夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その107 | 発行日 2010年1月24日 編集・著作者 森 みつぐ |
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季節風
先日、札幌も一気に気温が上昇して5℃を超えてしまった。しかし翌日には、日中も氷点下4度を下回り、歩道は凸凹のスケートリンクとなってしまった。氷点下7度以下となった夕方、ジョギングをしていると強い向かい風のときには、頬がひりひりと痛み、手袋をはめた指先も凍えてしまった。
そんな真冬にも拘らず、真っ黒なカラスが雪の中から何かをくわえて飛び出してきた。いつもながら元気いっぱいのカラスである。1月末に寒さもピークを迎える。既に、南の方から、梅や桜の開花の報せがテレビから流れてきている。 |
言いたい放題
昨年、交通事故死が57年ぶりに5000人を下回り、9年連続の減少とのことである。事故による負傷者も、91万人と減ってきている。私は、減少傾向にあること自体には好感を持っているが、減少しているとは言え、この数字には、全く納得いくものではない。残念ながら、死亡者のうち、どれ位が歩行者なのかは分からないが、北海道の事故死亡者218人のうち、歩行者は67人(31%)であった。
歩行者側にも非がある場合もあるかと思うが、自動車は社会的にも認知された動く凶器なのである。銃刀と同じ、否それ以上の凶器であるのにも拘らず、多くの人々が利便性に心奪われて、強力な殺傷力に目を瞑ったままとなっていて、交通事故は、運が悪かったで済ませてしまう。自動車を運転する人たちは、飲酒運転などの悪質な交通事故だけが憎むべき運転者だとして、厳罰化を訴える。便利さを一度手にした人は、死ぬまでそれを手放そうとしない。悪質な運転は、交通事故の一つの原因であるに過ぎないが、自動車は、それ自体が凶器であり、それが問題なのである。
その凶器なる自動車の餌食となっている歩行者が、交通事故死の3割にも達していることが問題なのである。個人の自由を追求する余りに、自己満足を追及する余りに、他人の自由を命を脅かしていることを各自肝に銘じて行動する必要がある。 |
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つくしんぼの詩
私の住む地域のこの冬の降雪量は、多い方ではないのだが、札幌市の除雪費の節約もあって、歩道脇には雪が堆く積み上がって、道幅は狭く見通しも悪くなっているところが、あちこちで見られる。
車道側も少しは影響があるだろうが、大きな影響は交通弱者である高齢者が歩く歩道側にある。車道側の除雪された雪が歩道側に落ちて、歩行の邪魔になるのである。交通に関して言えば、弱者優先の政策は、夢物語みたいなことである。 |
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虫尽し
今年も明け、元旦早々、親の住む家の周りの雪投げをしていた。最高気温がプラスの日が続いていたので、雪が湿っぽくなかなか重い。そんな雪を歩く邪魔にならないように脇に捨てていたら、突然、目の前に何かが飛んできたような気がした。
"あれっ!なんだ!!"白い雪の上で黒っぽいハエが歩き回っている。"えっ!今日は、お正月だよ!!"何を血迷ったのか、ケバエの仲間(クロトゲナシケバエ?)のようである。そして今年、最初の標本となってしまった。 |
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情報の小窓
『デカルトは「我思う、ゆえに我在り」と言ったそうですが、今はそういう時代ではありません。むしろふたたび、「我在り、ゆえに我思う」(トマス・アクィナス)という時がきた、と考えています。
まず「生きる」こと。どんなにみっともなくても、「いきつづけ」「存在する」こと。みずから命を捨てたり、他人の命をうばわないこと。 それを覚悟のひとつとすれば、「人間はどう生きるべきか」が問題なのではなく、「人間は、今こうして生きていることにこそ価値がある」、と、そう思いつづけているのです。』 新潮新書「人間の覚悟」五木寛之著 |
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Copyright (C) 2010 森みつぐ /// 更新:2010年1月24日 /// |