初心にかえる(行商編パートU) |
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稗田の阿礼をお祭りする「賣太(めた)神社」 |
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みなさま明けましておめでとうございます。 今年は「古事記のものがたり」の本を出版して12年目、ちょうど干支が一巡したことになります。1999年10月の新月の日、初めて3000部を出版して山のような本が我が家に届いた時の驚きと感激は今でも忘れることができません。あのころは、家の中に積み上げた本を一冊でも早く売るために、二人で必死で行商に歩き回ったものでした。 その当時、古事記の語り部である稗田阿礼をお祭りした賣太神社(奈良県大和郡山市)で8月16日に「阿礼(あれ)さま祭り」があることを知りました。そして文学学校の恩師の紹介を受けて神社にお伺いし、お祭りの日に境内で本の販売をしました。 その頃は大阪市内に住んでいたため、車がなく、本をリュックにつめて朝早くから電車に乗ってはりきって行商に出かけました。ちょうどその日、地元の高校生たちが数人、夏休みの課題で、アンケートを取るために神社に来ていました。そしてトップの写真のように机をお借りして、高校生たちと並んで夏の日差しを浴びながら境内で行商編パートTをさせていただきました。 ただし12年前は、私たちが販売するものは「古事記のものがたり」の本だけでした。長い机に本と手作りのチラシを置いていただけなので、トップの写真よりは寂しいイメージだったかも知れませんね。 でもその時一緒に机を並べた高校生たちが、私たちの本を拾い読みしながら、これなら僕たちでも読めますね。それにすごく判りやすくて面白い( ^)o(^ ) 「古事記ってこんなに面白かったんですか!」と言ってくれて、自分たちのアンケートを取るついでに参拝者に一所懸命「古事記のものがたり」を勧めてくれたのです。おかげで、本も何冊か売れ、若い人たちとも仲良くなれ、いろいろ意見も聞け、お礼にその時の写真も送ったりして……と、とても楽しい思い出となっています。 |
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子供たちにずっとずっと・・・伝えたいもの! (*^。^*) 今年(平成22年)、小正月二日目(1月16日)そのなつかしい賣太神社で「おとぎの森で遊びましょう」というイベントを奈良伝統文化交流会のN氏が企画してくださいました。 N氏は、神話を忘れた民族は滅びます! という私たちの本の中の稗田阿礼のメッセージにとても感動してくださって、古事記を広めるための講演会を企画してくださっている奇特な方なのです。 そのN氏に賣太神社の宮司様をご紹介したご縁で、今回のスタンプラリーが決まりました。しかし肝心のN氏が直前に倒れて緊急入院したために、奥さんや友人の方々と一緒にラリーのイベントを手伝いながら、本の行商をすることになったのです。 晴明さんは会場設営と鳥居の前でのお客さんの呼び込みをしていました。と、いうのも、賣太神社は観光地から遠く離れていて、参拝者も少なく神社の前の人通りもほとんど望めないからです。 私は本の販売をしながら、参加者に「正しい手水の使い方」を説明して一番のスタンプを押すという係りでした。 二番のスタンプは拝殿でのお参り(一礼二拍手) 三番は「野遊び協会」の方々の指導で、コマ回し、竹笛の作り方、折り紙雛人形、などの懐かしい昔遊びに参加してスタンプをもらいます。 この「野遊び協会」のリーダーは京都北山細野の神主さん(今は奈良の某福祉法人の職員)で、以前から『古事記のものがたり』の本をとても応援してくださっている方です。一昨年には美山町での講演会を紹介してくださいましたし、昨年、94歳でお母様を亡くされたのですが、そのお供養にと私たちの本を親戚やお知り合いの方々に、たくさん配ってくださいました。 その神主さんは子供たちを鎮守の森に呼び戻すために、特注の機関車型のポン菓子機を作って「野遊び協会」を立ち上げられました。 そして京都や大阪の神社の境内などで子供たちに懐かしい昔遊びを伝承し、ポン菓子を配っているのです。 写真は神社の鳥居の前で人集めにポーンという大音響でちょうどポン菓子ができた瞬間です。煙の中に人影が見えるのがその京都北山細野の神主さんです。 |
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お土産は楽しい「福袋」懐かしいポン菓子付き( ^)o(^ ) さて、ラリーの四番目は箭野さんご夫妻の絵本ライブです。お二人は15年ほど前から誠也さんのギターと、幸子さんが布絵巻を広げながら『古事記国生み神話』のお話を子供たちに伝えている大先輩です。 ライブの最後に誠也さんが、籠神社の境内などで授かった自然の石笛演奏を奉納されました。各地で絵本の語りを超えた幻想的な世界を表現されるステキなお二人です。 こんなふうに神社の境内で楽しく遊び、社務所でおみくじを引いて、最後の五番目のスタンプを押してもらい、ポン菓子やいろいろな景品が入った福袋をゲットして終了です。 あいにく主催者のN氏不在のイベントとなりましたが、お天気にも恵まれ、お正月の注連飾りをとんど焼きの為に神社に持ってきた氏子さんたちも飛び入りで参加されて、なんとか無事に終えることができました。 さて、肝心の本の販売ですが、この日の売り上げは1冊でした。しかし、この一冊がすべての始まりの1冊なのだと思うと、行商を始めた頃の初心に返ることができました。本当にありがとうございます。 それから、賣太神社の藤本宮司様が以前から、神社の社務所にも本を置いてくださっています。これから、朗読や語り部をめざしているみなさん、ぜひ、ぜひ、賣太神社に参拝してくださいね。 |
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こうしてコラムを書いていると、今まで12年間、実にさまざまな方々に「古事記のものがたり」を応援していただいてきたかが思い出されます。それにこの本が毎年増版できて、12刷り(三万六千冊)も版を重ねることになったなんて、ほんとに夢のようです。ありがたいことに、本を社務所に置いてくださる神社も少しづつ増えてきました。 また、個人の方でわざわざ名刺に「古事記のものがたり」書籍販売と刷り込んで広めてくださっている方。著著に「この本は良い本だから、ぜひ読んでください」と推薦文を書いてくださった方、その他にも、Hプロデューサーが伊勢神宮会館で古事記のものがたりの本を手に入れたご縁で「豪華客船・にっぽん丸」の船内で神話の講師をさせて頂いていること・・・・。明治神宮での「神話を語り継ぐ人々」というガイアシンフォニーの講演会でクリンキッド族のボブさんたちがワタリガラスの神話を語るというイベント会場で「日本の神話も読んでくださぁ〜い」と大声で本を行商していた時に知り合ったオフィス・テンさんは、以来、本をずっと販売して下さって、昨年東京で講演会を開いてくださいました。 ・・・などなど、12年間でご縁を頂いてお世話になった方が他にも山のようです。 それもこれもスタートは「どうか、古事記を広めてください! 」と、私の夢に出てきた稗田阿礼さまの熱い思いが原点にありました。 12年目の今年、阿礼さまの神社での行商でスタートしたのもきっと深いわけがあったのかもしれません。再スタートにあたって、これからどんな方々と新しくお出会い頂けるのかワクワクしています。 みなさまこれからもどうかよろしくお願いいたしまぁ〜す。 |
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稗田阿礼は男性か女性か? 古事記を編纂した太安万侶は昭和に入って奈良県田原本の茶畑からお墓が発見され、実在が証明されました。おかげで、古事記偽書説も影を潜めたようです。しかし、阿礼の墓はいまだに未発見の為、その実在すら疑われているようですね。 古事記には大和国添上郡、稗田村の出身の舎人、年は28歳、「人となり聡明にして目に渡れば口に読み、耳にふるれば心にしるす」つまり、ものすごく頭が良くて記憶力に優れた人である、と書かれています。また、舎人というのは男性の下級官僚の名称なので、賣太神社では、男性とされているとのことでした。 大和国添上郡、稗田村というのは奈良県北部の大和郡山付近のことなので、延喜式神名帳にも記載されている賣太神社のあたりに本当に稗田阿礼が住んでいたのかもしれませんね? また、この一体は藤原京の羅城門があったあたりだということです。 しかし、 柳田国男氏は女性説、 梅原猛氏は阿礼=不比等説などいろいろあるようですね。 阿礼は猿女の祖、天のうず女の後裔とされているので、神社には稗田阿礼のほかに天のうずめとその夫の猿田彦もお祭りされています。 このあたりは日本でも珍しい環濠集落が残っていて、賣太神社はその環濠に囲まれた鎮守の森の中にあるのです。派手な観光地ではありませんが、ぜひ一度訪れてみてくださいね。阿礼さまがご神木の下で待っていてくださるかも知れませんよ。 |
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