ガイアシンフォニー第五番撮影スタート

地球(ガイア)の声が、きこえますか。
あなたの声を、風は確かに聴いているんです。
山だって、耳を澄ましている。
花や樹は、あなたが呼びかけていることを
もうとっくに知っています。
心で、聴いてください。
地球交響曲(ガイアシンフォニー地球交響曲第一番より抜粋。)

地球交響曲(ガイアシンフォニー)の奇跡

従来の劇場公開用の商業映画とはまったく異質の映画「ガイアシンフォニー(地球交響曲)第一番」は、1992年11月にひっそりと一般公開された。

この映画は、心の持ち方一つで人間は、いまの常識をはるかに超えることができるということを、実写と映像で示したドキュメンタリーになっている。

当時、観客動員すらも危ぶまれたこの映画が、プロの映画関係者の予想を見事にくつがえし、映画を見て感動した99%素人の人たちのボランティアのネットワークによって自主上映会という形で日本中に広がり始めた。その後、1995年・第二番、1997年・第三番、2001年・第四番と続編が制作され、11年経った現在では述べ二百万人近い観客動員を果たしている。

一般的な日本の商業映画が平均1ヶ月未満で上映を終わることを思えば、まさに日本映画界の奇跡と呼ばれるにふさわしい記録である。

映画の製作者であり、監督でもある龍村仁さんは「人の心は無限の可能性を秘めている」ということをスクリーンを通して常に語りかけている。

多様なものが、多様なままに共に生きる美しい地球を、未来の子どもたちに美しいままで残せるかどうかは、今を生きる私たち一人ひとりの心のあり方にかかっている。

危機が叫ばれている地球の未来も、われわれ一人ひとりの心の持ち方一つで愛と喜びに満たされた輝かしいものに転換しうるのだという気づきと、大いなる希望のメッセージを見る人の魂にささやきかけてくるのが「ガイアシンフォニー(地球交響曲)」なのだ。


天河神社での七夕神事 

さて、このガイアシンフォニー(地球交響曲)第五番の撮影が奈良県の天河神社でいよいよ始まった。

天河神社は全国の気功やヨガ、精神世界などの人々が、宇宙や大自然の気と波動を感じるためにさまざまなワークショップを開催しているパワースポットだ。また、大峰山系の天川から洞川にかけては日本でも有数の天然の湧き水、名水の産出する土地でもある。

龍村監督はこの聖地・天川村と天河弁財天神社をどのような手法で映像に表現するのだろうか? 日本中にガイアネットワークが広がり、気さくでダンディーな監督のファンは増える一方だ。

毎日、日本のどこかでガイア何番かの上映会が開かれていて、次の第五番はいつになるのか、どんな内容になるのかなどと日本中のファンが期待している中で、その撮影初日の現場を、期待と好奇心を抱きながら密着取材した。

2003年8月4日、この日は旧暦の7月7日・七夕。天上の天の川を挟んで織姫と彦星が年に一度の逢瀬を楽しむ日。天河神社では毎年この日に七夕祭と精霊流しが行われ、今年は七夕神事の後、スーザン・オズボーンが歌を奉納することになっている。

彼女はガイアシンフォニー二番で「浜辺の歌」・「アベマリア」・第三番で「知床旅情」・「仰げば尊し」四番で「ビバルディの四季」を唄い、監督が地球交響曲のテーマと魂を最も素直に感動的に歌にしてくれると絶賛する女性歌手だ。

昼前に天河神社に着いたとき、ちょうど監督たちは本殿で正式参拝の最中だった。私は一段下の人気のない参列者席に静かに座って「第五番の撮影がスムーズにすすむように、良い映画になりますように」と心の中でお祈りした。

そのとき監督がふっと後を振り向いて、気軽に手をあげて私に合図を送ってくれた。私は天河神社のご祭神・弁財天さまにも監督にも心が通じたような気がしてとてもうれしかった。
今までにもガイアシンフォニーの作品が完成するたびに監督はこの天河神社に参拝に来ている。龍村監督のご先祖は奥吉野の川上村の出身で吉野から天河にかけて御所を構えていた南朝の天皇家との関わりが深く、特に丹生川上村や天河神社への思い入れはなみなみならぬものがある。


魂の故郷に立ち返る

実は龍村監督はガイアシンフォニー第一番の撮影を開始した1989年〜90年頃にも、この天河神社のご神事をたくさんフィルムに収めている。

その当時、天河神社で神主をしていた人から聞いた話では「その頃は、まだ無名のドキュメンタリー映画の監督だった龍村さんは、いつも僕たち神主の邪魔にならないようにと、カメラや機材の気配を消してとても熱心に神事を撮影していた」とのことだ。

しかし、なぜかガイアシンフォニー一番の画面にはほとんど天河神社は登場していない。その天河神社関連の膨大なフィルムを編集した“裏ガイア”とも言える丸秘作品を私は密かに見せてもらったことがある。

それは日本人のアイデンティティーの原点とも言える神道の神事や八百万の神々たちの“見えない世界”を映像で切り取ったような印象的なものだった。だから今回、第五番の撮影がこの天河神社から始まると聞いて、やっぱり監督は魂の故郷・原点に返ろうとしているに違いないと感じて、私はわけもなくうれしくなってしまった。

正式参拝を終えて監督とスタッフは、機材を持って神社の本殿の中にカメラを持ち込み始めた。私は中に入るわけには行かないので、下の参拝者席でその様子を見ていたが、宮司さんがお払いを済ませたあと、厳かに本殿正面の扉を開け始めた。

たしか天河神社の本尊である弁財天さまは60年に一度しかご開帳されない秘仏のはずだ。その弁財天さまにライトが当たり宮司さんと監督、スタッフが本殿の中に入っている。あいにく私が居た場所からはその様子ははっきりと見えないが、もしかして映画の中では美しい秘仏の弁財天様が拝めるのかも知れないと思うとゾクゾクした。

ご本尊の撮影は参拝者がほとんどいない間に手早く終了した。七夕神事は午後3時から始まり、一般の参拝客や七夕講の人々で拝殿は一杯になった。太鼓の音に合わせた力強い祝詞の後、全員で般若心経を唱和する天河神社独特のライブのようなリズミカルな神事が進行していった。

そして能舞台にスーザン・オズボーンが登場した頃、ものすごい雷と共に集中豪雨のような雨が降り始めた。天河の弁財天様は水の女神さまなので、きっと龍が天界で大喜びして雨を降らせているのかもしれないと思った。雨のおかげで気温が下がり、スーザンはその雨を楽しむかのようにいくつかの歌をアカペラで唄った。最後には全員で「浜辺の歌」を合唱した。

彼女の歌は龍村監督流に表現すれば「‘聴こえる’というより‘抱かれる’あるいは‘包まれる’」と言う感覚がピッタリする。

また監督は「スーザンの歌を聴いていると全身が温かくなって、ポカポカした波動が体の外に踊りながら広がってゆく」とも言っている。彼女の奉納ステージを監督とスタッフはしっかり撮影していたので、このシーンはどんな風に編集されて映画に登場するのか楽しみだ。


第五番のコンセプト「全ての存在は繋がっている」

龍村事務所が公表した第五番企画コンセプトによると、どうやら「地球交響曲第五番」はこれまでと同じように、新しい出演者が何名か並列して登場する、というスタイルにはならないらしい。

この夏の天河神社の七夕神事で歌を奉納するスーザン・オズボーンを皮切りに、来年の春にかけて、かつての「地球交響曲」の出演者や関係者たちが、次々と日本にやってくる。

第二番のダライラマ法王、第四番のジェームズ・ラブロック、ジューン・グドール、その他にもジュリーロペスやナイノア・トンプソン、ラッセルシュワイカートも来日の可能性があるらしい。この人々に監督は「今なにを思っているのか」を聞いてみたいと話している。

また、これまで直接出会ったことのなかった出演者同士、例えばナイノア・トンプソンと星野直子さん。ジュリー・ロペスと佐藤初女さん。ダライ・ラマ法王とジェームス・ラブロック、といった「夢」の出会いが生まれるかもしれないとのことだ。

新しい出演者としては沖縄の西表島在住の草木染作家、石垣昭子さんと世界賢人会議「ブタペストクラブ」を主催する、アーヴイン・ラズロ氏の名前が上がっている。

さらに亡くなった出演者たち(野澤重雄、ジャック・マイヨール、星野道夫他)も新しい出演者の言葉や生き方と共鳴する形で再登場することになるかもしれない。この構成の根幹になるのが「全ての存在は繋がっている」というコンセプトだと監督は言う。

とにかく、その第五番のすべての始まりが今日の天河神社での七夕神事の撮影からスタートするわけだ。


魂を送る精霊流し

すっかり辺りが暗くなった午後七時。雨があがって天の川の河原で精霊流しが始まった。監督たちは重いカメラを担いで河原で行われる“ごま焚き神事”の大きな炎を撮影している。そしてロウソクの火が点灯された千基あまりの灯ろうが神職の手で次々と天の川に流される。

真っ暗な川面を光の帯が川筋に沿って静かに流れている様子はとても幻想的だ。ふと見ると、何基かの灯ろうが流れに逆らって岸辺へ岸辺と戻ってきて、川の澱みの中でじっとして動こうとしない。

「魂がこの世にまだ未練があって、成仏できないでいるのかも知れないな…」誰かのそんなささやきがが耳に残って離れない。

監督たちは一つひとつの灯ろうを丁寧にカメラで追っている。よく見ると、ガイアに登場した人々で故人となった何人かの名前が読み取れた。きっと監督が彼らの魂を送るために心を込めて精霊流しをしたのだろう。

この幻想的な情景がどんなふうに編集されていくのかと思うととても楽しみだ。監督と同じ現場に居て、同じ目線で天河神社の七夕祭りの場所にいた私は、監督は流れてゆくたくさんの灯ろうの先に、第五番の完成を見ているのではないかと確信した。

宮崎みどり

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