原爆で死ぬのを見たくない、と。
それでも旭は諦めず、昭和48年、東京転勤が決まったのを期に、京花にプロポーズする。
この時にはフジミも説き伏せていて、旭と京花とフジミは3人家族で、東京の桜並木の街の団地に移ったのだった。
東京に帰る夜行高速バスの車中で、東子は七波に、昨日駅にいた理由と、七波と一緒に広島に来て良かったと思っていることを話す。
七波も、眠ってしまった東子に、広島にルーツのある自らについて語る・・・・。
東京に帰って、祖母・フジミの死後に引っ越して以来の桜並木の街で、東子と、呼び出した凪生とを残して、七波は立ち去った。
橋の上から風景を眺めながら、七波は、自分自身が生まれてきたことについて思いをはせる・・・・・・・・・・。
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| 一言 |
原子爆弾投下から13年後の広島を舞台にする「夕凪の街」と、さらに半世紀を経た“現在”が舞台の「桜の国」の2部構成で、
「血の流れない戦争映画」(「出口のない海」)を撮った佐々部清監督の手による、「昭和20年8月6日」が回想としてだけ描写される、原爆を題材にした映画。
被爆して、父と妹を失い、家も街も消えた広島で、生き残ったことの罪悪感を抱きながら母と暮らしてきた主人公・平野皆実が、
幸せを感じた矢先に原爆症を発症し、儚く死んでしまう「夕凪の街」は、とてもしっとりとした作風です。
殊に、遂に力尽きる皆実の美しさと独白は涙を誘い、この映画のピークだと思います。
皆実を演じる麻生久美子のナレーションを、七波を演じる田中麗奈のナレーションが引き継いで始まる「桜の国」は、一転してコメディ調。
段々馴染んでいくものの、特に最初は違和感を感じました。
しかし、これはこれで良いのだと思います。
昭和33年の、被爆1世の物語である「夕凪の街」は、「昭和20年8月6日」の記憶も心身の傷も、消滅した街の復興の程度も、皆生々しい時代の物語。
自然、作風もああなるでしょう。
一方の「桜の国」は、平成19年の物語。
「昭和20年8月6日」から62年が経過し、主人公達の生活の場も東京で、原爆が広島に落とされたことなど遠い昔の出来事、という舞台で始まります。
それが広島に舞台を移し、物語が進むにつれ、東京で死んだ主人公の祖母と母は被爆1世であり、主人公自身もその弟も被爆2世であり、
被爆2世は被爆者の末裔として見られていることが明らかになっていく・・・・つまり、62年の歳月が過ぎても、被爆地ではない場所でも、
問題は全く終わっていないし、現在に連綿と続いていることが描かれているのです。
異物をくっつけたような始まり方の「桜の国」によって、実は「夕凪の街」がより深いものになっていると言えるでしょう。
正に、「何度夕凪が終わっても、このお話はまだ終わりません」です。
原作コミックと映画とでは、一部、設定の変更(原作では皆実に姉がいるが映画では皆実が長女、「夕凪の街」は原作では昭和30年だが映画では昭和33年、等)や、
展開の組み替えが行われていますが、台詞を含めて大きく改編することなく映像化されています。
中には映像化すると「?」な部分もありましたが、印象的な台詞が多い原作の精神を尊重して映像作品に仕上げられたことは、本作では成功だと思います。
特に印象的なのは、死に瀕した皆実の独白。
「なあ、嬉しい?
13年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て、
『やった!また一人殺せた!』って、
ちゃんと思うてくれとる?」
原爆を落とした側は「人口数十万人の都市」に落としたつもりでも、落とされた側は一人一人の人間であり、
一人一人の人間にとっては「死ねばいいと思われた」ということなのです。
生き残った命が、また一つ失われようとする時、せめて「一人殺した」ことをちゃんと認識して欲しいとは、何と悲痛な叫び!
「原爆を落とした人」が、「平野皆実」を殺したことを認識することなどある筈もないのに!
26年で生涯を終えようとする皆実の無念が、演じる麻生久美子の、ことさら恨みを込めない自然な語りによるこの独白から、痛烈に伝わってきます。
声高に反核を叫ぶところは無いながら、作品の訴えていることに揺るぎはありません。
この映画は、間違いなく、傑作です。
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