2005年9月09日 荒武賢一朗さんと 建築あそび 講演記録   home 

     江戸時代後期における大坂周辺地域の青物流通 
          − 明治時代以降への展望を含めて− 

 はじめに  江戸時代大阪の青物流通   都市と農村  幕末期   
 明治以降   おわりに              呑み語り1  呑み語り2  

 荒武賢一朗さんは近畿在住の近世史家である。明治時代の 三菱郵船の顧客リストに記載されている古き福島の商人達の面影をたずね9月8日に来福された。9日は朝から夕方まで旧市街などを調査し、お疲れ様のところであるが、この機会に講演していただくことにした。話の内容は荒武さんが論文として数々発表された中から 近世大坂の青物流通に焦点を絞っていただきました。

 
既に シャワーを浴び汗を流し、ビールで乾杯をし宴会も終え、講演準備をしている会場である・記念写真を撮りましょう〜ワイワイガヤガヤ・・

一応みなさんに 数は多いですが中身は薄いので

 荒武さんが作成・持参したレジメや資料を、参加者に配っている

  会場 笑い

 最初にレジメの一枚目と二枚目を使ってお話しをしたいと思います。一枚目が本文レジメでして、二枚目は横を向いてる表が付いてます。レジメを中心にお話し したいと思います。

そのうしろに ちょっと小さいB4版の資料で 出しているのは 今日のお話しに関わることなんですが、以前 私が書いたものです。今日 読んでいる暇は無いと思いますので、お家に帰って、ご関心があれば読んでいただきたいと思います。

あと、もう一つ大きいのが。厚いですが NO2と右下に書いてある資料 NO6までの資料を出しています。たくさん古文書とかが出ているんですが、これも今日は読んだりしませんので、ご関心があれば読んで頂いて結構です。読み方が分からないということであれば、メール等で御質問いただけたら いいかと思います。

最後に・・会場に地図を出して頂いているんですが・・今日のお話し関わる簡単な地図です。これは「ま〜皆さん大坂の方は馴染みが無いか」と思いますので、参考までにあげておきます。

では、早速 最初の2枚のレジメの方を使って話しさせて いただきます。今日は先ほど ご紹介がありましたように「大坂の野菜の話をしてくれ」ということでしたので、私がかつて、今もやっておりますが、研究をしていることを ご紹介したいと思います

タイトルは「江戸時代後期における大坂周辺地域の青物流通」ですね。サブタイトルとして「明治時代以降への展望を含めて」ということでお話しをします。

 
 ● はじめに 研究の紹介と問題意識 

はじめに ということで、荒武の研究紹介問題意識・・というか、「なぜ野菜の研究をしているんだ」というお話しをしたいと思います。 

私自身はmy長男さんと同じく 歴史研究をずーっとやっております。10年近くやっております。だいたい 今までは幕末維新期の政治史とか経済の歴史とか。そういったものを扱っていまして。大阪で歴史の仕事をすることになりましたので、その関係で、江戸時代とか明治時代の、今日お話しするような野菜の流通とか、野菜の栽培に関わるんですが。 野菜の肥料ですね。 これは下肥し尿を使うわけですが、この流通に ついていろいろと研究を重ねてきました

今日はその中でも、青物と言われるものですが、これはあとでも御紹介をしますが、江戸時代には野菜のことを基本的には青物と言っておりまして、青物という中には果物も入っております。基本的には青果物ですね。とういふうに考えていただいたらいいかと思うんです。それを取る上げる意味としては ここに堅苦しく書いてますが、つほど書いてあげております。


 一つ目は、
皆さん福島にお住まいになられていて、大阪というイメージはそれぞれあると思うのですが、江戸時代の大坂と言うのは 日本史の教科書なんかに出てくるのは、「天下の台所」とか「商いの町」とか「巨大都市」とか、いろいろと呼ばれています。

そういうふうに呼ばれていて、「大きな町だった」とか「商売が盛んだった」とか。そういった事とか 皆さんもご存じかと思うんですが。実際に今まで歴史研究をやっている中で、大坂で生きてきた人々の生活の状況とか、端的に言いますと「どんなご飯食べていたのか」とか「どんなおを呑んでいたとか」そういう話はほとんど分かっていません

で、例えばですね、今まで江戸時代の大坂についての研究では、お米のことは非常に詳しく説明がされていたんですが、一方で、昨日も佐藤さんと話をしていたんですが。お米以外にも 大坂の人達はご飯を食べています。でも、お米以外の食品流通というものは ほとんど研究が無かったというのが実情でした。

 野菜
でもそうですし、お魚でもそうですし、色んなものを食べているのですが、米・米・米ということで「江戸時代は米なんだ」という。他の食品にはほとんど目が向けられなかったという状況がありました。

 2つ目
 「従来の研究で強調された」というふうに書いているんですが、これは今でもそうかもしれませんけども「都市農村対立しているんだ」というのが歴史学をやっている人間、歴史研究をしている人間では 常々言われてきたことです。それが「本当に対立だけなのか」というと、「そうではないんじゃないかな〜」というのが私個人の思っていることでして、「喧嘩ばっかりしてるんじゃなくって、協調する関係もあるんじゃないかな〜」というのが 一つ思っていることです。

野菜を作っている人が、町の人に野菜を売る とかですね。あるいはその代金を作った人に払うとか。そいうことが単純に行われるわけですが、対立だけ起こっていれば、それはなかなか難しいであろうと。だから「協調の関係もあるんでしょう」というのが、2つめです。

 3つ目は 
江戸時代後期から大坂という町は非常に大きな町に肥大化していきます。後でお話しをしますが、青物・野菜を作っていた村がドンドンドンドンになっていくという状況が続いていきます。

せっかく地図を出していただきましたので、単純に説明したいと思うんですが、現代の地図を出していただいているんですが。例えば江戸時代の大坂というふうに 大坂の町を指す場合はおおよそですが この当たりですね。このぐらいの大きさなんです。その他は全部 村なんです。

田圃とかを作っている村でして、こっち側は漁村がある。というようなかたちで、実際には江戸時代にはこれだけだったものが、現代になりますとですね、大阪市といわれる部分だけでも、この範囲が大阪市になっていると。

大阪市の衛星都市がありますが、そういう所も田圃とか畑は ほとんど 今やっておりませんので 都市化してるエリアとしてはこのぐらい・・単純に言うと広がっていると。だから、これと これですよね〜

会場 へー ・・

120年ぐらいの間で。今までは田圃とか畑で米や野菜を作って、ここに運んでいて、ここの人はそれを食べていたんですが。そういう人達が住むようになったので、今度はこの廻りから物を運んで来ないといけない。しかも面積だけで言っても、皆さんに見ていただいたように10倍以上 面積が広がっていますから。当然供給される量も増えてくる。三つ目の 大坂の町が大きくなってしまうという問題があります


 最後に 四つ目としては
現代的課題というふうに書いているんですが、歴史学をやっている人間は「ただ昔のことをヤッテイルだけではダメだ」と僕は思ってまして。今こういう青物であったりとか 環境問題であったりとか、皆さんもそういう 懸念は持たれているとは思いますけど、食品の安全の問題とかですね。

さっき「都市と農村」と お話しをしましたが、地域経済の格差の問題とか こういった問題は今の社会にも常にあるわけです。

江戸時代の都市と農村とか、食料品の供給とかですね。こういった問題から現代的な課題 摺り合わせというとおかしいですけども「ヒントが隠されているのではないかな〜」と思っているのが4点目であります

そういうふうなことを思いながら研究をしておりまして、今も「そこを続けてやって行きたいな」と思っております。今日はその中の一部分になってしまうのですけど、時間が限られていますので。大きく1・2・3に分けております。


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