ギリシャ 2004年4月1日〜4月8日
 

 

オリンピックとアテネの都市

オリンピック直前のギリシャは、国中が花盛りの美しい街だった。

ギリシャの国土は日本の三分の一の大きさで、人口は約1092万人。そのうち300万人が首都アテネに暮らしている。(上の写真の左下と右下)

4ヵ月後の2004年8月に開かれるオリンピックの為に道路は至る所工事中で、交通渋滞を引き起こしていた。その車の間を縫うようにしてアテネの人は信号や横断歩道を無視して車道を実にうまくすいすいと渡っていく。おまけに路上駐車も違法ではないとのことなので、中には二列になってずらっと車が止まっているため、狭い道がなお狭く感じられた。

ホコリと車の騒音に溢れたこの街が、本当にギリシャ神話の神々が活躍した神話の国なのか? と言うのが一番先に感じた素直な印象だった。

ちょうどオリンピアのヘラ神殿での採火式を終えて、聖火がアテネの町に届いたばかりだったので、オリンピックスタジアム前の聖火台に赤々と神の火が灯っていた。(上の写真の左上)

この火は史上初めて五輪の輪に象徴される五大陸すべてを回って、開会式には最後の聖火ランナーが新しいオリンピックスタジアム会場の聖火台に点火し、一世紀ぶりにギリシャに里帰りした平和の式典・オリンピックの開会が宣言される。

これから五大陸を回る前の聖火をこんなに真近に見ることができるなんて、ちょっと感動だった。パルテノン神殿はアテネのどこからでもよく見えるアクロポリスの丘の上にあるのでアテナ女神もこの聖火を見守っていることだろう。(上の写真の右上)

この聖火台のあるアテネ市内のオリンピックスタジアムはクーベルタン男爵が1896年、第一回近代オリンピックを開催した由緒ある競技場だ。しかし、今となっては施設の規模も小さいので実際の競技はアテネ市外の各施設で開かれるとのこと。

ギリシャの人々は発祥の地に帰ってきた2004年のオリンピックを心待ちにしているようだ。故事にちなんで、マラソンのコースはマラトンから出発しゴールはアテネのこの競技場とのこと。オリンピックの最終種目となるマラソンのゴールの様子はきっと全世界にテレビ放映されると思うので、いまからその日がとても楽しみだ。

届いたばかりの聖火に挨拶をすませてパルテノン神殿に向かった。



 

 

パルテノン神殿はただいま修復中

これが、あの有名なパルテノン神殿! 。美術、建築、哲学、宗教、政治とさまざまな芸術や文化の礎となった古代ギリシャ文明を代表する人類の叡智の結晶とさえ言われている建物だ(上の写真左上)。プラトンやソクラテスもこの場を歩いていた思うと、教科書でしか見たことのない建造物を目の前にしてとても感動した。

最初の神殿が建てられたのは紀元前12世紀頃。その後この聖なる丘はペルシャ軍によって侵略されたり、キリスト教徒の教会になったり、オスマントルコに支配されたりと何度も何度も破壊と再建が繰り返された。そして17世紀にはほとんどの建物が崩壊し見捨てられ、荒廃したまま放置されていた。

1931年にようやく発掘作業が開始され、世界遺産となった現在も修復作業が続いている。パルテノンの丘の上からアテネ市内を見下ろすとビルがぎっしり建っていて人口が過密なのがよくわかる。

ここもオリンピックを目前にして世界から観光客が押し寄せるために目下突貫工事で修復中だったので、近くに行くと大型クレーン車や鉄骨が張り巡らされていた。

パルテノン神殿の北側に美しい六人の乙女の像が柱となって建物を支えているエレクティオンという神殿がある。現在の建物は復元だが、紀元前9世紀に書かれたホメロスの詩にも登場するのでかなり古くから存在した神殿とのこと。(上の写真の左下と右下)

神話によれば、その昔アテネの守護神の座を巡ってアテナとポセイドンが争った。ポセイドンが矛で岩を突き刺すと海水が湧き出し、アテナが同じ矛で大地を突き刺すとオリーブの木が生えた。そこで神々はアテナを勝利者と判定した。アテナ市民はこのことに感謝してここにアテナを祀るエレクティオンを築いた。

この女性像じつは本物は博物館の中のガラスケースの中と聞いていたので、建物を素通りして真っ先にアクロポリス博物館に向かった。館内は発掘された彫刻がいっぱい展示されていたがどれもこれも頭がなかったり、ばらばらだったのを石膏で復元したりで、破壊のすさまじさは想像を絶するものばかりだった。しかしその中でもこの五体の女性像のみずみずしさは群を抜いていた。一体は大英博物館の至宝となっているとのことで、いつか六人がまた、一緒になる日がくればいいなと思った。



車窓にはギリシャの特産物、オリーブの林が延々と続いていた。オリーブの木は国がきちんと管理していて本数まで把握しているとのこと。日本でいえばお米と同じようなものかもしれない。気候は日本とまったく同じで四月にはいっせいに花が咲き誇り、オリーブ畑の下の野原一面に小さな花がジュータンを敷き詰めたように満開だった。





 

デルフィーには今も涸れることのない聖なる水が湧き出ていた

予言の神・アポロンの神託で有名なデルフィーは古代ギリシャの人々が世界の中心と信じていた聖なる土地だ。

神話によればゼウスが世界の中心を知るために世界の両端から同時に鷲を飛び立たせ二匹の鷲が出合って地上に降りたところがデルフィーだったとされる。その象徴である「地球のへそ」が博物館に展示されていた。(上の写真の左)だれかが「へぇ〜、そぉ〜!」と駄洒落を言った。館内には発掘された青銅の御者や神託に使った青銅の釜があった。(上の写真の右)

じつはぼくたちがギリシャに来たのは深いわけがある。昨年五月に急逝された岡山の吉備津神社の御釜殿で「鳴り釜神事」をされる巫女、中島和子さんから「ギリシャにもこの御釜殿と同じように神の神託を聞く巫女と大きな釜があるそうです」と教えて頂いた。

中島さんはぼくたちが会った次の日に御釜殿で倒れそのまま息を引き取られた。中島さんの言葉は何か彼女の最後のメッセージのように頭に残った。

日本にいるときには解らなかった疑問が、このデルフィーの神託のことだったと解って、心の霧が晴れたような気がした。人との出会いは一期一会ということを痛感させてくださった忘れられない出会いだった。きっと彼女は古代にこのデルフィーの巫女をしていたのかもしれない。

 

 

有名な「汝自身を知れ」や神話に伝わる「オディプス王の悲劇(父を殺し、母と交わる)」などの予言はこの場所で告げられた。紀元前8世紀〜6世紀が最盛期で、アポロンの神託を聞くためにギリシャ各地からアレキサンダー大王やその他の王族が先を争って貢物を持ってやってきたという。(写真上の四点)

実際に神の声を聞くのはピュティアと呼ばれる巫女の役目で、カステリアの泉で身を清め月桂樹の葉を燃やした煙で穢れを払ったのちに神託が下される。しかしその声は言葉とはいえないものが多く、神官が訳して依頼者に告げられた。

神託は始めは年に1回アポロンの記念日にだけ行われていたが、やがて巡礼者が増えるに連れて春から秋にかけて託宣されるようになった。デルフィーはギリシャの衰退と共に忘れられ、土砂に埋もれてこの上に村ができていた。しかし、19世紀になって発掘されカステリアの泉も発見された。(上の写真の左上)

紀元前にはこの場所は至る所から水が溢れ、パルナソス山から滝となって流れていたことを発掘された大きな排水施設が物語っていた。

大鍋で月桂樹の葉を焼いて、立ち上る煙の中で巫女が神がかり、おごそかに神の神託を告げていたのかと思うと、生前の中島さんの御釜殿での「鳴り釜神事」の時の毅然とした姿を思い出して感無量だった。ぼくはデルフィーにきてようやく古代ギリシャの神々の気配を体で感じた気がした。

神々が住むという聖なる岩山、パルナソス山の険しい岸壁の前にアポロン神殿があり、その前にある三メートルほどの大きな岩の上の上でも巫女が神託を受けていたという。(上の写真の右上)ぼくたちは日本で古代の祭祀場だったイワクラ(磐座)を巡り歩いているので、古代ギリシャでも巫女が岩の上で神託を人びとに授けていたと判って、とても共感するものがあった。

遺跡の一番高いところには競技施設があり、ここでも古代オリンピックと同じように、四年に一度、神々に捧げるためにさまざまな競技(オリンピック)が行われていたという。つまり、オリンピックはを神を称えるための神聖な儀式(神事)だったのだ。

しかし、競技者はすべて全裸の男性だけと限られていたため、女性の参加は認められなかった。しかし、時代が下るに連れて女性の参加も認められたそうだが、女性は全裸ではなかった(服を着ていた)とのことだ。

山の上から円形劇場とその下のアポロン神殿を見下ろすギリシャの子どもたち。彼女たちは14、5歳で、遠足でやってきたと片言の英語で話してくれた。私たちが日本人とわかるとたどたどしく「こんにちハ」と言ってギリシャ神話の女神を彷彿とさせるような愛くるしい笑顔で笑った。(上の写真の右下)



 

 
聖火はここオリンピアのヘラ神殿で採火されそして世界を駆け巡る

今世紀初のオリンピックは2004年8月13日から始まる。201の国や地域が参加する史上最大のオリンピックになるらしい。今大会からメダルのデザインも一新され、勝利者には月桂冠ではなく古代オリンピックにのっとり、オリーブの冠が授与されるとのことだ。

紀元前九世紀頃、その古代オリンピックが開かれていたのがオリンピアの地なのだ。かつてはオリンピック評議会の役所を始め選手の宿泊所、練習所などの施設が揃っていた。ここで各地からの精鋭が競技を競うメイン会場がスタディオンだ。

入場のための石のゲートの前に立つと古代にタイムスリップしたような気がして、試合前の選手の胸の高まりや観衆たちの歓声が聞こえてくるようだった。(上の写真の左下)

オリンピアの町はこのオリンピック競技場の遺跡以外は何にもないのどかな田舎町。電車も小さな三両だけの車両が走る単線のローカルな駅がぽつんとあるだけ。(上の写真の上段)

しかし、四月はギリシャ中の野山に花が一斉に開く時期なので、日本の桜のお花見のようにギリシャ人は蘇芳(すおう)の花の咲くのをわざわざ野山に出かけて見にいくとのこと。

ちょうどこのオリンピア遺跡の蘇芳(すおう)の花も満開だった。殺伐とした遺跡に咲く花々が青い空にとてもよく似合っていたのが印象的だった。(右の写真)


オリンピックの聖火を太陽の火から取る場所がゼウスの奥さんのヘラ神殿の前。写真は2004年の採火式の写真。(下の写真の右)

もしその日が雨だったらどうするのですか? と聞いたらその時はあらかじめ晴天の時に採集していた火を代用する。ということだった。今年は晴天に恵まれたので、ギリシャの神々も一世紀ぶりにギリシャで開催されるオリンピックを歓迎しているのかも。

ゼウス神殿とヘラ神殿の前でみどりさんが祈っていると、かなり上空からすごい爆音がした。まるで雷のようだったのでみどりさんは興奮してゼウスとヘラが祝福してくれたと大騒ぎ。

ぼくは単に偶然ギリシャ軍の戦闘機でも通過したのでは? と言ったが彼女は「さっき龍雲(飛行機雲)がクロスして十字を描いたので、神々の契約の印(世の中が平和になることを願って、ギリシャの神々が復活を約束してくれた証拠だ)と言って聞かないので、そのままそっとしておくことにした。

前日にデルフィーの聖地を回りながら二人で「十種の神宝(知っている人だけが知っている)」をあちこちに埋めて祈ってきたので、もしかして何か起こったのかも?

古代では例え戦争中であってもオリンピックの時には休戦して大会に参加したといわれている。ギリシャの神々もきっと平和を願っているにちがいないので、ゼウスとヘラが仲良く復活してくれるなら大歓迎だ。


 



 

 

祈りと瞑想の天空の丘メテオラ修道院


ギリシャのほぼ中央部、カランバカの街に奇岩の上に建てられた修道院群がある。どうしてこんな奇岩群ができたのかははっきりとわかっていない。多分水の浸食作用か風食作用ではないかというのが通説になっている。

メテオラは世界遺産に登録されてからは、多くの観光客がやって来はじめた。14世紀〜16世紀頃にかけて俗世から離れて隠遁生活を送るためにギリシャ正教の修道僧たちが競って断崖絶壁の上に庵を作った。(上の写真の四点)

低いものでも30m、高いもので400mにも及ぶ岩山の頂上に修道士たちが建物を立てて祈りの生活をしている。その最大のものがメガロ・メテリオン修道院で、今では観光客を受け入れ内部の見学もさせてくれる。(上の写真の左下)しかし、ノースリーブや半ズボンは禁止で、女性は必ずスカートを穿かなくてはいけないので要注意。

今は岩山を削って階段ができているが、昔は崖につるされたロープか巻き上げ機で出入りしていたので、何人もの僧が命を落としたとのこと。

内部は壁中にイコン(聖画)が描かれていた。(上の写真の右下)偶像を禁止するギリシャ正教の教会に入ったのは始めてだったが、歴代の修道士たちの祈りが込められているようで、その重厚さに圧倒されてしまった。

ぼくはギリシャに行く前から、このメテオラに興味があったのだが、実際に現地に行ってこの目で見ると奇岩の規模の大きさに驚いてしまった。この修道院群も修道士の高齢化で今は人も少なく、廃屋寸前の修道院もいくつかあったが時代の流れには逆らえないことかもしれない。中には観光地と化したメテオラを見限って、アトス山に去った修道士もいるらしい。



 

青い海と青い空・エーゲ海クルーズ

世界中のお金持ちが集まる地中海は晴天に恵まれて絶好のクルーズ日よりだった。ポロス島、イドラ島。エギナ島の三島を巡る1日クルーズだったが、船には達者な日本語を話すガイド役の女性が二人いて、彼女たちのパワーに圧倒されてしまいそうだった。日本人の観光客がほとんどだったので、これでは琵琶湖の観光汽船と同じ雰囲気だねとツアーの人たちと大笑いをしながら島巡りを楽しんだ。

どの島に着いても、さすが避暑地地中海。しゃれたレストランや戸外に椅子を並べたカフェバーが軒をつらね。どこを写しても絵になる風景に大満足。

特にビスタチオの産地エギナ島では日本人ガイドのお姉さんたちの口ぐるまに乗せられて島の内部のアフェア神殿までのバスツアーに参加した。しかし船の出港時間ぎりぎりに戻ったので、島を観光することができなかった。急いでビスタチオを買い、この島名物の炭焼きタコのレモンかけを走りながら食べた。ゆっくりできなかったのがぼくはとても心残りだ。

みどりさんがみんな行くからバスツアーに乗ろうと行って聞かないので仕方なく参加したけど、今度行くときには港に残ってゆっくりと時間を過ごしたいものです。






 

もう一度行ってみたいギリシャの国

ギリシャの旅行でうれしかったことは、水が飲める。生野菜が食べれる。アイスクリームもOKだったこと。歯磨きするにもミネラルウォーターだったエジプトやアンコールワットやバリのことを思うとどんなに気が楽だったことか。

ギリシャの町には日本のキオスクのような小さな売店がたくさんあったので、ホテルに入る前にここで飲み物やスナック菓子を買って部屋に入ることができた。

おみやげ物はあまり買わない主義だし、カメオやブランド物もまったく興味がなかったけれど、下の写真の土偶人形(テラコッタ)は二人とも気に入って買ってきた。

この人形は、アテネオリンピックのマスコットになっている原型の人形だ。紀元前七世紀に作られたベルの形の土偶で裏と表にそれぞれアテナとフィボス(太陽神アポロン)が男女、表裏一体となっているとても珍しいものだ。(写真下の左が男神、右側が女神、おっぱいがある方)オリジナルはアテネの国立博物館にあるとのことだ。


    

ところでこの旅行でぼくたちは初めてユーロに出合った。ユーロの紙幣は日本の紙幣と比べてとても小さく、おもちゃのような感じだと思っていたら、それはぼくが5ユーロや10ユーロの小額紙幣しか持っていなかったからということがあとで解った。

買い物をしていたときに、レジで見ているとサイズの大きな紙幣が見てとれた。あれっ? とおもってよく見るとその紙幣には50ユーロ、100ユーロ、200ユーロと書いてある。そういえば、日本でもあまり見かけることのない一万円札なんかはやっぱり大きい。ここギリシャでも高額紙幣はやっぱり大きかった。

各国で作られたコインが入り混じっているので始めは混乱して何がなんだかわからなかったコインたち。お世話になりました。





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