徳蓮寺(下野代)

 無畏野山(むいのさん)と号す。真言宗東寺派。本尊は虚空蔵菩薩で、寺の縁起によると、もとは三論宗中蓮寺という寺があり、壬申の乱で焼失したと伝えられる。その後弘法大師がこの地を訪れた際に本尊を刻み、5つの寺院を建てたとされる。天災などで何度も被害を受けたがその都度村人や藩主らによって再興され、江戸時代に徳蓮寺と改称された。寺宝に紺紙金銀阿惟越致遮経(あゆいおっちしゃきょう)巻下(県指定文化財)や釈迦涅槃図などがある。

 また本堂には252点の絵馬(県指定文化財)が納められており、最も古いものは万治元年(1658)まで遡る。
大半は江戸時代後期から明治時代に納められたものでウナギやナマズを描いたものが多い。これは天正13年(1585)の大地震で本尊が行方不明になった際、夜中に土の中が光るので掘ってみると本尊がウナギやナマズに守られて埋もれていた。そしてこの地を光田と呼ぶという言い伝えによるもので、地震避けに奉納されたものと思われる。また境内には安政元年(1854)の大地震の供養碑が建立されている。

山道の石段は100段ほどあり、その上面や側面には「なむあみだ仏」の文字のほか人名も刻まれている。



養老線側から昇る心臓破りの段程の階段
石には「なむあみだ仏」の文字のほか人名も刻まれている
絵馬(県指定文化財)
紺紙金銀阿惟越致遮経巻下(県指定文化財)
経文が一行おきに金泥と銀泥で書かれており、
中尊寺から散逸した経巻の一部ではないかと言われる。
『三重県の文化財』(三重県教育委員会編より)
虚空蔵菩薩(徳蓮寺リーフレットより)
寺伝では弘法大師作とされ、日本三虚空蔵菩薩の一つとされる。
安政元年(1854)の大地震の供養碑