2009年12月10〜13日じゅっくりの会in京都 記録     home  

10日 駅から  えいぞうさんの家体験記  えいぞうさん父を語る えいぞう・きみこさん新居を語る

11日  柳原照弘の この1年   工芸繊維大講義 デザインイースト 00 を語る  

12日  渡辺菊眞さんに聞く   鼎談 アガカーン賞の王路 (森田一弥・渡辺菊眞・江崎貴洋)
     松岡聡さんに聞く    
工繊大3年生・浅野翔さんに聞く

  佐藤敏宏  えいぞうさんの家 体験記  
福島から  01時雨について 02路上について 03シンケンジャーについて 04えいぞうさんの家

 その02 路上について

俺はいつ頃からかは覚えてない建築の理想は路上であると言い続けて生きて来ている。路と道は違う路は道路とも違うので書いておきたい

建築の理想は路上!当然だが建築系の人人からは相手にされていない。

路上的人々の在り方の時代を捨て生まれた建築の時代は長い。路上に建てた壁を強固にすることによって人々を囲い込み価値を与えた 宗教権力王侯貴族。そして前世紀目立ったキャピタリズムの波乗りによって成長した資本貴族を守る建築 近代主義をつくり守りつづける役人様族 それに続きIT背中に乗る今日の情報貴族のような 時代種の権力者を産みだしつづけ守るために建築が活用され歩んだ来た歴史が 建築の歴史であるからだ。 

裏面史として残された アウシュビッツの建築の現実が 不幸な建築的奇跡・として残されているのわけだ

この今世紀に入って流行ったのは 警察式幸福地域=ITによるゲーテットコミュニティーの蜃気楼を作ろうとする情報操作だ。 環境監視型社会の到来の中の幸域とは何かを考えてみたい。

 警察記者クラブ発 そのまんま垂れ流しニュースをマスコミによって浴びせられ続け 暮らしているている近頃の世俗の輩=私は 世が大変危険になり社会が悪くなったと思いこまされている。 ポリース権力の情報操作であることに気づかず 風潮におもね 見守り隊などを作り立ち上げ参加するお馬鹿さんでもある。

何時の世も子供は親が守るのが当たり前なのにだが 騙される。

警察の支配下に組織されるお馬鹿さん=マスコミ尺度による善良なお爺さんお婆さんが多量に生まれている現在  

そのような 流行= 路上が凶悪恐怖の領域!!なんだから警察が守る、見守り隊が守る とするハヤスなかで 逆ベクトルのような 発言と行為を続ける俺。やはり馬鹿だね

逆噴射人間の呟きが 建築の理想は路上である!馬鹿の超高層にみるだろう 人々の暮らしは路上に置いてこそ豊を示す、獲得できるのではないだろうか?  建築を路上化したり 草原化したり 化したり その先に見える 空気化=スフィア(大気圏)化することは既存の 建築の成功道路においては 邪道そのもの 悪魔道の道しるべ 愚の骨頂者みた発言に、見えてしまうのだろう


 えいぞうさんの家の 路地 みたいなところ

俺の思想=お前の家は俺の家←→俺の家はお前の家=「建築の理想は路上」を誰から聞いたのだろうか? えいぞうさんは思い立ったようだ。ある日(2009年10月5日13:17)Eメールが来た 一部だが


・・・佐藤さんには我が家2-3泊ぐらいはしていただけるの ではないかと思われます。新しい家にどんな感じで泊 まっていただけるか、まだわからないのですが、せっ かくですので家の路地みたいなところで寝ていただけ ればと思ったりしております。寝具がそろうか分かり ませんので最悪寝袋を持ってきていただかなければ ならないかもしれませんが。むしろ佐藤さんに寝袋で 寝ていただけたりすると、我が家の路地にも迫力が出てきそうです・・

路地みたいなところで 寝てほしい!? 他の者なら凍ってしまいそうな ささやき それは俺ににとっては建築の芽吹きの到来を告げるかのような幸なるささやき !! みゅよ むく むむ きみょ そんな内容のメールが届いた 

      


 路について 

 路のまえに 道について

道と路は概念が異なる だから路地と語られる概念は流通したが道地という概念は生まれなかった。 それは なぜか?

来年生誕100年を向かえる 異端の漢字学者 故・白川静さんによる「字統」や白川さんを語った(2009年12連載・朝日新聞人・脈・記 漢字の森深く5) 「甲骨の伝言を読み解かん」によると 
(え朝日新聞より)

という漢字にはがある

古代中国ではほかの氏族の土地を進む時

その
首をはねて手に持ち、呪いの力で邪霊をはらい清めた所が道ということだいう

幸を求めて進んでも邪霊が出てくるのが現実だったわけだ、危険な他者の領域を安全進みたい 人は交通移動交流しなければ人には成りつづけられない。そこで仲間の生首をはねて捧げ祈る! 祈った場所が 道 生首をはねて土地を祓い先導することしめした文字だ

遠き マヤ文明と語られる時空に暮らした人びとも 太陽が消えるのを恐れて若い男の心臓を捧げ祈った 残された若者の身体はみんなで食する という儀式があったそうだが マヤ文明は「道」をいう概念を発明しなかた 

 路について 

白川静さんの字統p910 「路」を開いてみる

 各は祝祷して神をよび、神霊が降下することを示す字で とは神が下る道をいう・・・路は祝祷、途は余の形の大針を呪器として道を祓うことを意味する。 道、路 途はすべて、道路を修祓する儀礼に関している。路宿、路門、路車など、天子の御寝や駕御のもの路を冠していうのは、路が神が下す儀礼に関する字だからだろう。

と書いてある。ここから先は俺の妄言語りであり俺のイメージである

(=天子)という文字は上下に並んで在る三つの領域を自由自在に行き来できる垂直のをもつ 現実の社会と 概念を 自在に行き来出来る者を示す文字だと考えている  路は神(人の概念)が降下するのことだと白川さんは説明されたが 神は人間が発明した概念である 人間が発明した多数の概念を自在に行き来する見えない道が「路」であり、今で言えばネット空間につながる 電線や無線のような道が「路」かもしれない 

王の文字の中にある 上下にならんだ三つの領域とは 大地  天空を示しているのだろうが

大地は自然環境を含めた あらゆる地球上で起こる事象で 人の暮らしや 人が作り出す文化などを示していて 
は人間が作り出す概念を示していると俺は考えている 

を俺ふうに訳すれば 人々の生命や暮らしの平安 そして幸を保障し続ける基本の営み、最も必要とする有益な情報、有益な情報を生み出し続ける自由な発言を保障する見ない場のようなものであろう。

仮にパブリックスフィア建築スフィアそして家族スフィア友達スフィアとなどと発してみたら、言ってみたら 路の違ったイメージが浮かぶだろう。 

路とは多様に そして多層にあるスフィアだろう 自由に行き来、所属し離脱することを保障する概念のことだと考えている

回りくどくなったが 建築の理想は路上であるという意味がボンヤリと分かっていだだけたかもしれない。言い換えれば 建築は多様に生まれ ある人間の概念や暮らしを保障し 具体的に実践可能な物理的な場でなければならないとうことだ


 路地について 

日常使われている言葉に 道地は無く 路地は有る訳は、道は出自からして具体的な場を示していたのに 対して 路は概念であるが故に具体的な地と合成し用いなければ日々の暮らしでは役立つ働きをしないからだろう

えいぞうさんがEメールで語った
・・ せっかくですので家の路地みたいなところで寝ていただければ・・

えいぞうさんが新築された家の特徴を正確に示している言葉だと考える。

家でもない 路上でもない 路地でもない 路から家へ移行する時空を孕んでいる場が有る家 路地みたいなところを家に持つ 家という概念に一つ新しい扉が加わり 開かれていて 私達を今までの家概念と違った位相へ運び出してくれる 路的乗り物路車)に乗っているとう心もと無さが伝わってくる内容である

 不安のあまり一緒に乗ってよ!とささやいてしまう えいぞうさんと都合良く解釈してはせ参じたわけだ エア建築家にとっては魅力的な優しき誘いにつんつん導かれたである  


きて 路上走る シンケンジャー

路上みたいなところに 寝ることとは

建築スフィアに建設された路上を走る路的乗り物にのって建築を語ることである 

えいぞうさんの家の路地みたいなところでは 路地や道路上で起こるような 出来事が沢山起きていた

人間の意識の領域にまだ暮らしていない神の子領域のみのり君ただす君も 俗にまみれ昇華かしたエア建築家の俺も走ったり 体操したり 転げ回ったり 動物のように暮らすことが出来る

きみこさんただすに紙おむつを身につけさせない育て方をしているので 路地のようなところには ただすおしっこうんちだのが落ちていることもある。地球の営み、天空が産み落とした宇宙ウン子である変な福島のオヤジだて落ちている。また多量な洗濯物が干されていることもある。今後もえいぞうさん家の路地的な場=がらん堂の機能の発明は続くことだろう。

同時にそこ 路地のようながらん堂の中の突き当たった場所には丸いテーブルが置かれ 囲み酒を呑み交わしつつ えいぞうさんは父を語った。 続いて えいぞうさんきみこさんは この家に暮らすまで、建築を建てた経過などを語ってくれた。 

人間の感情の表出形である言葉も 身体も 両者は激しく混じり交通し合い まるで走っているかのように この家から生まれ出て この家にとどまるを繰り返していた

句の 路上走る  の説明はこれで終わり


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