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「三八の市」に集う道
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清瀬橋付近 追記) 江戸道は東川に沿って 川べりを進みますが、 川まで下らず段丘上を平行して 進む道を辿っています。 通称「市街道」です。 ********************* 追記) 「牛沼道」との交差点からは 道なりに一本道ですが、 市民医療センターの周辺は、 市街化で道が付け替えられ 鉤型や回り込みなど 迂回を余儀なくされます。 ******************** |
所沢宿には様々な方向から道が集まってきています。
書き込みました。道標や百番観世音は移設されています。 三八の市は実蔵院から坂稲荷にかけて、東川にそった東西の家並で開かれました。 (稲荷社〜金山社) 中心は上町、上仲町、下仲町、下町です。 仲町は薬王寺の参道を挟んで上仲町・下仲町に分かれています。 <江戸道・清戸道> 江戸から清瀬に続く道は「清戸道」と呼ばれ、練馬区から新座市を抜けて 清瀬市に続いています。 この「清戸道」が柳瀬川を渡り、所沢市に入ると「江戸道」と名を変えます。 ------------------------------------------- 清瀬橋を渡り埼玉県に入ります。
江戸道は旧道(左)になっています。 旧道に入るとすぐに「柳瀬川交差点」で引又道が左へ分かれます。 ************************************* 「柳瀬川交差点」の和田子育地蔵尊 「日本廻国供養塔」(中央) 「左 秋津道」 「右 所沢道」 ************************************** 「江戸道(所沢道)」は直進し、愛宕山に向けて坂を登って行きます。
生活密着型の印象です。 以前、清戸道を辿った時、清瀬から新座を抜け、西大泉に出るまで 大いに道に迷いました。 それだけ、知る人ぞ知る便利な道だったのでしょう。 |
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注記) ここにいう「引又道」は 所沢から引又を目指す道です。 「九道の辻」の「引又道」は 有名ですが、 以降、断りがない場合は、 所沢の「引又道」を 指します。 ********************* 本郷道 |
新河岸川舟運の道 <引又道> 志木の引又河岸(標高7m)から所沢(73m・根岸交差点)へ行くには、 引又河岸で降ろした荷と共に急坂を上る必要があります。 「どの坂を登るか。」が大きな課題です。 ------------------------------------------- 共通 引又から柳瀬川右岸にそって緩やかに標高を上げる。 清瀬橋で左岸(所沢側)に渡る。 それから先は、荷物の量や重さに応じて坂を選択したと思います。 ------------------------------------------- (模式的に段丘の断面図を作成しました。距離や高さ及び起伏は目安です。) <選択肢>
------------------------------------------- 滝の城跡からの眺望 柳瀬川左岸の段丘崖上から右岸の引又道方面を眺めています。 団地の手前が柳瀬川です。 大バケ(本郷道) 段丘崖を柳瀬川が直接削っている場所です。 本郷道は崖と川の間をすり抜けるように進みます。 ------------------------------------------- 引又道の諸尊・庚申塔
<河岸道>
引又河岸から北西に県道「ふじみ野朝霞線(266号)」を進むと、 所沢から延びてきた段丘の末端にある「岡の坂」に出ます。 段丘の末端だけあって、坂の高低差も小さく傾斜も緩やかです。 ------------------------------------------- 下の2枚の写真は約4キロ離れた竹間沢と南永井の写真です。 ほとんど起伏も様子も変わりません。
引又道と河岸道 (感想) 始点と終点が同じ道なので、比較のために「登り」に絞りました。 その結果、遅ればせながら、道のつけ方が全く異なることに気づいた次第です。 素直に考えて、引又に向かうなら「引又道」を使います。 引又から所沢へ荷を運ぶなら「河岸道」だと思います。 「往路と復路」「用途」「天候」に応じて道を選択できるのは かなり、合理的だと思います。 青梅街道と河岸道 (妄想) 河岸道と青梅街道は道のつけ方が同じです。 多少道のりは長くなったとしても、アップダウンを巧みに避けるルートをとっています。 青梅本町(標高189m)から引又河岸(標高約5m)までを、約32qかけて下ります。 しかも、その間のアップダウンは砂川堀の7mが最大です。 青梅の産品を「青梅街道」→「河岸道」で舟運につなぐ。 その需要の大きさを、一貫した道づくりに感じます。 ------------------------------------------- (妄想) 河岸道は所沢が終点ではないと思います。 河岸道を傘の柄に例えれば、「峰の坂」はハブだったと思います。 「秩父道」→「河岸道」も含めて、 荷役の中継地と近在からの集積地が所沢です。 それを舟運につなぐ時は「河岸道」を選び、陸送するときは「江戸道」を選ぶ。 そんな経済活動を妄想すると 所沢で三八の市が栄えたのも納得がいくところです。 ------------------------------------------- |
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