僕たち横断中です! 踏まないでね!
 

熊楠記念館前・横断中のカニさんに遭遇ー
平成22年9月17日(金)
ぼちぼち年金が気になる年齢なので・・・、ネンキン・ネンキン・ネンキン情報・・・とアンテナを張っていたら・・・なぜか世界的粘菌学者「南方熊楠」記念館に行くことになりましたぁ〜(*^。^*)。

四年前に友人たちと見学した時、(彼女たちは全く興味がなかった様子で)さっと一回りしただけで出てしまったので・・・、

もっと時間をかけてゆっくり熊楠の日記や原稿を読みたいと思っていました。

そのことを晴明さんに話したところ、白浜なら日帰り距離なので、さっそく出かけよう! ということに。

あまりにも知られていない南方記念館


白浜は近畿を代表するリゾート地の一つです。右の写真は記念館屋上から見た神島。(360度のパノラマ。絶景です)


これまで何十回も白浜に来ているのに、四年前に友人と白浜温泉を訪れた時はじめて、円月島の近くの岬に南方熊楠記念館があることを知りました。

熊楠に関しては神社合祀に大反対した人だとか、ご神木の伐採を必死で止めた人だとか、陛下(昭和天皇)に粘菌をお見せする時、キャラメルの箱に入れて持参したとか・・・断片的には知っていましたが・・・

今回記念館を見学して、緻密な資料類や膨大な細かい日記類などの展示類をじっくり見るにつけ、本当に驚きました。
細かい字でびっしりと書かれている日記類や多くの資料は、松坂市にある本居宣長記念館で、宣長の直筆(生まれた日からの日記を詳細に書き残している)を見た時の驚きと似ています。(宣長はUFO目撃談も日記に絵入りで書きのこしています)

この日、私は二度目の熊楠記念館でしたが、晴明さんは初めてだったので、まるで粘菌が歩く速度のように・・じっくり・・・ゆっくり・・・顕微鏡で粘菌観察をしていました。時間を忘れているかのようでした。

私は熊楠が10歳の頃から数年かかって筆写したという「和漢三才図」に感動。そしてもう一つ「熊楠マンダラ」の線画の前で足が止まってしまいました。
なにか判らないのですが・・・この絵から出る波動はすごいです。
狂気さえ感じます。
前にサイ科学会で講演された某女子が、細くて長い簾のようなものをぐちゃぐちゃにして「これが宇宙です!」と教えてくださった時の感覚(なにっ? それ???)に似ています。

ところで、最近、私はツイッターを始めているのですが、その中で知り合った熊野の宣伝工作員?の方が熊楠の自宅跡(熊楠顕彰館)にもぜひ! とすすめてくださったので、田辺市にも足を伸ばすことに。

南方熊楠顕彰館と自宅の森の○○ホコリ?

熊楠の自宅は約400坪もある元武家屋敷です。
マップルマガジンの取材で歩き回っていた10年前の田辺は寂れた田舎町だったのですが、熊野が世界遺産になったおかげでしょうか? 駅前は見違えるように整備されていました。

こちらの顕彰館では展示方法も近代的で、ちょうど夏休のこども達の自由研究用に、熊楠の粘菌の世界に親しみやすいきれいな粘菌のパネル展示があり、光学顕微鏡でいろいろな粘菌を自由に見れるようにと工夫され、とてもやさしく説明されていました。

白浜の記念館での昭和の名残そのままのレトロな展示とは対照的だと感じました。
熊楠ファンの方はぜひぜひ両方に行かれることをお勧めします。

それから、もう一つお勧めは熊楠の生涯を描いた水木しげる氏の漫画「猫楠」です。
ちょうどNHKで、ゲゲゲの女房をやっているのと時期が重なって目に留まり購入しました。
「水木さんと熊楠の世界が少し共通しているような?」
それに水木さんがどんなに熊楠(奇人変人狂人?とまで言われた)を愛して描いているかが良く判ると思います。晴明さんも絶賛!大変お勧めです。

19カ国語を自由に操り、ネイチャーなどの科学雑誌に投稿。
世界的に「東洋のソクラテス」とも評価されていたことを知っている人は少ないのでは?
最近、マスコミではエコ・エコ、という言葉が飛び交っていますが、日本で最初にエコロジーという言葉を使ったのは熊楠先生だそうですよ。熊野の神霊が生み出した偉人の一人だと思います


一口に粘菌という名で呼ばれていますが、実は一つ一つの粘菌には○○ホコリとか××ホコリとか言うかわいい名前が付いているものが多いようです。

つまり粘菌はホコリやカビということなのでしょうかね? そのカビのような小さな小さな粘菌の世界は、宇宙から来たのではと、思うような不思議な仕組みというか・・・生き方(意志)があるそうです。

晴明さんは、すっかり粘菌の世界の虜になったようで・・・家に帰って虫めがねやルーペを持って、自宅の森の中をウロウロ。
「あっ! これはハイホコリや!! これはスミホコリや!!! 何やコリャホコリ???などと、いい加減な名前を付けてデジカメで写真をとりまくっています。
「蚊にかまれてかゆいホコリ」……

その中のご自慢の一枚が上の枯れ木の写真です。
みなさんこれが粘菌だと判ってくださると良いのですが・・・・?

闘鶏神社のご神木(樹齢約1200年)

熊楠の奥さんは田辺の闘鶏神社の娘さんだったことを今回初めて知りました。

この神社には縁あって何年か前に「古事記のものがたり」の本を社務所で領布していただいていました。しばらくご縁が切れていたので、ご挨拶にと思って社務所を訪ねたのですが・・社務所が無人で、何か気後れして声を掛けそびれ・・・。

本殿に参拝だけして、帰ろうとして車に乗る前に・・・ふと、木になって写真の大きな楠にお参りしました。そしたら目の前に、青筋アゲハがひらひらと飛んで社務所の方へ・・・。
そして・・・「気後れせずにご挨拶しなさい(*^。^*)」と・・いう声がしたような・・・・

思い直して社務所の奥に声を掛けると若い禰宜さんが、気軽に新しい宮司様を呼んでくださいました。事情を話すと「古事記のものがたり」の本は就任された時に神社にあってすでに読んでくださっていました。その後、請われるままに人にも勧めてくださったとのこと(*^。^*)なんだかうれしくなりました。

楠さんと青筋アゲハさんのおかげで、またご縁が復活することでしょう(*^。^*)。

ところでこの闘鶏神社は熊楠のころにはこのような楠の大木が何本も何本も茂って鬱蒼とした森{くらがり山}だったそうです。それを、楠が樟脳の材料として高く売れるのを知った当時の氏子さん? たちがじゃんじゃん切り倒して売り払ってしまったので、熊楠が、もう三本しか残っていない! と、大変怒って大暴れ? した。

というエピソードがあるそうです。

神坂次郎という作家さんも、無名時代、電車を待つ間にこの木の木陰に何度も来たそうです。後に流行作家になり文部大臣賞までもらったと説明書きにもありましたよ。

木とお話できる方、ぜひ闘鶏神社に行ってみてくださいね。

さて、今回の目的、(南方熊楠)は一応終わり、まだ、帰るには時間があったので。月並みな観光地、白浜の三段壁と千畳敷見学に。

千畳敷は無料(駐車料も)なので私はよく来たのですが、晴明さんはどちらも初めて。
アングルしだいで、日本ではないような「アリゾナ砂漠か?宇宙の何処か?」のような不思議な写真が撮れるので珍しがって喜んでいました。

そして、エレベーターに乗って三段壁の洞窟に下りることに。(料金一人1200円。駐車場代500円、お土産を1000円以上買うと駐車代は無料。はちょっと高いかも?)
私は何度来てもこの料金がネックで中に入るのをためらっていたのですが、この日、初めて洞窟内に入ることになりました。

36メーター下の洞窟に降りて、びっくり!! なんとここは熊野水軍の海の要塞だったのです。実は私の祖先は、伊予の宮崎鼻の海賊(平家方の村上水軍)かも知れないのです。平家が負けた一因は、本来、平家の味方だった熊野水軍が源氏の味方についたからだと言われています。

また闘鶏神社の境内で赤と白の鶏を戦わせて戦を占ったことが神社の名前の由来だったのですね・・・。熊楠先生を追っていたら、源氏に寝返った(平家の敵の)熊野水軍の本拠地にきてしまうなんて・・・?(但し母方の祖母は源氏方)

先祖が伊予の宮崎鼻の海賊? なので、私は泳ぐ(というか水に浮く)のが大好きなのかなぁ〜??。 ・・・それに・・母(94歳)は私よりも泳ぎが達者(達人)で、80歳までプールに通って、マスターズ世界大会のオリンピック(カナダ)ではバタフライ50Mの銅メダルもらってるし……、個人メドレーの日本記録保持者だし・・。(70歳以上クラス)

日本最古の露天風呂・崎の湯へ

さてようやく日も傾きかけたので、最後に、斉明天皇や持統天皇も行幸されたと、日本書紀に記されている、湯崎の温泉へ向かいました。

そして、ここでも時代の流れにびっくり!!

写真の様に、すっかり美しく改装されていたのです。(入浴料300円)
マップルで取材したころは、海岸に突き出たほったらかしの無料の湯壷と簡単な脱衣所があるだけ。昼間ならまだしも、夕方からはとても一人では怖くて入れないような場所だったのですから。

温泉ブームと熊野の世界遺産登録のおかげでしょうか? 休日は第二駐車場も満車になるくらいの賑わいだそうですよ。
おかげで、たくさんの人と潮風を受けながらゆったりのんびり波しぶきをあびてリラックスできましたぁ〜。

次回は境港のゲゲゲの鬼太郎ロードまで走ってみるそうです。また、ご報告しますね。


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