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「旅人たちの知恵」を確かめる 青梅街道
「青梅街道」は東京都心と西多摩の青梅をつなぎ、一日に数万台が走る大動脈です。
「所沢の青梅街道」は、完全に生活道路になっています。
かつて、青梅街道と呼ばれていた。それを知る人もごくわずかです。
しかし、生活道路でありながら青梅までの道をたどることができます。
※ 以降「青梅街道」は特に断りがなければ、「所沢の青梅街道」を指します。
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「4.江戸道の合流」 |
合流後に振り返った写真です。
左側が青梅街道です。
右側が江戸道です。
江戸道は東川を渡り、段丘崖を
斜めに登って来ています。 |
誓詞橋
出典:地理院地図
淡色地図を加工
したものです。
1 誓詞橋 |
北側で分岐する道
川越 小谷田 青梅 三ヶ島
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南側で分岐する道
江戸 北野天神 山口観音 |
2 誓詞橋 |
「二海道」「小谷田街道」
は、三ヶ島の小字名にも
なっています。 |
「金井ヶ原」 |
「武蔵野合戦」の戦いの一つが小手指ヶ原で行なわれました。小手指ヶ原のほかに、
人見原・金井原でも戦っています。
その金井原は
[町田市金井]
[所沢市金井沢]
[小金井市]
と考えられています。
断定はされていないため、
[金井ヶ原古戦場]という呼称は使われていません。
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峰の坂
青梅街道の起点は「峰の坂交差点」からやや入間市寄りにあります。
左に分岐する生活道路が青梅街道です。
1.直ぐに県道に寸断されます。
横断は難しく宮本町の信号機が頼りです。 |
2.横断後は分岐も曲がり角もありません。
真直ぐに西に続きます。 |
3.鋭角交差点と踏切が重なる難所です。
左手正面が青梅街道です。 |
4.小手指駅の南で江戸道が合流します。
昔は道標の馬頭観音がありました。 |
小手指ヶ原交差点
小手指ヶ原交差点で国道463号線バイパスと合流します。
拡幅工事に飲み込まれ、青梅街道はバイパスの歩道部分です。
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誓詞橋交差点
誓詞橋は[鎌倉街道小手指道]と[青梅街道]の交差点です。
右折してバイパスから離れ分岐を重ねます。
最後はバイパスに寸断されてしまいます。
1 「誓詞橋」を右折直後に左に入ります。
すぐに小谷田街道が分岐(右)します。 |
2 小谷田街道の次は二海道への分岐。
青梅街道は左です。 |
3 10m程でバイパスに寸断されます。
向う側には電話線だけが渡っています。 |
4 最寄りの交差点でバイパスを渡り、
青梅街道に戻ります。再び直進です。 |
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金井ヶ原
誓詞橋を境に東を小手指ヶ原。西を金井ヶ原と呼ぶ場合があります。
青梅街道沿いに「青梅街道」と「青梅道」という小字(緑色)があります。
出典:「所沢市史地誌編」別冊の附図に注釈や地名を添えています。
上の写真は[字 青梅街道]と[字 下山]に挟まれた区間です。
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狭山丘陵の八幡湿地から流れ出た 樽井戸川が、脇を流れています |
自転車だと勾配を感じますが、徒歩では全く
分かりません。青梅街道全体に共通します。 |
入間市宮寺
入間市宮寺「矢荻バス停」の手前で、県道所沢青梅線と合流します。
宮寺の中心部を抜け東京都に入れば国道16号線の交差点まであと僅かです。
青梅までは奥多摩の大岳山や富士山を視野に入れた道が7キロほど続き、
青梅の手前で、いわゆる「青梅街道」に合流します。
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追記 金井ヶ原のルート
誓詞橋を渡った後、
砂川堀と谷川に挟まれた舌状の土地を、やや捲きながら登っています。
そのため、樽井戸川の渡河点は捲き道の一部になり、ほぼ水平の状態で通過します。
青梅街道が、
緩い円弧を描いているのはこのためです。
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路傍の諸尊 |
〇 路傍の諸尊に道標が刻
んであるとは限りません。
むしろ少数派です。
〇 刻まれている文字は風雨
に晒されており、素人が
読めるものは稀です。
そこで
〇 道標の有無を調査資料で
選び、内容を確認しました。
〇 使用した調査資料は以下
のとおりです。
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所沢市石造物調査報告書
No1〜No5
富岡・所沢の石造物
三ヶ島の石造物
柳瀬・松井の石造物
山口・吾妻の石造物
小手指・新所沢・並木の石造物
所沢市史調査資料
No31,32,37
31所沢市の庚申塔
37所沢市の諸尊・供養塔
32所沢市の馬頭観音・地蔵塔
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平原の中の分水嶺
「旅人たちの知恵」
所沢から青梅まで基本的には上り坂です。
しかし、途中で東川や砂川堀をはじめ、狭山丘陵の谷戸から流れだす小さな川が
幾つもあります。
「小さなアップダウンを繰り返しながらの上り坂がつづく。」
この難儀をどのように回避するか。その道筋の選び方に知恵があります。
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青梅街道断面図
出典:地理院地図の[断面図]ツールを使用して作成。地名等を追加しています。
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県道所沢青梅線と青梅街道の断面図を、始点と終点を同じにして作成し、比較したグラフです。
(地理院地図の[断面図]ツールからデータをダウンロードし、表計算ソフトでグラフ作成)
青梅街道
小手指ヶ原(前半) |
東川
砂川堀 |
東西に延びる平原の分水嶺上を緩い上り勾配を維持したまま
進んでいます。南側:東川 北側:砂川堀。 |
青梅街道
金井ヶ原(後半) |
樽井戸川・谷川 |
北東に分水嶺の方向が変わるため、小さな川を渡ります。
狭山丘陵と距離をとり谷戸のアップダウンを避けています。 |
県道所沢青梅線 |
東川・六ッ家川
砂川堀 |
丘陵に近づきすぎて<谷戸>の切れ込みに掛かっています。
そのため、アップダウンを繰り返しながらすすんでいます。 |
※ 青梅街道は丘陵と適度な距離を保つことと、高低差を重視して道がつけられています。
※ 県道はアップダウンよりも、移動距離の短縮を重視して道が作られています。
※ 人馬の往来と自動車の通行の違いが如実に表れています。 |
茶色の線が[青梅街道]。地図中下端に県道所沢青梅線があります。
出典:所沢市史地誌編附図
馬頭観音と庚申塔
旅人の知恵
青梅街道は東西に延びる道で、多くの道が南北に交差します。
また、分岐と合流も多い道です。そのため道標も要所要所で必要になり、その多くは
馬頭観音・庚申塔・石橋供養塔など、諸尊に道を刻んだものです。
「道標」には「情けは人のためならず」が、そのまま当てはまります。
供養塔を建ててそこに道を刻むのは講や村の人々なので、そもそも道案内は不要です。
しかし、村から出れば道を尋ねる他所の者です。
為政者に命じられてつくる街道と違い、「お互いさま」の心と知恵が、諸尊に刻まれた道標
だと思います。 |
小手指ヶ原交差点 馬頭観世音 嘉永5年
西 青梅道 北 川越道
南 八王子道 東 江戸道
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誓詞橋南 百番供養塔 天保6年
左江戸道 中北野天神 右山口くわん■ |
誓詞橋北 石橋供養塔 安永2
右 川越 中 三■■
左 青梅并見ヶ嶋道
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糀谷浅間山南 庚申塔 万延元年
北 扇町谷 東 川こえ 所沢
南 みかしま 府中 西 箱根ヶ崎 五日市 |
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