所沢の古道 所沢市に残る 鎌倉街道上道 青梅道 江戸道 をたどります。
 
「三八の市」に集う道

所沢宿では毎月「三八の市」が開かれ近郷近在から人々が集まりました。
所沢市史の要約を載せます。
「『所沢市史』宿と三八市の成立」 一部要約 
 所沢の市は領主や代官の主導ではなく、商人や近在の農民の経済活動の中で成立した点が特徴です。
 市には扇町屋、入間川、所沢など各地の商人が集まり、開催日に露店が開かれました。また近在の農民も参集して村々の産物を売却し、日用必需品を購入しています。
 市は三の日の三斎市として三日・十三日・二十三日と月に三回開催され、江戸道に沿った上町・上仲町・下仲町・下町に露店が並びました。
 しだいに、三・八の六斎市へと拡大し、鰯・小鰹・鯖・鯨などの塩魚や干物、木綿・古着・古布団などの衣類や古道具等が売買されました。
 有力商人も輩出し、引又宿の河岸問屋の荷主名簿から穀商・肥料商・織物商のほか、さまざまな商人の存在が明らかになっています。
原文は常体で記述されています。   




























江戸名所図会

薬王寺































清瀬橋付近

























追記)
江戸道は東川に沿って
川べりを進みますが、
川まで下らず段丘上を平行して
進む道を辿っています。
通称
「市街道」です。
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追記)
「牛沼道」との交差点からは
道なりに一本道ですが、
市民医療センターの周辺は、
市街化で道が付け替えられ
鉤型や回り込みなど
迂回を余儀なくされます。
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武蔵野話「野老澤村家並」
所沢宿には様々な方向から道が集まってきています。
武蔵野話 野老澤村家並
南: 久米道 鎌倉道 山口道(八王子道)
西: 北野道 上新井道 秩父道
北: 入間川道
 所沢市史地誌編附図
東: 江戸道(清瀬) 河岸道(水子道)
南: 江戸道(田無) 府中道
西: 青梅街道 
北: 川越道 地蔵道
  :峰の坂交差点 :根岸の交差点 :元町交差点
  :右 みつ子路  左 川こゑ路 [単独道標 文久3年]
  :右水子引又道 中入間川道 左飯能青梅道 [百番観世音菩薩天保12年]
これらの道や交差点名等を「所沢市史地誌編附図」の地図に
書き込みました。
道標や百番観世音は移設されています。
江戸道の所沢宿 所沢市史附図より
三八の市は実蔵院から坂稲荷にかけて、東川にそった東西の家並で開かれました。
(稲荷社〜金山社)
中心は上町、上仲町、下仲町、下町です。
仲町は薬王寺の参道を挟んで上仲町・下仲町に分かれています。


江戸道・清戸道>
江戸から清瀬に続く道は「清戸道」と呼ばれ、練馬区から新座市を抜けて
清瀬市に続いています。
この「清戸道」が柳瀬川を渡り、所沢市に入ると「江戸道」と名を変えます。

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清瀬橋を渡り埼玉県に入ります。
所沢の古道 江戸道 清瀬橋
清瀬橋
武蔵野線をくぐる道が開通し、下安松交差点が改良されたため
江戸道は旧道(左)になっています。
旧道に入るとすぐに「柳瀬川交差点」で引又道が左へ分かれます。

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「柳瀬川交差点」の和田子育地蔵尊
江戸道 下安松地蔵堂
「日本廻国供養塔」(中央)
「左 秋津道」 「右 所沢道」

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「江戸道(所沢道)」は直進し、愛宕山に向けて坂を登って行きます。
所沢の古道 江戸道 愛宕山の庚申塔
 頂上の愛宕山の交差点です。 愛宕山庚申塔 左ハ大和田 右ハ江戸道 
所沢の古道 江戸道の庚申塔
愛宕山から程なく斜めに入り、霊源寺の北を抜けると牛沼道と交差します。
東川への坂の角に庚申塔があります。
 
[東 江戸みち] [きた 川ごえみち]
 [西 八王子みち(牛沼道)]
東川に下らず、段丘面にそって進む道が市街地の中心に入る道です。
小さな踏切を越えれば「根岸の交差点」まであと僅かです。
県道は七星橋で線路を越えます。
  
 根岸には県道と合流して入ります。  庚申堂には庚申塔が並び、
古道の趣が復活します。
産業道路的なもう一本の江戸道よりも、清戸道につながるこの江戸道は
生活密着型の印象です。
以前、清戸道を辿った時、清瀬から新座を抜け、西大泉に出るまで
大いに道に迷いました。
それだけ、知る人ぞ知る便利な道だったのでしょう。



注記)
ここにいう「引又道」は
所沢から引又を目指す道です。
「九道の辻」の「引又道」は
有名ですが、
以降、断りがない場合は、
所沢の「引又道」を
指します

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本郷道

武蔵野話
滝の城
































































































 

竹間沢付近
県道は竹間沢の集落に回り込みます。
そのため、河岸道は畑の中の細道になっています。
竹間沢小学校の前で道が再度現れ、南側の交叉点で県道が合流してきます。
 






新河岸川舟運の道
<引又道>
志木の引又河岸(標高7m)から所沢(73m・根岸交差点)へ行くには、
引又河岸で降ろした荷と共に急坂を上る必要があります。
「どの坂を登るか。」が大きな課題です。
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共通
引又から柳瀬川右岸にそって緩やかに標高を上げる。
清瀬橋で左岸(所沢側)に渡る。
それから先は、荷物の量や重さに応じて坂を選択したと思います。
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所沢の古道 引又道 柳瀬川断面図
(模式的に段丘の断面図を作成しました。距離や高さ及び起伏は目安です。)
<選択肢>
特徴     デメリット
七曲り 段丘崖を登る。最も早く柳瀬川の低地を離れる。  九十九折の急坂
江戸道 幅の広い浅い谷の底部を緩やかに登る。  坂が長く1キロ近く続く。
長源寺前 狭く深い谷の腹にそって緩やかに登る。  屈曲が多く坂も長めになる。
七曲り 段丘崖を登る。所沢へは坂の途中で分岐します。  九十九折の急坂。
江戸道 最も上流なので高低差が少なく、傾斜も緩やか。  柳瀬川の低地を4キロ以上進む。 

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滝の城跡からの眺望
所沢の古道 滝の城
柳瀬川左岸の段丘崖上から右岸の引又道方面を眺めています。
団地の手前が柳瀬川です。

大バケ(本郷道)

段丘崖を柳瀬川が直接削っている場所です。
本郷道は崖と川の間をすり抜けるように進みます。
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引又道の諸尊・庚申塔
和田の延命地蔵
和田延命地蔵
右 本郷道 左 日比田道 
上安松地蔵堂
上安松地蔵堂
地蔵菩薩・馬頭観音・庚申塔
所沢の古道 引又道の庚申塔
北秋津 庚申塔

右 引又道 左 牛沼道
所沢の古道 引又道 庚申塔
北秋津 山崎の庚申塔

右 秩父■ 左 山口道
周囲の水が柳瀬川に集まり流れ下るように、人々も各坂を下り崖下の引又道に合流する。つまり、
引又を目指す人たちを上流から順々に集めながら、柳瀬川と併走して下っていく道だと思います。
引又道はその名のとおり、引又への下りに使う。あるいは所沢に急ぐ道だと思います。



<河岸道>
  舟運は大量の荷物を一度に運ぶ輸送です。荷は重くなり柳瀬川の沖積地の長い道のりを運んだり、段丘崖を登ったりすることは避けるのが自然です。
 「河岸道」は多少距離は延びますが、武蔵野台地の乾いた土の上を中継ぎ地の所沢まで大きなアップダウンもなく進みます。つまり輸送のための道です。

所沢の古道 河岸道 岡の坂
引又河岸から北西に県道「ふじみ野朝霞線(266号)」を進むと、
所沢から延びてきた段丘の末端にある「岡の坂」に出ます。
段丘の末端だけあって、坂の高低差も小さく傾斜も緩やかです。
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下の2枚の写真は約4キロ離れた竹間沢と南永井の写真です。
ほとんど起伏も様子も変わりません。
所沢の古道 河岸道 竹間沢 所沢の古道 河岸道 南永井
  「岡の坂」の標高が14mで「峰の坂」が77mです。
高低差63mを約12キロかけて登る道です。
所沢の古道 引又道と河岸道との比較


分岐には馬頭観音があります。
左側面 所沢道 右側面 上とめ道

南永井 ユニークな修復です。
西 ところざわ道 
東 江戸道 裏 の志ほう(野塩)道
所沢の古道 河岸道 峰の坂
川越道・河岸道から見た「峰の坂交差点」です。右手奧が秩父道・青梅街道
右手前が入間川道・正面左奧が峰の坂。左手が浦和バイパスです。


引又道と河岸道
(感想)
始点と終点が同じ道なので、比較のために「登り」に絞りました。
その結果、遅ればせながら、道のつけ方が全く異なることに気づいた次第です。
素直に考えて、引又に向かうなら「引又道」を使います。
引又から所沢へ荷を運ぶなら「河岸道」だと思います。
「往路と復路」「用途」「天候」に応じて道を選択できるのは
かなり、合理的だと思います。

青梅街道と河岸道
(妄想)
河岸道と青梅街道は道のつけ方が同じです。
多少道のりは長くなったとしても、アップダウンを巧みに避けるルートをとっています。
青梅本町(標高189m)から引又河岸(標高約5m)までを、約32qかけて下ります。
しかも、その間のアップダウンは砂川堀の7mが最大です。
青梅の産品を「青梅街道」→「河岸道」で舟運につなぐ。
その需要の大きさを、一貫した道づくりに感じます。
所沢の古道 青梅街道と河岸道の断面図
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(妄想)
河岸道は所沢が終点ではないと思います。
河岸道を傘の柄に例えれば、「峰の坂」はハブだったと思います。
「秩父道」→「河岸道」も含めて、
荷役の中継地と近在からの集積地が所沢です。
それを舟運につなぐ時は「河岸道」を選び、陸送するときは「江戸道」を選ぶ。
そんな経済活動を妄想すると
所沢で三八の市が栄えたのも納得がいくところです。
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