仙台 ことば悦覧 2008年12月02日 home yokai DESIGN 石鍋羅馬さん 阿部篤さん 小池宏明さんことば悦覧 01 02 03 03 佐藤:俺が発した言葉にむかついて東北大にはいってしまった阿部さんです、5年後どうなっているのでしょうか 阿部:想像つかないですね 佐藤:5年もの永いスパンで自分のことを想像しようと したこと無かったですか、ということかな 阿部:「昔からですね、建築家で独立するんだっていうのだ けで、ここまで来てて」 佐藤:その勢いでね、独立出来るんじゃないかな 今からでも、建築士はまだとれないのかな 学生ではまだ。 阿部:いや (1級に関しては、我々の世代はまだ卒業さ えすれば)受ける事は出来ます 佐藤:受けちゃってとれるでしょう。はい独立〜と独立しちゃう、独立宣言、修正第二項目 武器を持って立ち上がると 阿部:ははあははははあは、いやだからむしろ独立したいというんで、建築家になりたいというんではなくって、「どんな建築家になるんだろう?」かということはよく考えるんですよ。あんまり答えは無いんですけどね 佐藤:それはそうだね、阿部篤にしかなれない、作れない答えなんだからね 阿部:だから、建築家になったというんじゃなくって、どのような建築家になってるんだろうな〜というような問いを常に、5年後にも持っていて欲しい 佐藤:建築家というのは一般的な言葉ではないじゃないですか。 石鍋:建築家っていう職業は無いです 阿部:もちろん 佐藤:二本松にいって、提灯祭りしているときに 建築家と自称しても「なにゃそれ!?」って怪訝な顔される妖怪に似合いだよ 阿部:ははは 佐藤:判らない、ちがうかね 阿部:田舎ですからね 佐藤:田舎っていうよりは日本全体でそうだよ、建築家って言葉は流通してるという実感は俺は無いんけどね。安藤さんのお陰様でだいぶ一般化したとは思いますけども。カーサブルータスとかに五十嵐先生が書かれてね、そいうのは少し広まったと思うんだけど、建築家というよりは三級建築士とか罵倒されまるけど、そういう括りでみられている、または設計屋=業者とか言われのが一般的だね。 阿部:建築士といっても資格の保有者というか、そういう扱いじゃないですか。そういう意味でも建築士と言っている時点で、職業。欧米だったら弁護士がいて医者がいて建築家がいるっていうような、プロフェッショナル、プロフェッションに対して信頼をしているわけじゃないですか、。社会が。 佐藤:うんうん 阿部:法律については弁護士に任せるというか、体については医者に任せると言ったような、そういう 佐藤:パターナリズム的プロフェッションか、日本では広い社会の中で建築家の職能が確立していないということだね。 石鍋;それはそうですね 阿部:それは社会の問題であってこっちの問題でもあるっていうことでしょう 石鍋:いや社会の問題ですよね、そういうのって。 佐藤:それについて俺が答えてもしょうがないでしょ、みんなで考えて5年後に、とりあえず阿部さんは 建築家という職能について詰めて考えて居る自分がいるぞ〜って。でいいのかな〜。そんな気がするね今の話だとね 石鍋:そうだね 佐藤:そんな事を言う人は珍しいよ。 阿部:ああそうですか 石鍋:あはははははは 阿部:社会派だっていう事で 佐藤:いやいやそういうことでもないけども、何かやっていたら建築家にいつの間にか成っていたとかね。建築家っていう職能の確立にターゲットを絞って何か活動をやっていくっていうのは、どうなのかな〜。どうなるのか判らないな〜、珍しい。初めて出会ったです。いままでインタビューしてきて 死んでも建築家になってやると言う人はいなかったからな 阿部:そうは言っていない 佐藤:建築家と社会の関係がどうなっているかを考えている人はほとんど出会わないです、皆さん考えてない。で環境のなかで動いて活動している。非常に不安定だな〜と僕は思うんでインタビューして歩いているんですけどもね、建築家って言っているけどさ〜社会性も制度確立も国家予算も投資されていないじゃないか!ってね。そこでじゃーどうするの?っていうことで俺は問い詰めたいんだけども。この話は後に置いておくとしてと じゃ小池さん 佐藤:五年後の自分に向かって何か一言 小池:あんまり変わっていて欲しくないんですね。変わっていてほしくないというのは〜今まで色んな大変な事とか辛いこともありましたけど、今なお建築も好きだし純粋に設計の過程とかも楽しめているので、そういう気持ちだけは変わってほしくないな〜というのがあって。5年後にもっと僕らは色んな環境に入って色んな要素が増えてきて、色んな大変な事が 佐藤:解決出来ない事が一杯出て来るね 小池:一杯出てきますよね。それは今の事件でも想像出来るから 佐藤:うん 小池:それで変な方に変わっちゃうんじゃなくって、あ5年前にこんな事をやっていたり、その前にこんなことをやっていたというのが、直ぐ一つの線上に思い浮かぶぐらいに、まあ分かり易く、居てほしいな〜というのがある。 佐藤:なるほどね。大人ですね 小池:そうですか 佐藤:そうそう 小池:五年後の自分にとって言いたいことって、そこら辺ですよね〜 佐藤:なるほど、堅実ですね、ということは今もボンヤリとテーマが決まっているということだよね。建築をやりたいというか 小池:建築の中でどういう立ち位置でということまでは巧く言語化出来ないですけど、ただ純粋に設計ということに関してもうちょっとやってみたいな〜というのはあるので。そこの広がりです 佐藤:このグループはデザイんだけど、現状の建築の設計とはちょっと違うけど 小池:はい 佐藤:それとの関係はどうなっていくんでしょうか 阿部:違うの!? 小池:いやなんか、違うか違わないかと言われると、巧く定義付けは出来ないんですけども、ただ僕はここで一番重要な事は、やっぱり実際に場所を借りたり、実際に作るっていうプロセスがあって、で多くの・・のことであったり、もちろん同業者の人に観てもらうっていう事が一番重要だと思って、るんですね。それが実感として例えば一般の、今まで建築をみてなかった人達でも何か楽しめてくれたりとかいう、そこの凄く感覚的な 佐藤:それは感覚的な他者との交流は判るけども。間口を広げて扉を開け広げて、建築に興味を示すようになってくれる人が現れるのはいいんだけど。「じゃー君がいっている建築ってのは何か?」いうことが抜けているんじゃないですか? 小池:はははははは 佐藤:いっぱい人が来て興味示されたけどサー、扉 聞かれたら途端に 観客を離す可能性も高い。妖怪デザインっていいね〜とかで終わってしまてはだめじゃん。 小池:は い 佐藤:僕が心配なのはそこの処ね、やった、そこを言語化して仲間の中で詰めないと扉は開いているんだけど、入ってみたらなんだこんなものか!ハイさようなら〜じゃさー。かえって悪い効果がでちゃう、妖怪達にとって逆効果になるじゃない。 扉から入ってみたら、面白くって抜け出せなくなっちゃった 一般の人が言うならいいんだけど、お一人様取り込んだってことだから。 入ったら底が浅くってこれしゃ演劇でもやってるほうがましや〜ってなっちゃうといけないんじゃないかな〜と思ったからさっき言ったんですけど。 5人で集まって語り会わないわけですか 阿部:そういうんだと5人特徴バラバラなんですよ、一人は建築じゃないところに就職しちゃったり、一人は設計じゃない施工。そのプロセスをつくるような仕事をしたりとか。ポスターとか作っちゃったりとか。バラバラの5人が一緒にやるっていうところに面白さを感じていて。それは何て言うんですかね、妖怪っていうのは何かその〜主体じゃなくってどっちかというとプラットフォームだと思ってるんですよ。妖怪っていうものでこんなの作りましたというのは先ほどお見せしたけど。そうではなくって、むしろ色んなプロジェクトを何かこの、じゃどんなテーブルに載せる?って言ったときに。つまり妖怪なんだというようなニュアンスに僕は近いんだけど。 石鍋:それは判ります 阿部:そういう意味では、こういう主体としてこれがやりたいと、だから妖怪としたんじゃなくって。色んなプロジェクトがあって色んな機会があって、いろんな物があると。それで場所をつくったり物を作ったりするときに、切っ掛けになりうるんじゃないかな〜ぐらいに、いいような気もするんだけど 石鍋:あるいみ主体性を僕らは放棄していて。 阿部:そう、そうですねうん。 石鍋:で、何か単一の素材で 佐藤:東さんの語る動物的ポストモダンの住人達ではないわけでしょう?何かを作ろうということは。作るっていう事は動物はしない。動物はチョイスするだけで快楽的にくらすって事だから。作ろうといのは。 プラットフォームでっ、てのとはちょっと違うのではないか、と思うんですけどね。そこに必ず選択する意志とか作ろうとする動機とか、判断しなければいけない要件が入ってきてしまう 阿部:とりあえず身体性は、大事にしている、現象的であることというのは大事にしていて。 佐藤:たとえば それでは5人集まっても全然揉めないってことですか、これやろっていったら直ぐ快適にまとまってしまうんだ 石鍋:いや〜喧嘩ばっかだよね 阿部:うははははは 佐藤:それは言っている事と 実際 行っていることが違うジャね〜か 阿部:喧嘩するやつと 会場 ワイワイガヤがユア 佐藤:同類の動物だったら群れをなして困難に対応してまとまるハズだ。仲間で争うのは危険、食いもの争いや メスの種付け時にて争うならわかるけど。 何もない場で主体性をもって争うのは何かを発言しようとするから 喧嘩ばっかになるわけでしょう。 お互いの違いが理解できてないから争うのか?。動物的に生きるってことはお互いが違っても同じプラットフォームに乗って生きられるような、そいうプラットフォームを支えるのが電子的監視強化型ツールであるということだからね。 個体性なんかべっに問題にしなくって群れとして生き延び続けることが出来るって話だから。電子的っていうかIT的環境整備が整っていて、個体性なんかの差異を発揮し合わなくっても それぞれが 快適に暮らせる。 そのプラットフォームを電子処理することで 社会で暮し続けることが可能であると。または異なる意見の人々は、予めITツールによって外されていて 出会うことが排除されていてね。いかにも快適であるかのように感じることが出来るような仕掛けになっていると。 阿部:揉めなきゃ 物に成んないですよ 佐藤:だから言っていることと やっていることが違うって言ってるわけだよ 石鍋:議論があって物があるんじゃなくって、ものを作っていく過程での議論なんので、常に 阿部:うんぷふん ふん 佐藤:わからん、そんなことがうまくいくんかな〜 阿部:それを模索中 会場 ふふふふふ ははははは 佐藤:5年後のお楽しみって事で、見せてもらえればうれしい 阿部:そうそう 佐藤:ここで結論を出す必要もないので、そのために5年間毎に20年間続けるってことだからね 石鍋:それは面白いですね 小池:楽しみですよね 佐藤:おれはオジサンだから20年なんて大して遠い未来じゃないな〜って思っているんだけども、ネットが出来て何が出来たかってことを言うと、記録して置いておける、そのために手間暇掛からなくなった。場所もほとんどいらない。コストがかからなくなった 石鍋:はい 佐藤:それはとても大きいので 石鍋:だれでもみれますしね〜 佐藤:今までは成功した建築家の大ざっぱな記録は印刷媒体で有ったけど。ここにきて どんなへっぽこ建築家の記録でも残せるってうのは、大きい 社会的な影響が。成功譚だけよりね。 石鍋:うん うん 佐藤:印刷媒体の場合はお金と関連して残せる、言い換えれば権力とセットでなければ、記録は残らなかった社会てきな現実だね。 建築家のサクセス物語を記録し憧れる下々の者に売って、権力を維持する仕掛けだった。だから失敗建築家の話は無い。一時 あんな有名だった人はどこへ消えちゃったんだろうか?って物語も語られない、だから 建築系の人だって誰も知らないんだよね。 石鍋:知るよしがない 佐藤:大多数が成功しない建築家の世界だよね。 そこにある問題の捜しに興味が沸いているんだ。失敗した成功したはどちらでもいいだけど、建築家のデータベースが無さ過ぎる。熱い語りで作っていた建築家の、その人々のデー多ベースが無いのはもったいないと思うんだ俺は。 がしかしIT社会はそういうバカな思いを現実できるような気がする。金が無くてもの人々の記録は残せるかもしれない。意志と手間だけあれば。 妖怪グループの人達の熱気が消えてなくなるのはもったいないと思うでしょう。 石鍋:うん 佐藤:20代、30代深夜までものを作るのに熱い喧嘩をしてた者が50代になったら消えてなくなっていて、繋がりもない 、ふてくされオヤジになっているかもしれない。そのような事になるのは何が問題なのかという議題が設定されてワイワイが無いから何もないかのように見えるだけだ。 建築家への熱情がストックされ検証されていないのは社会問題だと思うんだよね。そうならないのは何が問題でなのか?そこが俺には今判らないんで、みんなの事を記録させていただき、観察をしてさ〜、評論するわけではないんだよ。データは一杯あったほうがいいので集める。時間の許す限りやってみると。 妖怪グループの人達も、20年経ってみると 記録したほうがいいな〜って体験することが出来るかもしれない。そして廻りを記録するようになるかもしれない、自分を自分で記録し続けるようになるでしょう 石鍋:それって、さっき言っていた誰でも建築家にはなれるって事の弊害というか、本当にプロフェッションとして確立していたら、まあそんなになんでもない建築家はいない。 佐藤:混乱していると思うのはスターアキテクト、超有名な建築家ね。前人未踏の地に立って活躍するる建築家って要ると思うんですよ。そういう人が存在するからどんどん建築概念が拡張して、時代に相応しい建築が出現して、いろんな建築家がまたうまれてくるわけじゃないかい。 そこまで到達、前人未踏の地にまで到達出来ない建築家がサポートしなければいけない。応援団に成らなければいけない、と思うわけです。 ところが一部のスター建築家と他の同世代の建築家たちは絶縁した状態に近いじゃないのかな〜 石鍋:うん 佐藤:そういう状況は建築界の大損失!資源の無駄捨て、放置だと俺は考える。思うのね。スター建築家を育てたのは俺たち建築家たちなんだという プライドが共有できてない。そういう人達の顔が一杯みえるようになってほしい。そのほうが全体の様相も判るし建築家の力が発揮できるのではないかなって思うわけですよ。 そのような考えを繋ぎ合わせる場所がどこにも無い。皆さんも集まって活動しているのもたぶんそういう閉塞で対話が枯渇した社会状況に対する、応答や提案の一つではないのか?という気がするんです 石鍋:う〜ん 佐藤:一人一人で活動していると、自分はすごいと言い張っていても感染力は小さい。「いや羅馬はここがすごいぜ」って言い放てくれる仲間がいればさ、自分でも気が付かない佳いとこを人は沢山もっているもんなんだから。自己で判ってそれだけをただ実践している人を天才と言うのですよ。まったく変人に見えるわけだけどね。自分で判ったとしたら、その人間はそういう人間にしか成らないいんだもの。 自分は建築の事を考えて無かったんだけどいつの間にか建築の事を考えている、24,5才になった自分が居る。自分のことを見通す何て事が出来ない証でもあるから 自分の意外性を発見するためにも 他者との交流しましょうと。 5年後の自分にも会いたいでしょう皆さん。 他者との関係のなかで自分が発明され生まれて来るってことだと思う。 自らの世界の 関係性を豊にするためには、同じ事象を好きになる人のデータベースを豊にしたほうがいいんだと。まずはね 石鍋:何人ぐらいと話したですか 佐藤:50人ぐらいかな 阿部:どういう基準で選んでいるんですか 佐藤:会った事 ない ない人 阿部:ははははは 会ったことない人 佐藤:皆さんとだって 今日初めて会っだんだね、ああ なんだ逆質問になってしまってるな〜ここで一旦終わろう 阿部:へへへへへへ 逆質問などのワイワイは 後1時間ほど続くのでありました 2008年 youkaiDESIGN の 石鍋羅馬さん 阿部篤さん 小池宏明さんの ことば悦覧は終わります 読んでいただきありがとうございました 文責:佐藤敏宏 2013年に続く |