うましあしかびひこじの宴 2007.4.1
 
葦舟を作るために刈り取った葦の束
古事記の冒頭、宇宙創生の造化三神出現の次、第四番目に現われる神さまに「宇麻志阿斯訶備比古遅神・うましあしかびひこじ」という変わった名前の神さまがいます。

私たちの本『古事記のものがたり』には、すべての命の素となる神さまで「泥沼のような中から美しい若芽が萌えるようにして生まれた神」と書きました。第五番目に生まれた「天の常立の神」と共に性別はなく姿は見えないとされています。

なぜ、このように特別な「別(こと)、天つ神(あまつかみ)五つ柱」の中に植物の葦(あし)の名前が登場するのでしょう? 日本は「豊葦原の水穂の国」とも「葦原の中つ国」とも呼ばれています。昔は日本中いたるところに葦が豊かに生い茂っていて、人々は葦と共生していたのでしょうか?

ギリシャ神話にも牧神パンに追われて葦になった妖精・シュリンクスのお話が登場します。その時、葦になってしまった美しい恋人を偲んで牧神パンが作った葦笛がパンフルートだそうです。日本でも雅楽の笙のリードは葦の茎が使われていますね。

イザナギとイザナミが最初に国産みに失敗して出来た蛭子と泡島を葦舟に乗せて流した話や、旧約聖書のモーゼも赤ん坊の時にヘロデ王の迫害から逃れるために葦舟で流され命を救われました。

哲学者パスカルも「人間は考える葦である」という有名な言葉を残しています。

また、百人一首の中にも葦を歌った歌が二首あります。「難波江の葦の仮寝の一夜ゆえ…」「難波潟短き葦の節の間も…」

このように葦は洋の東西を問わず古代人の生活に密着したとても身近な植物だったのでしょうね。

「うましあしかびひこじ」のうまし、は美称、ひこじは男性のことです。そして「あしかび」というのは群生する葦の芽が水面からツンといっせいに顔を出す様子が、まるでカビの大群が一斉に発生する時の状況に酷似しているところから付いた名前だと言われています。

カビは日本の気候とは切っても切れない雑菌で、遠つ明日香の高松塚ではカビが国宝の壁画に繁殖して大問題を起こしました。家の中でも梅雨時には風呂場や押入れなどで発生して目にすることができるのですが、「あしかび」はまだ見たことがありません。一度はその葦の芽の出た瞬間「あしかび」の場面をこの目で見たいと願っていました。

今回は、水質浄化と環境保全を子供たちに伝えるため、葦で組んだ古代の船「葦舟」を復元しているカムナプロジェクトのキャプテンK氏に頼んで念願の「あしかび」を見るために畿内最大の葦の群生場所、鵜殿(大阪府高槻市)に案内してもらいました。

上の写真は昨年暮の葦焼きの前に葦舟用に刈り取って確保してある葦の束。葦の成長はとても早く一日に4〜5センチも伸びるので一斉に芽の出た瞬間のあしかびを見るのはまさに至難の業(ほんの二三日の間だけ)だそうです。茎の長さは最終、3m〜5mにもなるそうですよ。



足!!!と葦!!!

上の写真は足と葦! 葦焼きの後で芽吹き出したばかりのまるで動物の牙のような葦の芽の群生が判るでしょうか?(針のように尖っているのがそう)裸足や草履で葦原を歩いていた昔の人は、足の裏が血だらけになったかもしれませんね。あしかびのことを漢字で「葦牙」と書く謎が解けました。

ところで、すだれ業者さんたちは葦のことを「ヨシ」と呼ぶそうです。あしというのは「悪し」に繋がるので縁起を担いで「良し」と呼んでいるのだそうです。

昔は海水浴場の日よけなどには必ずヨシズが使われていましたね。あの太くて長いすだれは乾燥した葦の茎を編んだものだったのですね。鵜殿の葦原は周辺のすだれ業者さんなどが良質の葦を生やすために暮に葦原を焼き払ったりして長年手入れをしていました。

しかし最近は、生活環境が変わり、ヨシズの需要が格安の海外製品に押されてめっきり減り、業者の減少と共に葦原も放置され葦の群生は往時の一割にもなったそうです。

その葦原の自然を守るために30年間もこの葦原に通って葦を見守り続けている奇特な方がおられます。今回は、その鵜殿ヨシ原研究所所長の小山弘道先生に鵜殿の自然を案内していただくことができました。

1971年の治水工事のため淀川を掘り下げて水位が6m近く下がり葦原が冠水しなくなり葦は急減。小山先生の必死の呼びかけでようやく建設省が動き96年からポンプで水を汲み上げて葦原を保全することが決まったそうです。

今年も4月8日頃には葦原に水を導水し始めるので古事記のシーン「水の中から葦の芽がツンと空に向かってまっすぐ伸びる・あしかび」が見れるそうです。でも、水が無い方が葦の芽の生え出す状態が良く観察できました。

土の中から顔を出す前の葦の芽はまるで「竹の子」のようでした。地下茎でしっかり繋がって地面にへばりつくように群生しています。

美味しあしかび大宴会

古事記に出てくる「あしかび」も見たかったのですが、今回はもう一つのお楽しみがありました。じつはこの葦の芽! すご〜く、美味しいと葦舟キャプテンのKさんが言うのです。

そういえば古事記に登場する名前も「うまし、あしかび??」その話を聞いたからには何が何でも一度食べてみた〜い! というわけで、この味をぜひ試したいという仲間たちが集まって「うましあしかびの宴」野外大宴会となりました。

何しろ鵜殿は甲子園球場が18個も入るという広さ(75ha)です。周りにはまったく人がいない、トイレもコンビにもないのです。写真ではあまりにだだっ広くてポツンとしか写っていませんが……こんな大自然のまん真中でウグイスの声を聞きながら摘んだばかりの葦の芽や西洋からし菜やつくしを天ぷらにして食べるなんて!おまけに枯れた葦の茎で焼いたかつおのたたき、ダンボール箱でスモークした鴨やチーズ、トーフの燻製!

お料理の先生が差し入れてくださったお赤飯や桜の花のご飯!などなど… ビールやお酒も入って、大人達は「美味しあしかび大宴会」、子供達は泥団子作りに熱中!

土佐日記の中に「こよひ、うどのといふところにとまる」と書いてあるそうですが、この「うましあしかびの宴」を見たら作者の紀貫之も飛び入り参加してくることでしょうね?

 

絶滅危惧種の植物たちが・鵜殿ではイキイキと群生しています

絶滅寸前に追い詰められていた鵜殿の葦は小山先生の地道な活動(ポンプ場や水路の掃除,雑草の刈り取り)が実り、ボランティアの方々にも支えられて再生し始めているようです。国もようやく力をいれて葦原の保全事業に取り組みだしました。

ゴルフ場になったり、野球場になったり、護岸工事でコンクリートの遊歩道がある川原を見慣れていた私には、大阪にこんな広くて自然がいっぱいの葦の川原が残っていたなんて奇跡のように感じました。

『古事記』の中の豊葦原の水穂の国は葦だけではなく、動植物の豊かな鵜殿の自然をそのまま生き写しにしたようなところだったに違いありません。(野うるし、葉をちぎると写真のように白い汁が出て体質によってはかぶれることもある。ネコの目のように見えるかわいいネコメ草。トネハナヤスリ。キツネや狸、蛇その他の小動物、それを狙うオオタカやトンビなどもいっぱいいるそうです)


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