大阪 ことば悦覧 ことば紀行 2008年5月12〜18日   home 

香川貴範さん伊藤立平さん 岸上純子さん 2008年 5月14日はれ阿波座の事務所にて  
 その01 その02 その03 その04 その05 その06 その07
 その08 その09  

 その01 0分〜15分 28秒 

佐藤:はじめまして 3人ですか
伊藤:そうです
佐藤:よろしくお願いします

香川:お願いします
佐藤:では皆さんに名刺を 佐藤です

岸上きしがみですはじめまして よろしくお願いします
佐藤:今日はインタビューに来ましたので 岸上わらう ちょっと脱がせていただいて。僕に椅子はないんですか
岸上:あります あります 

佐藤:2ショットをまずやると言うのがいつものパターンなんです 2ショットをバシバシと お願いします 
伊藤:はわかりました
佐藤:模型 を背景に こちらからお願いします 広角だから近づいてもらって

岸上:はい いきま〜す 
佐藤:もっと近くでいいんじゃないですか 大きい方が
岸上:はい じゃーチーズ 
佐藤:ああフラッシュ焚いたな 焚かない方がいいな 
岸上:行きマーす チーズ はいOKです

佐藤:じゃ ハイ次 岸上わらう 会ったあと名前と顔がイッチしなくなるので 
岸上:はい いきま〜す チーズ はいOKです
佐藤:じゃ。香川さん に押していただいて 
岸上:失礼しま〜す 

香川:じゃーいきま〜す はい チーズ 
佐藤:はいどうもありがとうございました はじめまして 今日は香川さんのインタビュー に 来ました それで。、若い人にですね 30前後の独立系の若い 建築家に。東京を始め 金沢 それから 横浜 今回は大阪へ 。月曜日から 今日水曜日ですよね インタビューして歩いているんですけど インタビューした音はそのままwebに 校正なしで バーント上げますので 何でも言っていただいて 構いません 

香川はっははははは 
佐藤:文責は私にあり なので 私の聞き間違い、打ち間違え と言うことで
香川:はっはは 
岸上:へへへふふふふ
佐藤:私が全て責任を負うので 何か言われたら「佐藤がへんなふうに 聞き違えた」と言うことで 対応していただければ よろしいと思います 一つよろしくお願いします 。柳原さんに紹介いただいて 

香川:はい 
佐藤:リストを上げていただいたんですけども まず 何で独立してやるんですか と言うことをまず 聞いて歩いているんですけど もその前に 香川さんの 。会った順に貼って置かないと デジカメのデータと対応しなくなる。糊だとはがれちゃうんで これが一番強烈だ 出身地とか生年月日とか 先ず教えていただけますか どこ生まれですか

香川:生まれが大阪なんです 
佐藤:大阪はどこでしょうか 
香川:大阪の池田市なんです 親がやっているので 元々香川県の人間でして 
佐藤:香川って言うからには地元の人だと
香川:そうです 。就職の関係で大阪に出てきたらしいです。 そこで生まれて 生まれたあと直ぐ親の 転勤で 兵庫県内をちょっと 、その後小学校上がる ぐらいに 富山に行ったんです 

佐藤:小学校は富山ですか
香川:小・中・高と
佐藤:小中高 
香川富山に居たんです 
佐藤:それで高岡高校なんですね

香川:そうです 
佐藤:富山か 大学は 
香川:一年予備校へ行ってまして、浪人して その時にまた大阪に来たんですけど その後大学で 東京工業大学 
佐藤:東工大へ行ったと お生まれは何年ですか

香川:1974年です 
佐藤:ということは34才
香川:そうですね 
佐藤:だいたいそんな事で。学生時代は スポーツとか やってらしたですか 

香川:小中高までサッカーをやってました 
佐藤:サッカーですか 
香川:その後 高校生でバンドをやっておった 
佐藤:バンドって音楽ですか 
香川:そうです  
佐藤:ボーカルとか 

香川:吹き出して ちがいます ギターです はは
佐藤:ベース ギター なんでボーカルだと笑うんですか

香川:豪快にはははははは  会場大爆笑 
佐藤:ボーカルかな〜 と思ったんですけど ギターですか 
香川:そうです 
佐藤:東京工業大学へ行かれて 今から何年まえだそうすると 10年位前ですか

香川:卒業は8年 前ぐらい
佐藤:8年と言うことは2000年ですか 一番景気が悪い時にね どうどうと 町へ出てきたと 東京工業大学ではスポーツとかはやっていなかった 

香川:スポーツはやならかった 
佐藤:ただひたすら口芸で 
香川:そうです
佐藤:討論部にはいっていた
香川はははは 割にそういう大学なんです     
佐藤:討論部に入って、議論をしてたわけね 東京工業大学は博士課程とかは行かれたんですか

香川:修士まで 
佐藤:6年いたって言うことですね 

香川:そうですね 
佐藤:そうすると 25才かな それで大阪に8年前に来られて 

香川:そうです。就職で 
佐藤:どこかに就職されたんですか 
香川:かさかくら建築研究所
佐藤:大阪にもあるんですか
香川:そうです 
佐藤:東京だけかと思ってた 

香川:両方にあるんです 
佐藤:何年ぐらい居たんですか 
香川:7年ぐらいですか 
佐藤:それでは独立してまだ1年 
香川:そうですね 1年ちょっとぐらい 
佐藤:2007年 2006年

香川:2006年11月
佐藤:2006年11月に独立されて 最初からこの場所ですか
香川:そうです 
佐藤:何か喋っていてください 画像データが無くっていつもこまっちゃうので写真撮りますから じじゃんじゃん撮っていただいてと それは助かりますね さかくら事務所に 居て 一応実践をやって 丁度2006年11月に 独立をしたと

香川:はい 
佐藤:独立した なんて言うんですかね 「なんで独立したんでしょうか」僕の一番聞きたい処です 今回聞いて歩いているのは 独立系建築家 を中心に 聞いて歩いて おりまして 組織事務所内 の建築家 と言うのは 意外に口が重いと言うか あまり喋ってくれないので 独立系の 人達が中心で 香川わらう プロフェッサーアーキテクト 大学の先生 と兼ねている人 となると 30才では間だ無理ですよね 40位になっちゃうので 僕がターゲットとしてるのは PCが出来た Win95 ぐらいの当たりが学生 大学入って普通にPC使っわざるを得ないと言う 人達が違う感覚を持って、そこら辺で社会が変わったんじゃないだろうか と思って。2000年ぐらいからね 
香川:はい

佐藤:そう言う人達が 不景気のどん底に社会に放り出されて その後あえて独立いてやろうと 言うこと重なって 何を考えているのかなと 
香川:はっははははは そうですね
佐藤: これから5年後にまた来ますので 20年間来ますので 
香川:はっはははは

佐藤:ちょうど香川さんが54才だから 僕ぐらいのオヤジになった時に 君は何しておるかと 
香川はっはははは 
佐藤:長期観察型で 
香川:ふきだしてはははは 岸上も吹き出す 
佐藤:困るかどうかわかりませんけど  出来る限り落ちぶれて居てくれる方が 
香川:豪快にはははははは

佐藤:取材として楽しいので そうすると社会問題がね 分かり易くなるので 成功すると あまり問題は分からないので 仕事で成功しても人生で失敗してるとかの方が と言いながらも  脅かしておいて

香川:豪快にははははは 
佐藤:そう言うことで 一つこれから 20年よろしくお願いします で何で独立したんでしょうかと言う 事ですねまず

香川:そんなに どうしても独立しなきゃとか、そういう 深い考えが有ってはない 
佐藤:偶然
香川:偶然ちゃ偶然かもしれない 入って事務所が そうだった 
佐藤:会社の女の人に手を出して首に成ったとかですか、華々しい経歴じゃないですか 
香川:違います。ないです 
佐藤:それは残念だな〜
香川:ははははは
佐藤:そうか

香川:割と組織設計事務所 の割には 辞める人の多い会社だ
佐藤:ああそうですか。だいたい7、8年したら辞めちゃと言う 
香川:まちまちなんですけども もっと20年ぐらいしてから辞める人も居るし
佐藤:30才定年とかは無いですね 
香川:そういうのは 無いです  割と辞める人が多い

佐藤:その事務所は大きいですか 2〜300人いるんですか 
香川:僕が入った時に 30人ぐらい
佐藤:大阪30人ぐらい 
香川:今10人ぐらいになっている 
佐藤:東京にもありますよね

香川:東京の方がまだちょっと多い 
佐藤:ああそうですか 事務所に行かれた理由は 何かあるんでしょうか 独立なんでしたんかと聞いてて戻っちゃいますけども そのへんの動機から 独立いした理由があまり明確じゃないので、アプローチから攻めてと 

香川:はっはははは 
佐藤:いろいろ揺さぶりを掛けて 
香川:そうですね〜 始め何か大学で ドクターの残るのも考えていたんですけど 
佐藤:フンフン

香川:なかなか大学の論文ちゅうのは このままやっていても なかなか辛いな〜
佐藤:そうですよね 
香川:一回実社会に出て実施設計をやりたいな〜というのが有ったんです 
佐藤:実社会に出て もう一回博士課程に行こうと 希望は有ったんですね 

香川そうですね。始めちょっとそれは思っていたんですけど 結局だらだら8年 居たんで そのまま独立する 格好には成った
佐藤:なるほどね 一回独立して 独立というか社会人に成って また博士課程に戻る ってまた社会人に 成ると言うやり方 は日本じゃあんまり出会わないですよね 

香川うんまあそうでうすね 
佐藤:それは何でのかな それは成功ロード まっしぐらに歩いて 寄り道や 失敗は認めないと言う 。行ったり来たりあまり 日本の社会では認められないからかな。その辺の 香川さんが 博士課程やめたと言うのは 論文 キツイと 

香川:論文やること事態が キッかったと言うか そのまま大学に居てしまう 事がちょっときつかった 
佐藤:ああそうかそうか座敷童のように 居座る可能性があるものね 
香川:そうですね 僕の考え方かもしんないですけども 意匠で残るやったらそれなりに ドクターやりなが 自分の仕事を取って来てやって実質と論文のバランが取れる状態だったらいいかな〜と。特に急に仕事が来る予定もなかったんで 。5年論文を書いて過ごすよりは、まずいわゆる設計を。意匠の論文書く人って一生やることが目的だと思う 

佐藤:なんですって 一生論文をやるのが目的だって言うことですか
香川:設計をやるのが目的だと 思うんで だから結局その ドクター残っている人も どっかで設計をやらんと だめだと思うんです 
佐藤:ふんふん
香川;特に 個人的に仕事が来る 予定も無かったので だから論文をズーット書き続けるよりは まず一寸設計を 実施設計と言はどんなもんかと 

佐藤:えいえい
香川:知りたいな〜と。それで出ましたね 

佐藤:いきなりこれを作っちゃう前に、一応仕事の流れを順を踏んで、体験して それからって言う感じ。結構慎重にね 
香川:ああ割と慎重やった

佐藤:そうですね。いきなり 藤本壮介さん 何処にも勤めないでいきなり 独立してやってしまうと言う パターンも出てきました 多少はありますよね

香川:仕事が来る人はいいじゃないですかね。僕そんな予定もなかったんで 
佐藤:藤本さんは自分の実家の設計をしたんだから 

香川はっはは 
佐藤:それで親の支援を得て 僕はお母さんに会ったけど 「ソウスケさんは建築界の宝だから もうちょっと10年ほど支援お願いします」と 俺がお願いしてきたけど 

香川:
はっはははは
佐藤:10年経たなかったけど だいぶ最近は活躍がめざましい 人気者になってしまったけど 藤本さんの場合も仕事が無かったけど 独立してた 香川さんはコンペとかは参加されてましたか かなり

香川:そんでま、会社は入って 会社の間によくコンペやっていた

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