東京 ことば悦覧 2008年4月 home 岩堀 未来(ヒデキ) ことば悦覧 2008 4月16日 3時間ほど その01 その02 その03 その04 その05 その06 その04 45分 06秒 〜 1時間0分 08秒 岩堀:鬱陶しいと言う感じではないんですけども。ただ何か違和感が在るですよね。 佐藤:それは主従があり過ぎると。 岩堀:そうですね、あの。そうなんですよ 佐藤:だから鏡みたいな感じですよね。難波先生に対する反転鏡みたいな、感じで主従が反転して岩堀鏡は 見せる。箱の家が都市そのものには成らないのでしょう。 都市空間がもっているアナーキーには向かわない。 難波産の方は都市暮らし近代人のための住宅。そう言うことになるわけだけども、それを反転してしまった時に、都市の公園で暮らす人のような そう言う空間を考えていらっしゃるのですか? 唯単に難波産の反転鏡を追う、反転鏡に写ったものを作るって言うやり方もあるけれども。それ(反転鏡に映る像)をもう一度解体して、元に戻すのか。そういうやり方もある。今の話を聞いていると 難波産の方は主従を疑ってはいるけどもそれに対する 一寸違和感、を揺さぶる。まだ反転もしてないけれども、反転転鏡に写してみてる状況か 岩堀:それを例えば、えいと。都市空間で、そう言う空間が 佐藤:都市空間を使う者にとっては ヒエラルキーが無いじゃないですか 岩堀:無いですよね。無いですね。 佐藤:選択するしかない。自分がその都度介入して、ここがメイン空間だ、寝室だと。自分が行為するときにメイン空間を選んで入って。何て言うのかな。食べ物を野山に出て行って捕ってくるみたいな話だから。主体的にそのなかで暮らしている人が作らなければならない、その時々に応じて。 岩堀:だから今おっしゃった事で、都市の連続として捉える時に、やっぱり何か、こうそこに強い階層性みたいなものが在ると、ちょっと違和感があるんですね。 佐藤:もちろん主と従と言う考え方もそうだし、都市と個人住宅の対立構造。だから奥深く私的な領域まで、親密な領域までぜんぶ、そうなっているわけでよね。それが美しくピシーと箱の家の中に、見える。 物では表れない階層まで含めて出来ちゃっているから、それに一種の揺さぶりを掛けて、その暮らし方とか、行為の順序とか、あらゆるものを ルズルズルにしちゃうような。 それが都市内路上のように 壁が無っちゃって、都市内の危険な状況には成らないわけですね? 岩堀:ならないですね 佐藤:都市状態、アナーキーには写さない境は。その境界が岩堀さんにとっての建築だよね? 岩堀:そうですね 佐藤:だからそれが具体的に、何て言うのかな。壁に成るのか?、行為のみでもって壁を作るのか?、それは相当違うと思うんだよね。都市状にしないと言うのは・・家族でお喋りするのが、大切だんだよね〜って言うか。出・入る人皆でワイワイかが。その辺の崩しっぷりって言うか。違和感と言うか、疑問と言うか。ありとあらゆる処に今 突きつけて居るところですか?これも疑問 違和感、あれも、これもも 岩堀:そうですね 佐藤:男女関係とか家族関係とか どの様にが。非常に大切になって来ますよね 岩堀:そうですね。そう言う階層性みたいなものを 解体して行く。一つの。今若い夫婦の人達のなかで試みられている。 佐藤:流行りというかね 岩堀:流行ですね。例えば森山邸であるとか、ああいうバラバラにしちゃう。僕はそう言うのじゃなくって。その一方で、そう言うのも考えます。当然 箱の家って言うのがバックミンスターフラーのような、最小のエレメントで最大の空間を作り上げる。みたいな、そう言う考えに基づいて。でそれが、その考えはもの凄く大切にしている。 佐藤:作らない・持たせない と言う選択肢は無いのですね。 岩堀:作らないって何を作らないのですか 佐藤:建築を。最小の暮らし方をして作らない。昨夜 寿町に行って逍遙して出会ったんですけど。幅60p高さ40p長さ2メートルほどの段ボウルの箱が路上においてあって、そこに人が寝てましたよ。公園内だったかな。それは動物であるかのように身の回りに在る素材を集めて最小限で暮らす。何処へでも持ち運びも出来そうだし 岩堀:でもそれは、生活する上での道具って言うものが、多分その別な処に在るその場合。ダンボール箱じゃない。例えばトイレは公園にある 佐藤:あらゆる都市の場所を生活空間に積極的に開放し使い込む、使わせる。使っているよね。政策として整備する法律も作る。 岩堀:それはそう言うことです。僕がさっき言った最小のエレメントと言うのは、そう言う意味とはまた一寸違う。純粋にその。大きな空間を、ある領域を囲う時に、非常に少ないエレメントで囲い切る。そう言う意味での階層。 佐藤:まだ所有するとか、何かの目的に向かって所有できるような空間をつくらないと。と言うことだよね、あらゆる処は 建築であるとは考えない 岩堀:そういう事です 佐藤:世界のあらゆる処が自分の家だと考える。 岩堀:そのシェルター自体がいらなくなる。 佐藤:その辺の疑問は芽吹かないんですかね? 岩堀:う〜んまぁ結構 矛盾はあるけども、。だから凄く具体的に作っているときも 佐藤わらい 矛盾に孕んで 共にわらう 佐藤:難波産崩壊まえに 自己崩壊する可能性もあるよね 岩掘:そうです 佐藤:だから難波産はそうならないように階層を作って、それがバレないうように。自己崩壊しないように。目的主義者に擬態しているからね。岩堀さんの場合は擬無目的主義だから 岩堀わらう 状況は危険だ。 難波産への目的主義者であるけどもした心は 擬無目的主義者 当然両義的矛盾を抱えてしまう。そうやって生きて行かざるをえないし、それしないと難波産に囲い込まれてしまう。 なんて言うのかな外観も無い建築になる可能性もあるけれども、フラードームみたいに概念だけ表しておいて、詳細を作る。それしても道具が空気のように溶け出して見えなくなるかもしれない。 岩堀:だからそうですね。やっぱり今矛盾してるんです。ハッキリ言って、自分でも判って 共におわらい 佐藤:人から言われる前にね 。そう言う風になるよね 岩堀:なります。だから一番つくっていると あうん なかなか上手くいかないと 感じる処は、やっぱりそう言う境界面だとか。 佐藤:さっき森山邸の話が出ていたけども、箱の家ではないんですか?集合住宅なんでしょう 岩堀:そうです 佐藤:それは難波産の箱の家と比較すると 岩堀:まあ そうかもしれない 佐藤:集合住宅で、設備部門は共有するとか 昔の学生長家みたいもの。寿町のホステルビリッチみたなもの。バラバラになって在る。 岩堀:だた あれは森山さんと言うクライアントも中に一緒に住んでいて。彼の住居もバラバラに成っている。お風呂場が。 佐藤:おれあんまり知らない。雑誌見ないから。分かんないですけども。噂では聞いたので。僕も似たような事をやっていて、森山邸と僕の建築について、若い人から色々言われてんだけど。 岩堀:はい 佐藤:良く判らないと。俺はあまり興味ないので。大学の卒計講評で一緒したことはあるけれども。人間的には建築教者 建築狂いと言うかね。いいい奴。建築の事しか考えてないから。俺を 五十嵐さんが全身建築家と言っていたそうだけど 岩堀:わらう 佐藤:最近おれ建築作ってないけど、まぁいいか〜。あまり調べた事無い。難波産の話も ほとんど知らないです。岩堀さんの経歴の設計事務所名を 聞いた時もなんだか分からなかった。難波産の事務所名なのね。話を聞いてて判ったけど わらい。 自分でカタチを作って問いたい。その問いと言うのは難波産に向けてだったと、言うことでも良いわけですよね 岩堀:まあそうなるんですかね。今そうなのかもしれません 佐藤:そう言うまとめ方でいいよね、これから社会に向かって、大勢暮らしている人に向かって行けば、難波産離れになるのか 。その辺の処は先ほど話した自己内矛盾を。矛盾が社会に向かっていくのか?、難波産に向かっていくのか?幾重にも大変だと思いますけども 岩堀:吹き出し わらう 佐藤:それはしょうがないね〜。でも一応他力本願でずーっと 岩堀おおわらい 他人の力注入し消化しているから大丈夫だと思いますけども。岩堀さんのような方は出会わなかったのでオモロイ。アトリエ系の経験をかりベースにし 自分の路も強めて行くって、自覚する人に初めて出会ったな〜と 岩堀:そうですか。 佐藤:意外に居ないかも。経歴の飾りにする人は多いだろうが、モロ経歴とがっぷる 組んで 格闘し突破して行こうとする人が。過去の経験を明確に使って成長し悩んで行こうと言う、自覚的にね。 出会わなかったね。 岩堀:ああそうですか。 佐藤:真当だと言うかね 岩堀わらう 当たり前だと言うか 共に笑う 岩堀:面白くないですね 佐藤:面白くないというか、矛盾も自覚してるか、してないかだけだ。そういうことろから離れられなくなるのが良いんですよね。ほかは自分で情報を発信するしかないんだからさ。自分で情報を作って自分でアウトプットして発する。自分が出した情報に自分が絡み捕られる おおわらい 岩堀:ああ 佐藤:そう言う構造がオリジナルといわれるものの構造かもしれないよね。岩堀さんてこれだね、って言われた時に出来るのか。他者が決めるか自分が決めるものか?と言う その矛盾も抱えざるを得ないわけですよね。 岩掘:うんうん 佐藤:そこで僕はね〜ってハッキリさせる必要は無いですね。都市生活者スクウォッターのような箱の家にもどして行くのか それすらも無くして、都市に暮らす人間像を発明して、同時に建築も発明するのか。 近代社会に生まれ生きてきたから、近代人に成っているわけだよね。 岩堀:えぁ〜 佐藤:それをハズし 暮らすの者は 近代人とは言わないですからね。落伍者なんていったり漂泊する者だったり。 家もないけど、都市のあることを利用して暮らして行く。考え方そのものを作り替えないと。近代的価値から離陸する行為は不安でしょうがないじゃないですか 。だから全く新しい人間像も、自分で発明しなければ そちらには 行けないでしょう 次のページへ |