NEW 2026.7.12
☆川島雄三監督作品レビュー❷
東京映画・東宝・宝塚映画時代

『女であること』~『夜の流れ』(共同監督=成瀬巳喜男) 7作品
予告篇=YouTube東宝クラシックス

注:作品レビューにはおおまかなストーリー展開~ラストシーンも記述している。

未見の方はその点を事前に了承してお読みいただきたい。

題名・予告編→各作品へ


題名

製作会社、
公開年

主な出演者

DVD

『女であること』

東京映画 1958(昭和33)年 森雅之、原節子、久我美子、香川京子、三橋達也、石浜朗、中北千枝子 DVD化

『暖簾』

宝塚映画 1958(昭和33)年 森繁久彌、山田五十鈴、中村鴈治郎、浪花千栄子、乙羽信子、頭師孝雄 DVD化
『グラマ島の誘惑』 東京映画 1959(昭和34)年 森繁久彌、フランキー堺、三橋達也、桂小金治、八千草薫、淡路恵子 DVD化

予告篇
『貸間あり』 宝塚映画 1959(昭和34)年 フランキー堺、淡島千景、桂小金治、藤木悠、小沢昭一、乙羽信子
DVD化

『人も歩けば』 東京映画 1960(昭和35)年 フランキー堺、淡路恵子、森川信、沢村貞子、小林千登勢、加東大介 DVD化

予告篇
『接吻泥棒』 東宝 1960(昭和35)年  宝田明、草笛光子、新珠三千代、団令子、北あけみ、石原慎太郎 DVD化

予告篇
『夜の流れ』
(共同監督=成瀬巳喜男)
東宝 1960(昭和35)年 司葉子、山田五十鈴、白川由美、宝田明、草笛光子、三橋達也、志村喬 DVD化

予告篇


 タイトル 作品レビュー 
『女であること』 『幕末太陽傳』を最後に日活から東宝(東京映画)に移籍した川島雄三の移籍後初の映画である。

 

原作は川端康成。脚本は田中澄江、井手俊郎、川島雄三。撮影は飯村正、美術は小島基司、音楽は黛敏郎。

出演は森雅之、原節子、香川京子、久我美子、三橋達也、中北千枝子、太刀川洋一など。

原節子、香川京子、久我美子は、川島映画唯一の出演が本作だ。


原作、脚本、キャスト、映画会社を見ると、成瀬巳喜男監督の映画と錯覚してしまうオーソドックスな文芸物である。

映画自体も成瀬映画の雰囲気が漂っている。


川島雄三は本作について

「~これは滝村(注:和男プロデューサー)氏の企画です。これはダイジェストで終った感じの作品で、申しわけないものです。」

(「川島雄三 乱調の美学」P110)

と述べている。


【アバンタイトル】

東宝と東京映画のクレジットの後にアバンタイトルとなる。

舞台は大阪。自転車で大阪の町を走り抜ける若い女性の姿と挨拶の会話のリズミカルなショットが続く。

これは後でさかえ (久我美子)だとわかるが、顔のアップは無いので映像を観ただけでは誰だかわからない。

変わった出だしだ。


映画タイトルに続いてクレジットタイトル。

タイトルバックでは丸山明宏(先日亡くなった美輪明宏)が谷川俊太郎作詞、黛敏郎作曲の主題歌を唄う。

音楽は優美なメロディだが、歌詞は「女、それはエレガントな豚」といった刺激的な歌詞が続く。

最後に監督 川島雄三。

このような不思議な始まり方の映画もあまり観たことがない。川島雄三らしい斬新さだ。

ファーストシーン。

対岸の神奈川県側からの多摩川の全景が映った後、佐山(森雅之)の家の庭と鳥かごが映る。

舞台は東京・多摩川に近い住宅街(住所でいうと現在の大田区田園調布1丁目、2丁目あたり)。
ロケーションは東急東横線の「多摩川駅」周辺である。丸子橋、中原街道、浅間神社、多摩川台公園、
当時の多摩川駅も登場する。弁護士の佐山(森雅之)と妻の市子(原節子)の家も映像で見る限り丸子橋に近い。

 
上空に突然戦闘機のようなものが飛んでくる。これは現実なのか幻想なのかよくわからない。
その轟音に怯える寺木妙子 (香川京子)。
父親が死刑囚として刑務所に入っていてその弁護を森雅之が行っていることから同居している。
そのような複雑な境遇でもあり、本作での香川京子は伏し目がちで、陰気な暗い感じの演技。
随所に登場する鳥かごと小鳥は香川京子の境遇の象徴として出てくる。

 

原節子は、寝巻き姿で布団から起き上がる。全体的に本作での原節子は和服姿、洋服姿とも艶めかしい。
夫の森雅之に触れて甘えるようなショットもあり、原節子に対する川島演出は他の監督と一味違うように感じた。
 


森雅之の朝の出勤のシーンで二人の人物(香川京子、原節子)のアクションをつなげたリズミカルなショット展開がある。

 

寺木妙子(香川京子)が外出のために庭の木戸を開けるシーン

①香川京子が木戸を開ける

(閉める途中のアクションで場面転換)

②玄関の立派なドアを閉める市子(原節子)。

③家の前、車で出勤する夫を見送る。


同じ家の異なる場所のドアを、開けて、閉めるアクションを二人の人物のアクションでつないでいて
とてもリズミカルな映像となっている。映画やテレビなどの映像作品にしかできない手法だ。

 

原節子の女学校時代の親友である三浦音子 (音羽久米子)の娘・さかえ(久我美子)が大阪から家出して東京に出てくる。

そして森雅之・原節子夫婦の家に同居する。

香川京子とは対照的に、元気で明るく少し情緒不安定な大阪娘を久我美子は生き生きと演じている。

 

原節子に対して今でも少し恋愛感情を持っている清野吾郎 (三橋達也)、森雅之に対して憧れに近い感情を持っている久我美子。
家を出てつきあっている男子学生・有田真(石浜朗)のアパートに転がり込んだ香川京子。

この三つの異なったシチュエーションの恋愛に関わる女の描き方がタイトル「女であること」そのものだ。


森雅之、原節子の二人の台詞にからんだテンポのいい編集がある。

 

弁護士の佐山貞次(森雅之)と妻の市子(原節子)。
父親が刑務所にはいっている死刑囚の娘・寺木妙子(香川京子)を預かっていた夫婦が、
男子学生(石浜朗)と駆け落ちして出て行った香川京子について話すシーン。


①廊下にある書庫で本を開いている森雅之に対して原節子が「~やりきれません」

②本をもったまま振り向いた森雅之が「どういう意味だ」

③廊下ではなく居間の椅子に座っている森雅之と立ったままの原節子のショット。
しかし台詞は連続していて、原節子は立ったまま「どういう意味って~」と話しかける。

書庫での森雅之の台詞に対する原節子の回答の台詞は、居間に移動して連続しているように描かれる。
リアリティの点では疑問だが、映画のテンポとリズムをよくする手法。

田中澄江、井手俊郎という成瀬組のシナリオの影響もありそうだ。


川島映画は、溝口健二監督ばりの「長回し」が多用される映画があったり、ショットを短くつないだ映画もあったりと
なかなか特徴がつかめない。

しかし本作については、スタッフ、キャストだけでなく脚本、撮影、編集、演技も含めて、
成瀬映画の影響が色濃いように感じる。または東宝色。

 

ラスト近く、森雅之が交通事故にあって入院し、それが電話で知らされる。

交通事故が電話で知らされる展開も成瀬映画の特徴の一つだ。

さらに電話の内容を原節子に伝えるお手伝いさんが成瀬映画の常連の中北千枝子である。

 

また成瀬映画のような人物の振り返りや視線の交錯も随所に見られる。

森雅之と久我美子の仲のよさを少し嫉妬する原節子。この感じも成瀬映画『めし』(51 東宝)に共通するだろう。

原節子と香川京子との会話シーンは、小津映画『東京物語』(53 松竹)、成瀬映画『驟雨』(56 東宝)を連想してしまう。

 

【ラストシーン】
ラストは雨の中、原節子だけにお別れを言いに家を訪ねてそのまま外に飛び出していく久我美子とそれを見送る原節子。

高台の家からの俯瞰で、丸子橋と多摩川が美しく描かれる。

このラストシーンは原節子と久我美子のカットバックのリズムも良く、雨の中の二人もとても綺麗で味わい深い。
愁いを含んだいいラストである。


『女であること』は川島映画の中であまり有名ではないが、演出も抑制的で淡々と描いており、
テンポも良く堂々たる文芸映画だ。

 

原節子、森雅之、香川京子、久我美子の演技も自然でとてもいい。

前作の『幕末太陽傳』のスピーディで弾けた演出の後に、東宝系の東京映画への移籍を意識してか、
前作とは味わいの異なる都会的な雰囲気の映画をさらっと撮ってしまうところに川島雄三の映画監督としての才能を感じる。

また川島映画にはこれ1本だけ出演の原節子だが、本作は人妻役の原節子を若々しく魅力的に描いており、
原節子の隠れた代表作だ。
小津映画、成瀬映画とも微妙に異なる原節子の魅力を引き出すところは、さすが川島雄三である。

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☆ロケ地紹介(YouTube旧作日本映画ロケ地チャンネル)

『暖簾』 原作は山崎豊子。劇化は菊田一夫。脚本は八住利雄、川島雄三。撮影は岡崎宏三、美術は小島基司、音楽は真鍋理一郎。

出演は森繁久彌、山田五十鈴、乙羽信子、中村鴈治郎、浪花千栄子など。


川島映画初のワイドスクリーン=シネマスコープ(以下:シネスコ)である。
これ以降の川島映画は遺作の『イチかバチか』まで(大映の3本も含めて)すべてシネスコとなる。

 

大阪の昆布問屋の暖簾を守る商人を描いた年代記。本格的な文芸物である。
川島映画の何本かのオーソドックスな文芸物の中で、最も出来がいい作品の1本だ。

 

川島雄三は本作について

「~僕の田舎の親父は、三、四年前に八十何歳で老衰で死にましたが、田舎の商人だった親父が、
この映画を四回も見て、泣いたということです。」(「川島雄三 乱調の美学」P111)

と述べている。 


アバンタイトル

東宝と宝塚映画のクレジットの後にアバンタイトルとなる。

橋を画面左から右へ馬に乗って走り抜けていく軍人たち。

右からはゆっくり歩いてくる男としばらく離れて後をついて来る子供。

昆布問屋の主人・浪花屋利兵衛 (中村鴈治郎)と淡路島から大阪に奉公に出てきたがまだ奉公先が決まっていない
子供の八田吾平(図師孝雄)だ。

源聖寺坂(大阪・天王寺区)のロケーションが登場する。


吾平は浪花屋に奉公することになり、腹のへっている吾平に何か食べさせてあげなさいと、奉公人の少女・お松に命じる。

吾平は暖簾をそのままくぐるが、中村鴈治郎に叱られる。

「どたま(頭)で暖簾をくぐるとは何事だ。暖簾は大阪商人の命だ。丁寧にお辞儀してから手で暖簾をくぐれ」と。

吾平は侘び、最敬礼して暖簾をくぐる。


ここからクレジットタイトル。

文芸物とは思えないようなリズミカルで、ユーモラスな音楽が流れる。

シナリオ、演出、撮影、美術などオーソドックスな作りの本作の中で
川島映画常連の真鍋理一郎の音楽だけが少し変わっていて「やはり川島映画だ」と気付かされる。
とにかく一筋縄ではいかないのだ。


タイトルバックでは、吾平の子供時代の奉公の様子が描かれる。

廊下の拭き掃除をしたり、叱られたり、ランプを磨いたりするショットがテンポよく続く。
吾平に親切にするお松の姿も描かれる。

最後に「監督 川島雄三」の文字が出て画面は浪花屋の暖簾のアップになる。
そこに「吾助どん」の声。「へーい」の声に続いて暖簾から顔を出すのは成人した吾平 (森繁久彌)だ。

この表現は素晴らしい。正に映画やテレビドラマのみが可能な省略の映像表現である。

スタッフ・キャストのクレジット紹介の背景(タイトルバック)でストーリーの一部を語ってしまう手法は
川島雄三の得意な表現である。
本作では本編の前に吾平の修行時代を一気に描くのである。

 

ファーストシーンは成人した吾平(森繁久彌)が登場。
奉公時代は吾助と呼ばれているが実際は吾平だ。この後成人したお松 (乙羽信子)も登場する。

 

暖簾分けをしてもらった森繁久彌は、乙羽信子と結婚したいと思っているが、
中村鴈治郎と妻・きの (浪花千栄子)の命令によって、八田千代(山田五十鈴)と結婚することになる。

大阪を舞台にした映画で中村鴈治郎、浪花千栄子の夫婦以上のコンビはいないだろう。それほどのはまり役である。

 

新婚初夜のシーン。

気が強く、夫に対してずけずけと物を言う山田五十鈴は少し怖いくらいだ。
森繁久彌から貯金通帳を出させ、これまでの女性関係について糺す。

その後、森繁久弥と乙羽信子は、海の見下ろせる高台の中村鴈治郎の墓参りで再会する。

フランスの哲学者・詩人 ポール・ヴァレリーの詩のような「海辺の墓地」(フランス・セートに実在)である。

この淡路島のロケーションシーンの撮影はワイドスクリーンの効果もあり美しい。
二人のユーモラスな台詞のやり取りも微笑ましくていい。

 

『暖簾』は年代記だが、時間の省略のテンポが良くてあまり長い感じはしない。シナリオがいいのだろう。

 

吾平の次男・孝平 (森繁久彌の二役)が兵隊から焼け跡に戻ってくるところから映画は後半となる。

老けた父親の吾平とそりの合わない孝平だが、焼け跡から昆布問屋を再建しようとする。

老けた吾平と、元気いっぱいの息子・孝平の二役を演じる森繁久彌だが、
二人の会話シーンなどもうまくカメラ処理されていて違和感は無い。

 

本作は美術も凄い。前半の昆布問屋の前の通りはオープンセットであろう。美術の完成度は高い。

住吉大社、大阪駅前など随所に登場する屋外ロケーションシーンのモノクロ映像の光も美しい。

 

後半には、中村メイ子、扇千影、環三千世などの当時の若手女優が登場する。皆若くて可愛い。

 

【ラストシーン】
ラスト前、立派な浪花屋本店が完成し客が集まった披露の最中に、昆布倉庫で吾平は倒れてそのまま息を引き取る。
布団に横たわる吾平(森繁久彌)を見つめながら山田五十鈴、乙羽信子、娘の環三千世と孝平が涙を流す。
めでたい日に父親の死を隠し笑顔で客を見送る孝平(森繁久彌)。

最後に浪花屋の暖簾のアップとなり終となる。文芸物として見事なラストだ。

 

風変わりな快作=傑作の多い川島映画の中では、『幕末太陽傳』と並んで誰にでも薦められる1本だろう。

大阪を舞台にした川島映画では、『貸間あり』(59)1本は猥雑な雰囲気に満ちているが、

デビュー作の『還ってきた男』(44)、日活時代の『わが町』(56)、そして本作は笑いあり、涙ありの人情が

繊細に描かれたオーソドックスな作風の文芸物である。

川島映画の大阪ものはすべて傑作だ。

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『グラマ島の誘惑』

原作は飯沢匡の戯曲「ヤシと女」。脚本は川島雄三。撮影は岡崎宏三、美術は小島基司、音楽は黛敏郎。
出演は、森繁久彌、フランキー堺、三橋達也、轟夕紀子、淡路恵子、八千草薫、桂小金治、浪花千栄子、春川ますみ、
岸田今日子、宮城まり子、加藤武など。


太平洋戦争末期、輸送船に乗っていた皇族と軍人と慰安婦や報道班の女たちが孤島に流れ着く。
そこでの騒動を中心に後半は帰国した日本での生活が描かれる。
孤島が舞台である点は、松竹時代の初期作品『シミキンのオオ!市民諸君』(48)と似ている。

皇族を風刺的に、そして女たちをバイタリティ豊かに描き、そこに原水爆実験のテーマも入れている。

風刺のテーマを無理やりに描こうとしているが、俳優たちのオーバーな演技の演出があまり成功していない。
ドタバタ調の芝居、シュールなギャグも満載だが、すべてツボを外していて笑えない。

一言でいうと「わけのわからない映画」である。


川島雄三は本作について

「~途中で天皇制批判を出しすぎて、主題が分裂した失敗作です。~』

(「川島雄三 乱調の美学」P113)

と述べている。

 

アバンタイトル

東宝と東京映画のクレジットの後に、アバンタイトルとなる。

ある都市の路面電車が走っている。

ここでの映像の早回しが奇妙な印象を与える。通りに面した書店が映り、
ベストセラー本「グラマ島の悲劇」著者:坪井すみ子の宣伝チラシが紹介される。


映画タイトルが出て、クレジットタイトルが続く。

バックの音楽には暗いメロディにハワイアンのようなスチールギターが印象的に使用されている。

さらに戦闘機の飛ぶ音、戦闘中の銃撃や爆撃音がかぶさる。

メイン音楽も支離滅裂な感じだ。最後に監督 川島雄三。


ファーストシーンは眠っている香椎宮為久 (森繁久彌)の顔のアップから始まる。

ストーリーは、為久の弟の為永(フランキー堺)、その部下の兵藤惣五郎(桂小金治)、
島の男・ウルメル(三橋達也)などの男たちと女たちとの恋愛と、島での食料確保などのエピソードが語られる。

ともかくすべての演出が、あざとさ、わざとらしさに満ちていて、
川島映画らしい洒脱でお洒落な表現がほとんど見当たらない。

 

あのダンディな三橋達也がほとんど裸の民族衣装を身にまとい、ターザンのような奇声をあげるという役をよく引き受けたものだ。

 

三橋達也はインタビューの中で本作について以下のように述べている。

「~ぼくははっきり本人にも言いましたからね『なんだかわけがわからないって。』
~(略)~とにかく、わけがわからない。出てる人たちがみんなわからないと言っていたんだから。~」
(「川島雄三 乱調の美学」P19)

まったく同感。

 

轟夕起子、岸田今日子、淡路恵子、浪花千栄子、宮城まり子、春川ますみといった個性的な女たちの中で、
川島映画の出演はこれ1本しかない八千草薫が可憐な人妻を演じていて印象深い。

フランキー堺が弔辞を読むシーン。トイレットペーパーに書かれた文を巻きながら読んでいく。

同様のシーンは『縞の背広の親分衆』(61)にも登場する。

 

本作は島から帰国してから少し面白くなる。

 

「グラマ島の悲劇」のベストセラーを書いた、画家・坪井すみ子 (岸田今日子)。

その本を読んで夫であり社長の森繁久彌を叱るのが、為久妃殿下・香椎智子 (久慈あさみ)。

二人は東宝の「社長シリーズ」の社長と社長夫人の名コンビであり、
川島雄三はそのパロディとして久慈あさみをキャスティングしたのだろうか。

 

フランキー堺が経営している食品の「ヨシワラスープ」のトラックが走るシーンとラストシーン直前、
森繁久彌の車中のシーンの音楽。


音楽担当は黛敏郎で、同じく音楽担当だった小津映画『お早よう』(59 松竹)の音楽とほとんど一緒のように聴こえる。

作品データによると『グラマ島の誘惑』は1959年1月15日の公開、『お早よう』は同年の5月12日の公開なので、
正確には『お早よう』の音楽の一部がすでに本作に先に使用されていたということか。

黛敏郎は当時物凄い数の映画音楽を作曲していたので、こういうこともあったのだろう。

 

ラストシーンは、原爆か水爆実験のきのこ雲の映像である。

画面手前に墓碑のようなものがかぶさる。

不安げで暗い感じのメイン音楽が流れ「終」のクレジット。

余韻を感じることも無い、呆気ない終わり方である。

 

しかし、数多くの映画が製作されていた時代とはいえ、
こんな不可思議でかつ皇室をパロディ風に描いた映画がよく製作できたものだと驚く。
川島映画の中の異色作の1本と言えよう。

川島雄三のわけのわからないアバンギャルドな一面が表現されていて、
川島ファンの中で本作を評価する人がいても不思議ではない。
ただし、私は傑作揃いの東京映画・東宝・宝塚映画時代の中で本作1本だけは低評価だ。

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☆ロケ地紹介(YouTube旧作日本映画ロケ地チャンネル)

『貸間あり』

原作は井伏鱒二。脚本は川島雄三と藤本義一。撮影は岡崎宏三、美術は小島基司、音楽は真鍋理一郎。

出演は、フランキー堺、淡島千景、桂小金治、山茶花究、乙羽信子、小沢昭一、渡辺篤、藤木悠など


大阪の高台にある不思議な構造のアパート屋敷(注:シナリオの記述)を舞台に、
主人公の何でも屋・与田五郎 (フランキー堺) とユミ子(淡島千景)の恋愛感情を中心に、
バイタリティの溢れる、少し風変わりな住人たちのエピソードをエネルギッシュに猥雑に描いていく。


本作は川島映画を語る時に絶対に外せない1本であることは間違いない。

いろいろな要素が絡み合っているので、一口で述べることは不可能だ。

 

本作にも出演している小沢昭一氏と藤本義一氏の対談(「川島雄三サヨナラだけが人生だ」 P188~P216)
によると、当時のある映画評論家は本作を「駄作」と評したそうだ。

 

川島雄三は本作について

「~ずいぶん非難されて困りました。~どぎつく、きたない感じだ、と原作者の井伏さんにもおこられました。
たしかに、人間の汚なさ、色気を、図式的に出しすぎたきらいはあります。しかし、小生としては悲鳴をあげていることが
理解されなかったのは、悲しく残念です。~」

(「川島雄三 乱調の美学」 P115)

と述べている。

 

当時の批評としては、小林秀雄も「考えるヒント」の中で、本作について批判的に語っている。

 

しかし本作は後述する『人も歩けば』(60)と並んで、私が最も好きな川島映画の1本だ。

本作のシナリオは、「川島雄三 サヨナラだけが人生だ」 (河出書房新社)に掲載されているので、
作品分析にはそれも一部参考にした。

  

アバンタイトル

東宝、宝塚映画のクレジットの後に、大阪の街中で怪しげな本と写真の口上を述べているハラ作 (藤木悠)
をローアングルでとらえる。

地廻り(注:シナリオのまま)に追いかけられ人込みの中を逃げる藤木悠。

本屋で浪人生・江藤(小沢昭一)と知り合い、与田五郎(フランキー堺)を紹介すると言って二人で大阪の街を歩く。

会話の途中で「貸間あり」のタイトルが出てクレジットタイトルが始まる。

 

タイトルバックは不動産屋に貼ってある貸家情報の紙。

バックにはフランスの作曲家ドビュッシーやラベルの音楽にある、中間色のようなメロディが流れる。

そこに女のナレーション「つばくらは末なき旅をば家となし、~(略)~この嘆き故なきことにも候わじ」。

これは前述のシナリオ本によると「悠了上人の言葉」とある。

監督 川島雄三の文字。

ファーストシーンは、「貸間あり」の札がくるくると回る。

崖に面した高台のアパート屋敷前を子供がセミかトンボを追って網をもって走っている。
向こうには通天閣が見える。

そこに五郎(フランキー堺)を訪ねてきたユミ子(淡島千景)が登場する。

クレーン使用の俯瞰映像。ここからこのアパート屋敷に住む奇妙な住民が紹介されていく。

 

奇妙な住民とは、

・こんにゃく巻きを作っている洋さん (桂小金治)

・蜂蜜の成分を研究している熊田 (山茶花究)

・古道具屋・宝珍堂 (渡辺篤)

・洋酒ブローカー・ヤスヨ (清川虹子)

・おミノ (浪花千栄子)

・敦子 (市原悦子)とその夫・彦一郎(加藤春哉)

・金持ちの二号・お千代 (乙羽信子)

・野々宮 (益田喜頓)

・ご隠居 (沢村いき雄)

 

それから前述のハラ作 (藤木悠)と江藤(小沢昭一)である。

小沢昭一はアパートには住んでいないので正確には住人ではない。淡島千景はこのアパート屋敷の住人となる。

 

本作が当時批判されたのは、どんな人間にもある「汚さとエロ」をぼかすことなくストレートに描いている点にあったのだろう。

これだけの芸達者な男優、女優が川島演出に忠実に演じれば、騒がしくなるのは仕方ない。

例えば、冒頭のシーンで淡島千景の脱いだハイヒールの匂いをかぐ山茶花究と渡辺篤の匂いフェチ振りなどは、
確かに観ていて気持ちのいいものではない。

本作ではそのようなエロの要素を汚らしく描いたシーンが数多く登場する。

常にカメラを持っている小沢昭一が淡島千景を撮影するシーンなどもほとんど盗撮に近い。

 

しかし、本作のそういった要素は表面だけだ。

私が本作を最初に観た時も感じ、その後何度か観ても変わらない印象は
「何ともいえない人間の哀しさを描いている」ということ。

これはタイトルで使われた音楽の曲想、ナレーションの言葉、
それから映画の後半のアパートの広間での乙羽信子の送別会のシーンで、桂小金治が読み上げる五郎 (フランキー堺)の訳
(実際には井伏鱒二の訳詩)の漢詩
「この杯を受けてくれ。どうぞなみなみ注がしておくれ。花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」という、
川島雄三を語る時に一番有名な言葉、などでその印象が強い。
 

本作は、エロで猥雑な風俗映画の形を借りて、深い哲学的なテーマや川島雄三自身の人生観を語っている
日本映画の中でも傑作の1本である。

 

このアパート屋敷は画面を見る限り実際の屋外のロケーション場所に建てたオープンセットのようだ。

映画の前半、アパート屋敷前の崖で小沢昭一がフランキー堺の写真を撮るシーンがある。

小沢昭一の後ろに「夕陽ヶ丘」と書いた柱が見える。

通天閣の位置から言っても、大阪市内の「夕陽ヶ丘」周辺でのロケーションに間違いない。

ここは大阪市内の中でもお寺と坂の多いなかなか情緒のある地域だ。  

またこの地域は、川島映画の「大阪もの」であるデビュー作の『還って来た男』(44)や
日活時代の『わが町』(56)(二本とも原作は織田作之助)の舞台でもある。

 

小沢昭一は大学の試験を代わりに受けてもらおうと、フランキー堺と一緒に飛行機で福岡へ行く。

大学 (画面には架空の大学名だが西日本大学とある)の試験会場で教官の小松(加藤武)が「与田じゃないか」と話しかける。
なんと同級生だったのだ。このギャグは楽しい。

二人は実際でも麻布中学の同級生なので楽屋落ち的な展開である。 


フランキー堺と加藤武はナイトクラブに行く。

カウンターでフランキー堺は「俺は逃げたいんだ、隠れたいんだ」と言う。

【ラストシーン】

フランキー堺を探しに九州へ行った淡島千景とフランキー堺のことを思いつつ、
貸間札をかけながら「サヨナラだけが人生か」の桂小金治の台詞にかぶさるように流れる哀しげなメロディのテーマ曲、
正面に通天閣の見える崖の上から立小便をする桂小金治の後ろ姿に「おわり」の文字。

人によって好き嫌いはあるだろうが、私はこの不思議な感覚の余韻に溢れたラストショットも大好きだ。

 

原作と比較してみよう。(「井伏鱒二全集 第11巻 P424-P570」筑摩書房)

結論から言えば、映画(シナリオ)」の方が小説よりもはるかに面白く、出来もいい。

 

小説の方は全体的にメリハリがなく退屈だ。

井伏作品は「のんびりした」感じが魅力なのかもしれないが。映画(シナリオ)では、
小説の中にあるエピソードをつなぎあわせてテンポをよくしたり、深い意味に転換させている工夫が見られて、
川島雄三、藤本義一コンビのシナリオはさすがだ。

 

■映画と異なる点

・舞台が東京・荻窪郊外

・時代は終戦直後か

・宇山冬平という作家(映画には出てこない)が知人のユミ子(淡島千景)をアパート屋敷へ連れていく。
与田五郎(フランキー堺)とはアパート屋敷で宇山から紹介される
(映画では二人は知人でユミ子が五郎を訪ねてくるところから始まる)

・ユミ子は東京・京橋の商事会社のタイピストとして働いている

・九州で江藤(小沢昭一)の代わりに大学入学試験を受けるところは共通するが、
小説ではその顛末を五郎が短編小説の形で宇山に郵送してきてユミ子、洋さん(桂小金治)もそれを読んで五郎の状況を知る

・五郎と小松(加藤武)は試験会場で教官と代理受験学生の形で出会うが、
小説では逸見という友人が八幡に住んでいて五郎はそこを訪ねる。
逸見(映画では小松)の妻の実家が別府温泉の旅館で、五郎がそこで働くのは映画と同じ。

・お千代(乙羽信子)の田舎での男女の愛情表現の台詞「今日はつんつん~」は小説に登場するが、
映画のように五郎からユミ子への手紙の形では出てこないし
(映画ではその手紙を読んで五郎からの恋愛感情を察したユミ子は九州へ向かう)ユミ子は九州へも行かない

・お千代の送別会で洋さんが言う「花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ」は小説には出てこない

 

■映画とほぼ共通する点

・アパート屋敷の住人の顔ぶれ(ただし、映画のような下品なエロ表現は出てこない)と部屋のレイアウト

・江藤の受験

・お千代の送別会

・悠了上人の言葉「つばくらは~」は小説のタイトルの後に書かれている。
映画のナレーションはそれを忠実に再現している(もちろんシナリオにもそのまま書かれている)

・小説のラストも洋さんが夕方、貸間札を吊るすところで終わる(映画はその後立小便に続く)

☆東宝DVD名作セレクション

☆ロケ地紹介(YouTube旧作日本映画ロケ地チャンネル)

『人も歩けば』

原作は梅崎春生。脚本は川島雄三。撮影は岡崎宏三、美術は小島基司、音楽は真鍋理一郎。

出演は、フランキー堺、淡路恵子、桂小金治、森川信、沢村貞子、横山道代、加東大介、藤木悠など

 

銀座の質屋を舞台に、遺産相続もからめた都会的なコメディ映画。

私が観た50本の川島作品(現存する全作)の中で、映画のクオリティとしての最高傑作は『青べか物語』だが、
最も好きな川島作品はこの『人も歩けば』である。

 

川島雄三は本作について

「これはもう、負け犬でございます」 (「川島雄三 乱調の美学」 P116)

と述べている。

この言葉は本当に謎だ。私だけでなく本作を傑作と評する人は多い。

というより初めて観た人はほぼ全員が大絶賛するのだ。言葉は川島監督の照れと解釈したい。

とにかくこんなに面白く、不思議な映画はめったに無い。


アバンタイトル

映画は東宝、東京映画のクレジットに続き、フランキー堺本人のナレーションで始まる。

画面には「いろはがるた」が映り「いぬもあるけばぼうにあたる」が紹介される。
上野の西郷さんの銅像の犬、渋谷のハチ公、様々な犬の歩くショットが続く。

この一連の犬ショット、ビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘップバーン主演
『昼下がりの情事 (Love in the afternoon)』(57)の冒頭に似たような連続ショット展開がある。

老若男女の恋人たちが登場し、「パリでは人が愛し合う」とのナレーションに続いて様々なキスシーンがテンポよく描かれる。
おそらくこのワイルダー映画にヒントを得たのではないかと推察する。

 

犬を連れた婦人が銀座の路地を歩き、映画の主舞台となる「成金屋質店」に入る。
ナレーションは銀座の路地、質屋の説明と続く。そして砂川桂馬 (フランキー堺)が登場し、
質店の主人・成金義平(沢村いき雄)と将棋を指すところで
「この日は桂馬くんの生涯を左右する大事件が持ち上がった」となる。

ここで音楽の調子が変わりクレジットタイトル。スタッフ、キャストの紹介が始まる。

 

タイトルバックではそのまま物語が続く。

主人の沢村いき雄から「うちの娘の婿養子にならんか」と持ちかけられ、
出戻り娘の富子 (横山道代)との結婚式、披露宴、酒を飲みすぎて亡くなった父親・沢村いき雄の葬儀と
信じられないスピードで話が進行し、質屋経営に責任を持つことになったフランキー堺は奮闘するがうまくいかずに、
店の経営から外され、「あかしや化粧品」のセールスマンとなる。
そこへ彼を尾行する怪しげな私立探偵・金田一小五郎(藤木悠)が現れ、フランキー堺が公園(芝公園か)にいるところで
ナレーションが終了する。

バックに東京タワーの姿が映し出され、不安げな音楽とともに、

「人も歩けば」のタイトルが出る。

映画タイトルが出るまでに、ほとんど1本の映画の内容のストーリーがつまっている。

初めて観た時にまず驚いたのはこの10分くらいのアバンタイトルから
クレジットタイトルとそのタイトルバックに至る展開だった。

奇をてらっているが、「この後一体何が始まるのだろう」と観客の興味を惹きつける素晴らしい構成である。
本作は川島雄三の単独シナリオ(原作は梅崎春生)。川島雄三はシナリオライターとしての才能も超一流。

 

ファーストシーンは雨が降り出す銭湯の前の路地。

撮影所内のセットだろう。

新橋の路地のおでん屋「すみれ」のママ・すみれ (淡路恵子)のお酌で飲んでいる桂馬(フランキー堺)は、
店の客で近くの銭湯の主人である日高泥竜子(森川信)に手相を見てもらい、
「君は家を飛び出し、その後近いうちに大金が入ってくる」と言われる。

 

質屋に帰宅したフランキー堺は、嫁の横山道代、母親のキン (沢村貞子)が古物商の木下藤兵衛(桂小金治)と一緒になって、
すみれのママとの浮気を疑い、また自分を邪魔者扱いするのに腹を立てる。

フランキー堺はそのまま成金屋質店を飛び出してしまう。占いが的中したのだ。

 

東京湾の埋立地の簡易宿泊所に宿泊して個性的な宿泊客たちと一緒に生活するフランキー堺。

ここの将棋好きの主人・並木浪五郎が加東大介。

 

そんなときに成金屋質店に法律事務所の外国人ロバート・オットオ(ロイ・ジェームズ)が訪ねてきて、
「桂馬の米国シカゴの叔父の遺言で遺産9000万円を桂馬に譲るが、1か月以内に桂馬本人が事務所に来ないと権利がなくなる」
と横山道代、沢村貞子に伝える。

そこから、ころっと態度を変えた母と娘(妻)が遺産目当てに、
会社も辞めてしまい行方不明のフランキー堺を捜すのが主なストーリーとなる。

 

途中でくだらないスラプスティックコメディ、ドタバタ調がはさまる。

簡易宿泊所へ訪ねてきたサングラスをかけた怪しい三人組。

この名前がゴジラの八(八波むとし)、ラドンの松(南利明)、アンギラスの熊(由利徹)である。
アンギラスが渋い(笑)

東京湾の埋立地でのフランキー堺との追っかけシーンが突然展開する。
ストーリー展開には全く関係が無い。川島雄三らしい遊びだ。

 

浅草生まれの沢村貞子らしい台詞がある。

フランキー堺の捜索について私立探偵・金田一小五郎の藤木悠と話すシーン。

50万円のギャラを要求する藤木悠に対して、
「馬鹿馬鹿しい、うちじゃ警察に頼みますよ、警察はただだからね。それにね新聞広告もおごるの、新聞広告も」
と一気にまくしたてる。

新聞広告に対して「おごる」という表現は、私も東京の下町生まれなので、いかにも東京の下町言葉だと感じる。

本作での沢村貞子の演技や早口の台詞の言い回しは絶品である。

 

沢村貞子と並んで、淡路恵子、森川信の軽いタッチの自然な演技も素晴らしい。
私が本作を好きなのはこの三人の脇役の渋い、大人の達者な演技に依るところが大きい。

 

簡易宿泊所で弟分の鉄 (三遊亭小円馬)にスクーターと金を盗られてしまい一文無しになったフランキー堺は、
森川信の経営する銭湯で流しの仕事をする。

銭湯でのシーンでの元気な掛け声のフランキー堺は、『幕末太陽傳』(57)での居残り佐平次を髣髴とさせる。

本作はおふざけのネーミングが多い。

金田一小五郎、木下藤兵衛、ゴジラの松など、極めつけは簡易宿泊所の主人の加東大介が飼っている犬の名前。
なんとナターシャだ。

 

最終的に、フランキー堺は見つけ出され、新橋の烏森神社 (実際のロケーション)のお祭りの境内で
妹分のデパートガール・清子(小林千登勢)から遺産9000万円のことを知らされて、
食べていた綿あめを持って将棋盤の上に気絶してしまう。

 
【ラストシーン】 

この後、将棋盤と綿あめを小道具にしたラストシーンへの展開がある。

ラストは「コットン・キャンディーズ(綿あめ)」というバンドで演奏するフランキー堺たち。
初めて本作を観たとき(確か東京・千石にあった三百人劇場での川島雄三特集)に
「なんとお洒落なラストシーンか」としばらく席を立てなかった。

 

本作は作品の構成とラストのオチの点で、フリッツ・ラング監督『飾り窓の女(The Woman in the Window ) 1944 アメリカ)
の影響を指摘する方もいる。

 

私は『飾り窓の女』をDVDで観ているが、確かに少し似ている面はある。

『飾り窓の女』は冒頭、窓に飾られた美しい女の肖像画(ジョーン・ベネット)を観ている、
ほろ酔い気分のエドワード・G・ロビンソン演じる犯罪学の教授の横に、
モデル本人が現れ話しかけることがきっかけでその後の目まぐるしい展開のストーリーが動いていく。

 

川島雄三の本作では、正にラストの前、銀座の店のショーウィンドウに置かれたテレビの画面に小林千登勢が映っていて、
それを観ているフランキー堺のアップから演奏シーンに場面転換する。

この「絵画」から「テレビ」への見せ方の変化も含めて、川島雄三が脚本執筆の際に『飾り窓の女』のイメージを
少し入れているのではないかというのが私の推測なのだが。あまりにマニアックすぎる解釈だろうか。


こんなに不思議な感覚に満ち溢れて面白い映画は観た事がない。

途中から遺産相続をめぐるミステリー調になり、この先どうなるんだろうというストーリー展開も実に面白い。
川島雄三の単独脚本であり、繰り返すがシナリオライターとしても超一級と言えるだろう。

DVD化されたので早速購入した。

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☆ロケ地紹介(YouTube旧作日本映画ロケ地チャンネル)

『接吻泥棒』

原作は石原慎太郎。脚本は松山善三。撮影監督は川島映画これ1本のみで、黒澤映画で有名な中井朝一、

美術は村木忍、音楽は黛敏郎。

出演は宝田明、団令子、新珠三千代、草笛光子、中谷一郎、河津清三郎、沢村貞子、中谷一郎、北あけみなど

 

人気ボクサーとミッション系の女子高生との恋愛を軽快なテンポで描いたラブコメディである。

接吻(せっぷん)は現代では死語に近いが、接吻泥棒というタイトルはなかなかいい。

 

川島雄三は本作について

「このへんから、原作・脚色に当代の人気者がそろっています。やとわれ監督、といったものです。」
(「川島雄三 乱調の美学」 P117)

と述べている。

 

ストーリーはボクサー・高田明 (宝田明)をめぐる女達、バーのママ・山岸エリ(新珠三千代)、
ファッションデザイナー・エレナ西条(草笛光子) 、ダンサーの沢井洋子 (北あけみ)のそれぞれの嫉妬心、
週刊誌の接吻写真を問題視する教師たち(校長は沢村貞子)、
女子高生・由紀美恵子(団令子)の家族(父親=河津清三郎、母親=東郷晴子)と団令子との葛藤などを
スピーディにコメディタッチで描く。

 

アバンタイトル

ビックバンドジャズ風の音楽に東宝スコープのクレジット。

ハンサムなボクサーの高田明 (宝田明)の練習風景からタクシーで外出するまでと、
金持ちで活発な女子高生・由紀美恵子(団令子)が部屋から運転手付の自家用車で外出するまでが、
ジャズドラムのフォービートの軽快なリズムで交互に描かれる。
ジャズ演奏の4bars(フォーバース:ソロを4小節ずつ交代で演奏)を表現しているのだろう。

 

宝田明パートでは画面右側に赤い色が、団令子パートでは画面左側に青い色が出る。なかなか面白いデザインだ。

両パートとも、もの凄く早い台詞の言い回し、いわゆるマシンガントークなのでよく聞き取れない。
この時代のスピード感を表現したのだろう。

宝田明パートにはバーのママ・山岸エリ(新珠三千代)とファッションデザイナー・エレナ西条(草笛光子)が登場する。

 

団令子の乗った車と別の車が街で出会いがしらに衝突する。
これは当時の東宝の多くの映画に登場する東宝撮影所内の銀座オープンセットだろう。
団令子の車が突っ込む店の名前が「カワシマ帽子」。
この作品での演出かと思ったら、他の東宝作品のオープンセットにも「カワシマ帽子」は登場している。

そこに居合わせた宝田明は、失神している団令子に口移しで水を飲ませて介抱する。

 

そこを週刊誌のトップ屋(現代では使われない言葉)・日高(中谷一郎)に写真を撮られてしまう。

トップ屋はその場に登場する原作者の石原慎太郎に「石原先生、どうです、小説のネタになりませんか」に対して、
本人役の若き石原慎太郎が「うん、接吻泥棒、いけるじゃないか」と口走る。

介抱で目をさました車の中の団令子と宝田明の姿。

ビッグバンドジャズサウンドとともに、黒バックで白地に接吻泥棒のタイトル。

 

それに続くクレジットタイトル。

タイトルバックでは、画面右側が週刊誌を印刷している輪転機、
左側が二人の接吻の写真がネガのような状態で色を変えて次々に映し出される。

監督川島雄三のクレジットの後に、二人の接吻写真に重なり「週刊トピックス」の文字が出て、
週刊誌の表紙写真の分割写真となる。

川島映画の中でもスタイリッシュさ、お洒落さではナンバーワンのオープニングである。とにかくカッコイイ。

 

ファーストシーンは、団令子の通うミッションスクールの教員室。

団令子の接吻写真をめぐって教員たちが意見を戦わせている。


裕福な家の活発な女子高生・由紀美恵子(団令子) の父親・由紀(河津清三郎)が、
娘が車の中でスクープされた接吻写真の相手であるハンサムなボクサーの高田明 (宝田明)のボクシングジムへ出向いて
宝田明に対して抗議をするシーン。

 

宝田明の言い分に怒った河津清三郎は

①(河津清三郎)「社会的な制裁を与えてやる。こっちにこい」と宝田明を画面左側にひっぱっていく

場面転換

②バーのドアが開き、酔っ払ったご機嫌の河津清三郎、宝田明の二人が笑顔で肩を組んで
マダムの山岸エリ(新珠三千代)のバーに入ってくる。どのように仲直りしたかは省略されている。
成瀬映画や小津映画にもよく見られる「逆転つなぎ」の場面転換だ。

かなり無茶苦茶なシーンもある。

宝田明と団令子がダンサー・沢井洋子 (北あけみ)が出ているナイトクラブに行く。

「ちょっと見ておいて」と席を外した団令子がいつのまにか衣装をつけてナイトクラブのメインダンサーとして踊る。
(ミッション系の女子高生が)あり得ない!。その場で北あけみとの乱闘が始まる。

 

新珠三千代がセスナ機の免許を取ろうとセスナ機の操縦訓練をするシーンが登場する。

セスナ機操縦シーンは松竹時代の『東京マダムと大阪夫人』(53)にもある。
川島監督は飛行機、セスナ、ヘリコプターと空撮が大好きなようだ。

 

【ラストシーン】
オープニングと同様にラストへの展開も遊び心全開で洒落ている。

川沿いの屋台の前で、トップ屋に殴られて倒れた宝田明を、
オープニングの展開と逆に、今度は団令子が水を口移しで飲ませて目覚めさせる。

二人で出て行こうとすると、屋台から顔をだすのがオープニングに続いて登場する石原慎太郎だ。

 

宝田明は「原作者としてこの先の話はどうなるんですか。 (団令子と)結婚させてくれるんですよね」と頼み込む。

石原慎太郎は「よしたほうがいいぞ。あんな気の強い女。これからぐっとイカス女を書くから」などと言う。
トップ屋(今でいう「文春砲」か)とともにイカス女という表現も約60年前という時代を強烈に感じさせる。

そこで団令子が「先生、作家がそんな無責任なことを言っちゃあ困りますね。責任を取りなさい、責任を」と叱る。

石原慎太郎は「ああ、俺には女は書けねぇ」と言って再び屋台の店に入っていく。脚本=松山善三。

 

それを聞いて笑顔で去っていく宝田明と団令子。

店の中で色紙を取り出して左手でさらさらとマジックで書く石原慎太郎。

オープニングと同じジャズが流れ、ピンクの背景に「接吻泥棒 終」と出る。

 

本作は随所に面白い、お洒落な演出はあるが、1本の映画としてみるとまとまった感じはしない。

しかしオープニングとラストのスタイリッシュなセンスと黛敏郎の音楽は文句なしに素晴らしい。

宝田明と団令子のコンビもいい。いかにも東宝映画らしい都会的なセンスに満ちた楽しい川島映画だ。

 

本作には私が生前親しくしていただいた成瀬組(8作品)助監督の石田勝心監督が、駆け出しの助監督として付いている。
石田監督からはこんなエピソードを聞いた。
ファッションデザイナー役=草笛光子の店での撮影中に、お昼休憩になり、
その時に川島監督が「お昼の後の撮影は、石田君、君がやりなさい」と。

下っ端の新米助監督だったので慌てたが、川島監督の命令では仕方なく、
お昼休憩の後、何とか芝居を演出してやりとげたそう。
その場面は、石田監督とビデオを一緒に見て「ここのシーンは実は私が演出したんだ」と
懐かしそうに話されていた。
川島監督は時々助監督に難問を訊いたりと無茶ぶりをしたそうだが、そこで「えっと」なると
そのあと口をきいてくれなくなると、山本邦彦監督(『青べか物語』などの助監督)にも聞いたことがある。

川島監督らしい、洒落た助監督教育方法だったのだろう。

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☆ロケ地紹介(YouTube旧作日本映画ロケ地チャンネル)

『夜の流れ』
共同監督=成瀬巳喜男

同じ松竹出身の先輩監督・成瀬巳喜男監督との共同監督 

脚本は井手俊郎と松山善三。撮影は安本淳と飯村正、美術は松山崇と北辰雄、音楽は斉藤一郎。

出演は司葉子、山田五十鈴、宝田明、三橋達也、白川由美、水谷良重、草笛光子、三益愛子、志村喬、北村和夫、星由里子など

 

成瀬巳喜男と川島雄三との唯一の共同監督の映画である。
異なる監督が独立した映画を演出するオムニバス形式はよくあるが、
1本の映画の撮る場面を分けた共同監督という形式はかなり珍しい。

 

川島雄三監督は本作について

「 ~僕は成瀬さんみたいな撮り方じゃありませんが、いっしょにやっていて勉強になりました。~」
(「川島雄三 乱調の美学」 P118)

と述べている。

 

東京・築地の料亭の娘・藤村美也子(司葉子)が母親の女将・藤村綾(山田五十鈴)との様々な葛藤を経て
芸者になるというのがメインストーリーである。

 

いろいろな資料での二人の監督や出演者の証言によると、

成瀬監督は藤村美也子(司葉子)とその母親で料亭の女将の藤村綾(山田五十鈴)、
そして母と娘の両方から愛されてしまう板前の五十嵐力(三橋達也)が登場するパートを演出。

川島監督は芸者の一花(草笛光子)とその恋人で呉服商の滝口速太(宝田明)、
そして草笛光子の芸者仲間である金太郎(水谷良重)、万里(横山道代)、あけみ(星由里子)などが登場するパートを
演出しているようだ。

しかし、その両方の出演者が一緒に登場するシーンもあり、それはどちらの監督が演出したのかはっきりしない。

 

アバンタイトルはない。

悲しげなトランペットの音に東宝のクレジットが出て、夜の流れとタイトルが出る。

そのままクレジットタイトルでキャスト、スタッフが紹介されていく。

タイトルバックは水に油をたらしたような渦の模様が画面の左から右に流れていく。
音楽は成瀬映画を多く担当した斉藤一郎なので、曲の感じは成瀬映画そのままである。

最後に「監督 成瀬巳喜男 川島雄三」と横に並んで出てくる。

 

ファーストシーンは、賑わっているホテルのプールの俯瞰映像。

画面の中の看板には「ダイヤモンドプール 東京プリンスホテル」と書かれているので実際のロケーションだろう。

そこに、白い水着の藤村美也子(司葉子)と、友人で黒い水着の園田忍(白川由美)が登場する。

 

二人ともおそろいの白いキャップをしている。合図でプールに飛び込んで泳ぐ二人。
プールサイドでアロハシャツを着ている園田浩一郎=白川由美の父親(志村喬)の視線でプールの二人を追う。

 

このシーンは視線の使い方とショットのつなぎが成瀬監督演出のように思える。
もしかしたら川島雄三が成瀬調に撮ったのかもしれないが・・・

 

二人はプールから上がり着換えルームに入る。

その後、プールに来た一花(草笛光子)、金太郎(水谷良重)の芸者たちが水着に着替えてプールサイドに登場する。
そこに若い男たちが囃し立てるやり取りがある。

 

本作は、成瀬演出と思われるパートの方が優れている。

また演技でも司葉子、山田五十鈴と三橋達也の三角関係はなかなか見ごたえがある。
川島演出と思われるパートは少しせかせかとしていて川島雄三らしい快調なリズム感に欠ける。
そのため、本作は編集のテンポが一定していない印象で1本の映画としてのまとまりに欠ける。
共同監督という手法の限界かもしれない。

美也子(司葉子)と忍(白川由美)が座敷でメロンを食べようとするシーン。
板前の力(三橋達也)も呼んであげたら、という忍に、
「あの人はメロン嫌いだもの」と美也子。
しかし次のショットでは楽しそうに談笑しながら三人でメロンを食べている。
成瀬監督お得意の「逆転つなぎ」。

 

一箇所面白いシーンがある。

宝田明と草笛光子が新装開店した呉服店。店の前ではチンドン屋が演奏している。
チンドン屋といえば成瀬映画の定番なのだが、本作では内容からいって川島演出のパートのようだ。

 

実際に川島雄三は、

「最初のプールの場面が川島で、チンドン屋の出てくるところが成瀬。などと文春だったかの映画欄にありましたが、
そのチンドン屋のところが僕の演出だったり、なんてところのある写真です。~」

(「川島雄三 乱調の美学」 P118)

とも述べている。

これは川島雄三の、少し洒落っ気の混じった成瀬監督へのリスペクトかオマージュだろう。

 

ラスト近く。山田五十鈴との別れを決めて神戸に旅立つ三橋達也のアパートを訪ね、
部屋の中で三橋達也を批判して去っていく司葉子。

ここは室内の人物の動き、視線の使い方などの撮影手法からみて間違いなく成瀬演出だ。

 

次のシーンは、電車の入ってくる駅。

ホームには宝田明と草笛光子、そして草笛光子の元の男で二人に執拗につきまとう野崎(北村和夫)がいる。

駅名は「しって」と書いてあり、これは川崎のJR南武線に実在する駅だ。

宝田明が売店に夕刊を買いに行ったすきに、北村和夫は草笛光子に「一緒に死んでくれ」と無理心中を頼み、
気づいて止めに入った宝田明も間に合わず、二人はホームに入ってきた電車に飛び込んでしまう。

 

芸者になることを決心し前向きに生きていこうとする司葉子と、昔の男のせいで死んでしまう草笛光子が対比的に描かれていて、
ここでの成瀬演出と川島演出の分担は光る。

 

【ラストシーン】
ラストは芸者のお披露目で晴れやかな表情で歩く司葉子の姿で終わる。若き司葉子が綺麗だ。

 

全般的に本作は成瀬映画としても川島映画としても傑作という評価は難しい。
しかし日本映画を代表する名匠の成瀬巳喜男、川島雄三という二人の共同監督の映画というだけで、
そのコラボレーションに感謝である。


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❸(大映作品編)に続く


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