| 2004・2・14~29 鬱地獄2。 |
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割愛。 ・・・というか・・・ これ書いてる段階でもう鬱じゃないし。 3月17日だし(遅せえ!!) これから3月の日記を書くので、 2月分は過去ログということで、 後ろに送られてしまうのですよ。 そうすると、 「めんどくせー」 と、見ない人もいるわけです。 見る人が100人中50人だとして (アクセス数からいってありえない数字だ) 単純計算で、 2月分の日記を必死こいて書いた場合、 50%の労力が無駄になる訳です。 よーするに、何が言いたいかといいますと、 ごめんなさい。 只単に、めんどくさいだけです。 (ひぃぃ、石を投げないで~~) 3月分の日記のところに、 ちゃんと繋がるように書きますんで、 勘弁してください。 こっからは、裏話なので、 てきとーに読み飛ばしてくださるといいんですが、 2月いっぱいいっぱい、 ずっとちょっと酷い状態だったのですよ。 そういうときは、 日記は書かないようにしていまして、 いやーもー、脳みそに血がいかなく なっちゃうんで、 文章を書いても、小学生の作文みたいに なってしまうのです。 「ごはんがかれーだった。おわり」 ほんとにこんな感じ。 怖くて日記なんか書けないですよ。 鬱が明けてから、 『鬱体験レポート・家政婦は地獄を見た! ドキュメンタリー鬱・しのびよる心の風邪。 明日はあなただ』 の、ようなもの?を書いて、 知人(?)への鬱の理解を深める(こんなんで深まるか) という手もあるのですが、 内容があんまりにも重くなってしまってですね、 自分の不幸自慢とかヤじゃないですか。 世の中にはもっと不幸な人がたくさんいるわけだし。 そういうことなので、 具合が悪かったりすると、日記がおろそかになるのです。 ごめんね。(あっ軽) |
| 2004・2・1~13 鬱地獄。 |
1日 父と母が凄まじい喧嘩を始める。 内容といえば、 母「何であなたは、自分の机を片づけないで、 人の冷蔵庫の中身を捨てんのよ!!」 父「何でお前は自分の台所を片付けないで、 俺の書類を捨ててんだよ!!」 ・・・よーするに、お互い、自分の物はぐちゃくちゃなまま 他人の物を捨てあっているのだ。 それも、凄惨な殺気を放ちながら。 にゃんにゃんとわたしは、自分の布団を 頭から被って、ガタガタ震えて泣いていた。 心の境界線の薄い、わたしとにゃんにゃんは、 二人の憎悪や、混乱した感情が流れ込んできて、 それは恐ろしい思いをした。 わたしが号泣していると、父がそれをみて、激怒。 「何でお前が泣いてんだ!!!」 2日 その晩、バイオリズムの関係もあって、 わたしは一気に鬱になってしまった。 やるせないことに、朝、泣きながら眠ることもできず、 徹夜明けでよろよろとしたわたしが、居間に行くと、 父「ねり?どうしたんだ~?」 母「何、泣いてんの~?」 前日とはうってかわって、和気藹々と朝食を 大変仲良く食べている両親。 「・・・あんたら、一体何なんじゃ・・・」 その日をきっかけに、ここのところ、 久しく体験したこともないような、激しい鬱に。 日記には、最初、 『死にたい』×約20 『死んだほうがいい』×約15 『死』のみ、×多いから数えるのヤ と、気合いの入った書き込みがしてあり、 「結構わたし、エネルギーあるじゃん・・・」 という感じだったのだが、 2日目の日記からは、 『うつ』 とだけ、書いてあるのみ。 漢字が書けないあたり、勉強不足が伺える。 3日~6日 連日、べそべそと泣き、 力がはいらず、夕方まで布団から出ることもできない。 それでも、共同住宅の2日に一度の トイレ掃除は欠かさない。 (・・・一日でも休んだら、 一生休み続ける気がする・・・) そう思うと、しがみついてでも、やらないと。 食べ物を食べなくなってしまったので、 どんどん痩せてきてしまい、 立つのが困難で、姿勢を維持したり、 呼吸も苦しくなってしまった。 (筋肉が死んでる~~~!) 自殺の方法や、遺書の内容を検討しはじめたので、 カウンセラーに、『死なない約束』 をとりつけられる始末。 7日 夜の7時から、急にそうに転換してしまう。 メールをさばき、掲示板に書き込み、 脳内物質がでまくり、 朝まで2月末締め切りの小説を一気に上げる。 8日~10日 小康状態。 小説で力を使い果たしたが、トイレ掃除をしたり、 漫画を描いたり、溜まった雑事を片付ける。 11日 再び、一気に鬱に。 友人の掲示板で、「あんたのカキコは寒ぃよ!」 と言われたショックがはじけてしまった。 父に、「君はまともな会話ができない」 と言われたのと、 伯母に、「心の病気の人は、ズレてて、異常だから あなたは結婚は永久に無理」 と言われたのが重なり、 更に、昔の記憶がフラッシュバックを起こす。 小学校の6年間、わたしは、よくない環境で育った。 学校で酷くいじめられ、 「馬鹿」「低脳」「なんで生きてんの?」 「死んじゃえば?」「存在そのものが悪」 「お前に見られると不幸が移る」 「お前がいると、空気が腐る」 「ブス、醜い」 「顔が不快だから、消えろ」 などの殺し文句?を毎日繰り返され、 わたしはテストで毎回100点を取るのを 隠していたのだが、 ある日、100点のテストがみつかってしまい、 「ねりがカンニングをしている!!!」 と、クラスが大騒ぎになってしまった。 わたしの周囲の男子は、みんな15点前後。 (おまえらをどうカンニングしたら、 100点になんだよ・・・) と疑問で仕方ないが、連中は、 カンニング会議でわたしを宗教裁判にかけるし、 教師も、「カンニングしたのか?」と 詰問してくる。(教師もばかだ~!!!) 冷静に考えてくれ、先生。 算数の式がこんなに理路整然と、カンニング可能かどうか。 わたしの人間的価値は、6年間、 ゼロ、というよりマイナスだった。 (人間扱い自体されていなかったが・・・) 人格形成がなされる時期に、 こんなかんじだったので、 わたしの自己評価も同じものになった。 しかし、例外が絵だった。 絵を描くと、周囲のわたしを見る目が違った。 校長先生がわたしを指名して、 依頼されて絵を描くことも多かった。 しかし、絵から離れると、 やはりわたしは人間扱いされなかった。 いつしか、自分の描く絵の価値と、 自分自身の価値が、すり替わってしまっていた。 わたしは本気で絵を描かなくなった。 本気で絵を描いて、完全否定されたら、 わたしの人間的価値は再びゼロかマイナスになって わたしは死を選んでしまう。 しかし、それを改めることにした。 絵の価値と自分の価値をすり替えるのを、 やめた。 そうしたら、一気に自分の価値がマイナスに なってしまったが、 これから一生、自分の価値が全くない状態に、 慣れていこうと思う。 12日 祖父母のようすを見るよう頼まれ、隣へ行った。 わたしはあいかわらず、ぼろぼろ泣き通しだった。 すると、祖父母が 「ねり、バナナをやるぞ」 「ねり、ヨーグルトを食え」 「ねりちゃん、パン食べな」 なにやら、食べ物を恵んでもらって、帰ってきた。 家にいると、伯母から電話があって、 「おじいちゃんが、最近生きる気力がなくて 寝たきりになるんじゃないかと、 心配してたんだけど、今日、 ひとりでご飯作って食べたりして、 機嫌もいいし、元気で、何をどうしたの???」 ・・・無用の用とか、柔よく剛を制すとか。 13日 翌日も、祖父が電話してきて、 「甘酒温めたから、喰え、ねり」 祖父曰く「新聞読むと、楽しいことがいっぱいあるぞ。 ねりは若いんだから、これからいいことあるぞ」 ・・・前、新聞読むと、世界が汚くてイヤなことだらけ、 ねりの人生は、甘くないし、このままじゃ真っ暗。 って、言ってたよーな気がするが・・・ マザーテレサが、 「人間が一番辛いのは、 自分が誰にも必要とされないことです」 といっていたが、祖父より惨めで弱くて、 護ってやらないと死んじゃう人がいるというのは、 すごくいいことのようです。 |