湖底に沈む、丹生川上神社上社跡地 | ||
三月十五日龍神祭に行ってきました。 ご祭神(たかおかみの神)は龍神様。 新しい本殿で遷座祭が施行されたのは平成10年3月15日。本殿の前には立派な二頭の馬の銅像がある。写真右下は旧社の発掘で発見された平安時代以前の祭祀跡の石組み遺構。 奈良県吉野郡川上村。 |
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大滝ダムの完成にともなって湖底に沈む上社の跡地を上から見下ろしたところ。 移転に伴う発掘で平安時代末期に建造された本殿の真下から、畿内最古と見られる貴重な石組の祭祀遺構(縄文時代中期~後期初め、約1万年前~2800年前)「宮の平遺跡」が発掘された。 祭祀跡からはサヌカイトの石器、石棒などの縄文遺物が多数出土している。こんな聖地をダムの底に沈めてしまうなんて…。 吉野川の流れに沿った小さな台地状の土地にうっそうとした木立に囲まれて建っていた上社もいまは跡形もなく、ご神木の切り株だけがさびしく残っている。 |
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元の境内にあったご神木の体内から発見された霊石。石を抱き込むようにして木が千年近く成長していたなんて感動した。 美しい緑色と赤色の二色の霊石は大人の頭より一回りほど大きく、新しい社殿の中に大切におまつりされている。 縄文時代には石を並べ、そこに神を降臨させて祭祀をしていた。きっとこの石はそのときご神体の石かもしれない。 |
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これが、その霊石を抱きこんでいたご神木。ダムができなかったら、きっと中に霊石を抱き込んでいることは知られなかったに違いない。 このご神木は新しい上社の参集殿の中に置かれている。ダムができなかったらまだまだ青々とした葉を茂らせていただろうと思うとなにか寂しい。 |
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上社の跡地に行ってみた。上から見ていたよりも三本のご神木はものすごく大きかった。2003年1月にはここは湖底に沈んでしまう。 旧社跡地のすぐ下の川原に下りてみた。吉野川の最上流にあたるこの付近の水はとくに澄んで美しい。川原には青や赤や緑、真っ白なきれいな石がごろごろしていた。 この石たちも湖底に沈んでしまうのかと思うと、可愛そうになって何個か拾って家にもってかえった。 |
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たぶん、この一番大きな切り株があの霊石を抱きこんでいたご神木なのだと思う。私の大きさと比べてみてください。どんなに大きかったかわかるでしょう。 だれか、来年一月までに車でここを訪れる機会があったら、川原のきれいな石たちを何個か助けて、新しい上社の境内に持っていってあげてほしいのだけれど…。 |
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跡地から新しい上社を見上げる。時代の流れもダム工事もどんどん進み、もう誰にも止めることはできない。 はるか縄文時代、この聖地で長さ三十センチ以上の石の棒を10本以上も立てて、雨乞いをして暮らしていた古代の人々を守ってくださっていた神様も、きっとその流れを受け入れておられると思う。 |
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ここは絵馬の発祥の神社。天武天皇のころから雨を乞うときは黒馬を、止雨には白馬を奉ったという。午は陰陽道では火性。水の神さまとは相性がいいので馬が奉納されるようになったらしい。 それがいつしか簡略化して木に書かれた絵馬に願い事を書くという風習に変化して全国に広まった。 だからここには狛犬はなく、写真のトップにあるように二頭の馬の銅像が立っている。歴代皇室の崇敬はあつく、天変地異や国家の大事に際して祭りが施行された重要な神社だった。 |
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神社に着いたときにサァ―と一雨降った。龍神様のご挨拶だなあと感じたが、お祭りの間は皆の心配をよそに雨は降らなかった。 この日は東京から映画監督の龍村仁さんも参拝されていた。祭りが終わってなんとなく正面の山(白屋岳/1176m)が気になって写した写真に不思議な白い球「たまゆら」が写っていた。 (夕方天河神社に参拝し、監督と天の川温泉の露天風呂に入って、のんびり…ゆったり…。時間を忘れた楽しい一日でした) |
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(丹生の川上に降りて天神地祇を祭る)日本書紀。神武天皇が大和を征服するにあたり、夢のお告げに従って部下二人を醜き者の姿に変装させ、天の香久山の赤埴、白埴を採集させ、天平瓮を80枚と厳瓮を造って丹生の川上で天神地祇を奉ったので、戦に勝って大和を平定できたと記されています。 この丹生川上神社上社の跡地「宮ノ平遺跡」の発掘にあたって、この場所が神武天皇がその重要な祭祀をおこなった聖地なのでは? と密かに言われているらしいのです。 また「国かたぶく折りには必ずこの神事を行え」との神武天皇の勅令により、古代から多くの天皇が行幸して丹生川上神社でご神事が頻繁に行われていたと記録に残っているのですが、応仁の乱で途絶えてしまったので、はっきりした場所が全くわからなくなっていたのです。 この「埴土神事(はにつちしんじ)」は、今も大阪の住吉神社の大切な神事のひとつとして続けられているそうです。ただし埴土(おつち米)を取る場所は、いまは奈良の畝傍山に変わっているとのことです。 縄文の人々の祈り場が、そのまま21世紀初頭まで神社として人々に大切にされ、きちんとした祭祀が続いていたなんて! その悠久の時の流れを想像しただけでも「日本は本当にすごい国だ」と思います。今回の発掘のおかげで、こんなに大切な聖地が見つかったのに、水没させてしまうなんて………。 |
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