夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その142 発行日   2013年7月21日
編集・著作者     森 みつぐ
  季節風
 遅かったライラックの花が終わり、つい先週まで白い花をいっぱい纏ったハシドイの街路樹が、今までに見たことのないくらい見事に咲き誇っていた。路傍の雑草も、ぐんぐんと丈を伸ばしてきていて、国道沿いでは、今年最初の草刈が行われていた。大きなオオイタドリは、既に人の背丈ほどに伸びているところもあった。
 草むらからは、シャッシャッシャッと小さなヒナバッタの鳴き声が聞こえてくるようになった。間もなくハネナガキリギリスのギースチョンの声も風に乗って流れてくることだろう。
  言いたい放題
 いつもながら、夜、NHKのニュースを見ながら、パソコンでデータの整理をしていた。“非正規雇用が増えた”というような内容のニュースが流れていたようだったが、ぼんやり聞いていたので詳細は不明である。読売新聞の夕刊を見返してみたが、載ってない。翌朝の新聞も確認したが、載ってなかった。読売新聞らしいと言えば、そうかも知れない。「総務省が12日、非正規の労働者数を発表しました。2007年の前回調査から152万人増加し、初めて2000万人を超えました。雇用者全体に占める割合も38.2%にもなっていて、過去最高を更新しています。(テレ朝news webより)」
 雇用の不安定化に歯止めがかからない。歯止めがかからないというより、歯止めをかけようとする動きがない。雇用者側の意向よりも経営側の意向を汲み取る自民党政権は、更に、経営側にとって都合のいい雇用者を作り出そうと労働の規制緩和に向けて余念がない。
 小泉自民党政権時から、アメリカの進めるグローバル経済に傾倒し、労働規制緩和を推し進めて、非正規の労働者を大量生産し、格差拡大に拍車をかけた。そして、安倍自民党政権は、それに追い打ちをかけるように、更なる労働の規制緩和をしようとしている。その行方は、格差拡大による2極化であり、非正規という単純労働者や低賃金労働者の確保である。経営側の政治が続く。
  つくしんぼの詩
 昨年の残暑が長かったためなのか、今春の雪融けが遅かったためなのか、それとも他に原因があるのか分からないが、今年のキバネセセリの数は尋常ではない。私の住む郊外の住宅地でも、例年見かけることのないキバネセセリが翔んでいる。
 一直線に翔ぶキバネセセリ、定山渓の国道沿いには、車に撥ねられたキバネセセリの屍が無数に転がっている。運転手は、キバネセセリを撥ねようと思って運転しているわけでもないし、撥ねたことさえも知らない。車とは、そういう物なのである。いつ何時キバネセセリが人に置き換わったとしても、何ら不思議もない世の中であることか。
  虫尽し
 そろそろ春の虫さんから、夏の虫さんに変わる季節を迎えている。エゾハルゼミの啼き聲がか細くなる一方、コエゾゼミの声が一匹二匹と増えてきた。もうすぐコエゾゼミの聲で森林は溢れてくることだろう。
 マルハナバチも花を訪れるのが女王蜂から、小柄な働き蜂へと移ってきている。オオハナウドの花に、トラマルハナバチを見つけたが、その近くにメスグロヒョウモンの雌も来ていたので、カメラを取り出して写そうとした。“あれっ!なんだ!”トラマルハナバチと思っていた虫は、何とこの辺りでは初めて見るトラハナムグリだった。早速、トラハナムグリにピントを合わせた。
  情報の小窓
『これは結果的に、自由を否定するだけでなく、社会の免疫力をなくすことになると思います。本来、自由な社会というのは、絶えず社会の中に予測不可能なノイズが入ってくるものです。そしてそれを内側に取り込んでいくことによって、私たちの社会は、より強くしなやかになってゆくのです。
反対にそういう予測不可能な要因を遮断した社会というのは、純粋かもしれないけれど、ちょっとしたノイズも許さないような狭量な社会、度量の小さい社会になってしまうでしょう。
 結局、自由な社会ほど、いい社会かというと、かならずしもそうではないと思います。自由な社会というのは、じつはリスクをつねに抱え込んでいる厳しい社会だということです。不安のない自由はないのです。』
 集英社新書「ニッポン・サバイバル―不確かな時代を生き抜く」姜尚中著

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