| 2005/02/25 一家に一匹。 |
|---|
ふぅ。自分で書いておいて何だけど、 24日の日記がグロくて、読み返したらゲロった。 気を持ち直して行こーぅ。 25日は通夜だったが、 情緒不安定なワタシは危険なので、 自宅で祖母との留守番を任された。 「おばぁちゃんがころばないように、 ねりちゃん、しっかり見ていてね」 建前はそぅなんだが、 要するに、祖母がワタシのことを 「しっかり見ている」のである。 ガンバレ老人力。 こうして私は3時間道化を演じきり (演技じゃないと思うけどね) 祖母は退屈しなかったようだ。 ハラハラで人生が縮んでないとよいが・・・。 (オニ孫!?) 通夜の弁当をガツガツ食べるワタシを見て 従姉妹「ねりちゃん、よく食べるねぇ・・・」 ふふふ。さーァビスしたから腹が減ったのさー。 母には『サービス過剰』と言われたよ。 道化を一匹飼っていると、 家の中が明るいんだか、先行き暗いんだか。 |
| 2005/02/24 人体の不思議展。 |
通夜、葬式は翌25日からとなり、 24日は何をするでもなく、落ち着かぬ日だった。 相も変わらず私は混乱しており、 「アリリ?人体の不思議展が先だっけ? 葬式が先だっけ?」 こういう人に家に居て貰っても困るので、 「ねり~お外へ行ってなさ~い」 ってな感じで外へやられた。 今後、永久に混乱されても私が困るので、 順番通り、人体の不思議展へ行くことに。 以下、帰省した弟との会話。 弟「人体の不思議、どうだった? 俺はああゆうのはダメだ・・・」 私「私は見慣れているので特に新鮮でもないが、 見慣れていない人達もいるのだなぁと思った」 弟「はぁ!?」 私「ホラ、怖い夢を見ると話したろぅ」(夢日記参照) 数日前、突然弟に電話した、ねり。 ねり「深刻な相談があるんだが・・・」 弟「何だ」 ねり「毎晩、怖い夢を見るんだが」 弟「怖い夢ぇ?交通事故の夢とかか」 ねり「いや、もっと深刻な感じだ」 その時は、「ハイハイ」とあしらわれて終了。 しかし、弟君の地獄はこれからだ。 以下、ねりの『怖い夢』詳細解説20分: 私「ほら、連続殺人に遭遇すると、自分の番が回るまでに 相当数見るだろ?一晩に。 いつも見ているものに比べ、みずみずしさが 足りなかった。 あの凄まじい臭いが・・・ないだろぅ? 死者の怨念もさることながら、 あれでは、ミイラとの中間というか、 魂が抜ける前の精気が感じられない・・・。 不思議なことに、今生で死体を見た経験は ない筈なんだけれど、夢のリアルな死体は、 医学的にも正確だった。 先日も男の背中の筋肉を裂かれる夢を・・・」 弟は気分を害したらしく、 「待った。気持ち悪い・・・」 剣道でウリャウリャ鍛えているので、 心臓も鋼のようかと思いきや、 案外、繊細な神経の持ち主だった。 弟「ホラー作家にでもなったらどうだ」 私「推理モノなんだって」。 説得力は皆無に等しいが、 私は殺していない。 以下弁明:40分。 私「職業柄、呼ばれるんだから、 しょうがないだろう、ホラ、 絶海の孤島に呼ばれたりするじゃん!」 弟「ふーん、そぉ」 私「犯人を見つけるまで、毎晩見させられるだろう?」 弟「何だソレハ」 私「探偵役なんだって!」 『一応探偵役』として、メンツに入ってる。 実質、推理などしたことはない。 消去法で犯人が残るだけ。 謎を解くまで毎晩、執拗に同じストーリーの夢を。 私「解かないと、最後から2番目前には 私も惨殺されるんで、ホントに必死だ。 深刻な問題性を感じるだろう?」 弟「楽しそうだが」 私「だーかーらー。殺してるのは私じゃないって!」 <暫く弁明> 弟「考古学者なんか向いてそう」 私「そうとも。私はミイラをこよなく愛す。 君たちに死体を愛でる心はないのか?」 弟「ない。」 父「ありません。」 そんな私が唯一吐くもの。 私「死体は綺麗なんだけどさー。 不思議展を見に来た若い女性がさー。 『チキンだよね。チキン』 『肉だよ肉』 肝臓見た男性がさー。 『フォアグラ、フォアグラ』 っつたのよ!?」 私「信じられん!死者への冒涜だ!! 連中の精神がグロくて吐いた。 不遜。無知。気色悪りぃ!! 快楽殺人犯の魂ってグロくて吐くよ!? 被害者の怨嗟の叫びよりかは、 笑いながら死体を切り刻んでる犯人の 残留思念で吐くって!!」 ・・・探偵役といっても、 『サイコメトラー』のようですね。 |
| 2005/02/23 混乱の世紀。 |
22日午後8:00 (明日23日は「人体の不思議展」を観にいこう!) という具体的計画が気がついたら成立していた。 参加者:母、その友人、私 23日午前1:00 私はようやく眠りについた。 母の友人の手前、明日は絶対に遅刻できない。 よって、いつものように 夢でリアルな翌日シミュレーションを。 シミュレーション1: 23日午前7時28分・母に叩き起こされる。 「ねり、起きなさい、出かけるんだから もうそろそろ支度しないと」 8時15分・朝食。 <その日のメニュー> トマトとタマネギ、レタスのスープ。 ウインナー入り。 ぶどうパンを半分に切って焼き、食べ、 支度も済んだあと、 母と私の会話。 私「まだ9時じゃん、待ち合わせは12時だっけ?」 母「12時じゃないわよ、11時半には駅にいないと」 私「時間まで、少し寝てていい?」 (以下略) 私は15分の仮眠をとることにした。 夢時間:現在午前9時38分。 私「15分寝るだけだから。目覚ましかけるから ダイジョーブ。起きなかったら・・・ 叩き起こしていいから・・・」 そのまま私は睡魔に襲われ、眠りについた。 うとうとしながら、睡眠中にありがちな、 理屈の通らない事を考えた。 (このシミュレーションは駄目だ。 現実世界で実現しないであろう・・・) (ナゼだろぅ・・・ では、シミュレーション2を立ててみよう・・・) そこで、けたたましく電話が鳴り、 心地よい眠りが妨げられた。 (15分寝るっていったのに・・母、何で電話に 出ないんだろう・・・居間にいるんだよなぁ、あの人・・) 出る筈もない。 23日午前1時から睡眠、 夢の中で午前7:28~9:38 2時間10分が経過。 同時進行で現実世界では午前1:00から 2時間10分以上経過。 現実世界時間:午前3:20 母は居間におらず、寝室でぐっすり。 当たり前である。 しかし、私はそれを理解しなかった。 (ちょっと、出てよ電話・・・ 20分は鳴ってるよ・・15分仮眠とるって いったのに・・・???アレ、15分???) 私「目覚ましかけるの忘れた!! あれほど叩き起こせといったのにぃ!!!」 夢の中でも我が儘な理屈。 飛び起きると、辺りは真っ暗。 当たり前。3時だから。 「アレ!?真っ暗!アレレ???」 勝手にショックを受ける私。 (寝過ごしたんだ・・・叩き起こしても 起きないから、母は激怒。 私は約束をすっぽかして爆睡。 「ねりは我が儘だからもういいよね!」 そんな会話が交わされ、 夕食抜き。 私、夜まで寝ちゃったんだーーー!) 私「どうしよ~ぅ、ご飯食べてない~、 歯を磨いてなぃ~(←混乱中)つーか今、 何時!?」 時計は3:40。昼間の3時・・・なわけないか。 いや、案外、日食やら天変地異で、 置いてけぼりにされているのかも? 恐る恐る電話をとると、隣の伯父。 「お母さんいる?替わって?」 なぁんだ、祖父のことかぁ。 住民一斉避難後、ねりがいないことに気付き、 「家に取り残されてるんじゃないか!?」 確認の電話がきたのかと思ったよ。 祖父が亡くなったとのことで、 父と母は病院へ直行。 母「ねりは寝てていいから!休んでなさい!」 ・・・今まで散々休んでいたのでは? それにしては、頭痛が酷い。 寝過ぎだろうか。 てゆーか、今何日? まさか2日くらい寝ちゃった? ありゆるよなー。この頭痛じゃぁ。 誰かに電話して、 「祖父が亡くなったんですが、 今は何月何日でしょう?」 これを聞くのはヒトとしてどうか。 大体、無責任なねりが約束すっぽかして爆睡後、 やっと起きたら祖父が死んでたというシチュエーション。 (・・・呆れ果ててノーコメント。 そっかぁ、それで何も言わないんだ、みんな) 諦めて寝るわたし。 (駄目なニートは、せめて世間様の足を引っ張らぬよう、 寝るとしよう。) その後、23日午前9:00 母が一時帰宅。 母「ねり、まだ寝てていいわよ」 私「現在は、西暦何年何月何日でしょう」 開口一番、唐突な質問に母、 「えっとー。カレンダー見てくる・・・」 (この反応が慣れを感じさせる) 「23日よ。寝てなさい」 謎は解けた。 7:00~9:00のアレが、 如何にリアルでも、虚構だったのだ。 あまりにリアルなシミュレーションは、体に悪い。 精神衛生の為、また寝ることにした。 |
| 2005/02/16 ふ~、イタい。 |
過去の日記を読み返すと、辛い。 己のイタい頭の中身を、こんなにも的確に表現した 日記を、いまだかつて私は見ない。 (そこまで言うか。益々自虐的になっている・・・) 書いている最中に、もう、イタイ。 何で、自分で書いて自分でツッコミ入れてるのー? ダイジョーブ?私の頭。 内容がイタイんだろーか。 頭痛がしてるんだろーか。 気が付いたら数日経ってました。 インフルエンザで熱を出して寝ていたそうなので、 状況に変化はないようだ・・・。 熱・・・ちょっとありますね。 もう少し寝ておかないと、また記憶がトンじゃう・・・。 ふー。頭が朦朧として、意識もトビそうだー。 この調子で、発想が飛ぶとか、ハエが飛ぶとか、 建設的なものが飛ばないかなー。 ハエが建設的? 駄目だ。夢の中から出てこられない。 深層心理に自我が埋没して、あがってこないよー。 |
| 2005/02/09 アンビリーバボー。 |
何ということだ。 前回の日記から一年近く経過している。 わたしは一年間、何をしていたのだろう。 記憶がない。これはヤバイ。 2ヶ月くらい記憶が飛ぶというのは、 よくあることだが、(よくあるのかぁ~・・) 一年は尋常でない。 大丈夫だろうか、わたしは。 先日、2004年の年が明けたと思ったら、 急に2005年に突入していたので、困惑した。 一年間の自分の動向を、メモを頼りに推理してみよう。 2004/3月 漫画家のアシスタントを始めたらしい。 4月 不明。 5月 不明。 6月 不明。(自分で書いてて不安になってきた) 7月 不明。(どーでもよくなってきた) 8月 法事で岩木山へ登っている。 岩手、青森を経由。 8/29 にゃんにゃんが死亡している。 この3日間の記憶はあるので、 薄情者の誹りはぎりぎり免れる・・・のか? 9月 記憶なし。 10月 記憶なし。 11月 誕生日を迎え、30歳になったはず。 11/20 弟に息子が産まれている。 11/23 誕生日があったはず。 12月 幸いにして、年賀状を描いているはず。 年賀状/4件分/ デザイン・原画制作~印刷・宛名書き・郵送まで 事務事項なので、記憶している。 1月 年賀状を年明けから送っている? 一ヶ月間の動向は不明。 2月 2/6八戒を上げている。 卓上には27000キリ絵の下書きがある。 推理1 2004年度のコバルトイラスト大賞には、 何も送っていないようである。 推理2 何回か文章投稿で掲載されたらしく、 手元に雑誌社からの現金書留がある。 かなりの頻度で何かを書いては、 送ったふしがある。 推理3 夏に風邪でアシスト仕事を休んだ記録がある。 以降、仕事の記録はない。 推理4 祖父は入院している。 何時の間に・・・? 推理5 あ、思い出した。 もりかはさんに送った郵便物、 薄の字のくさかんむり書き忘れた。 これ以上、考えるのは、やめます。 『こうねりあは一年間、何をやってたんだろー。』 本人も把握していないので、 HPを閲覧された方が疑問に思われても、 特に問題なさそうです。 |