夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その158 発行日   2014年11月23日
編集・著作者       森 みつぐ
  季節風
 今年も、また雪が降ってきた。枝に付いていた葉もすっかり萎れ落ちてしまったが、それでも尚、すっかり水気を失い萎れたままでも枝にしがみ付いている葉もある。そして北風が、その乾いた葉を揺れ動かす。
 歩道を敷き詰めていた銀杏の黄色い葉は、白い雪に被われ、いっとき消えてしまったが、気温が上がるとともに雪が融け、透き通った氷の下で銀杏の落ち葉が足元を飾っていた。そんな移ろいゆく季節も、一面真っ白な世界へと変わることだろう。
  言いたい放題
 「環境省と農林水産省は7日、生態系に悪影響を及ぼす恐れのある「侵略的外来種」をまとめたリストの素案を発表した。かまれると筋肉がまひするセアカゴケグモなど、すでに法規制されている生物種に、アメリカザリガニ、インドクジャクなどを加え、計424種を掲載した。海外由来の生物以外に、北海道や沖縄のカブトムシなど、本来いなかった地域に定着した28種の国内種も盛り込んでいる。生息域の拡大を防ぐ方策を示した行動計画と併せ、来年2月に正式決定する。」(読売新聞より)
 外来種だけで分厚い図鑑ができてしまうのではと思えるほど、よくこんなに入り込んでしまったものだと感心してしまう。424種は「侵略的外来種」と云われるもので、それ以外の外来種はどれだけいるのだろうか。植物に関しては、私の生活圏内で目にするものは、そのほとんどが外来種のような気がする。今となっては、どれが在来種なのかまるっきり見当がつかなくなってしまった。
 野山を歩いていても、林道沿いには外来種の植物がはびこっている。奥深い林道でも見かけるタンポポは、セイヨウタンポポでセイヨウミツバチが訪花している。以前、山梨の狭い国道を歩いていたら、先に中形の動物が死んでいるのを見つけた。近付いてゆくと、それはハクビシンだった。人のエゴによって持ち込まれるなんて、あってはならないことである。
  つくしんぼの詩
 雪の季節を迎えるといつも思う。買物弱者についての報道が多くなってきているが、それに加え北海道では、雪のシーズンの買物は大変なのである。夏、買物用キャリーバッグを引いて買い物に行く高齢者の姿を目にする。
 そして積雪後も、キャリーバッグを引っ張りながら歩く姿を見かける。雪の上なので歩きずらいし、キャリーバッグも重くなる。それがもし坂道だったら、もっと大変である。滑って転んで骨折でもしようものなら、最悪となろう。どうすればいいのだろうか。
  虫尽し
 札幌に戻ってから、越冬するスズメガの蛹の羽化に全て失敗してきた。今年こそはと思い、定山渓の林道を歩くときは、スズメガの幼虫はいないかと思いながら歩いていた。毎年見かけるヒメクチバスズメの幼虫を探してみるが、こういう時にはなかなか見つからない。でも、やっと一匹だけ見つけることができた。
 ヒメクチバスズメの幼虫は、なんと云っても今まで、蛹にもならずに死んでいた。今年は、終齢幼虫が徘徊を始めたとき、土の入れた鉢に放したら、数十分這い回った後、土の中へと潜っていった。蛹を見たいが、今回は、来春羽化するまでそのままにすることにした。
  情報の小窓
『心の健康な人たちの間の道徳や規範は、時に、心の病んだ人たちの間の搾取を正当化する理論になる。卑怯な人間は道徳や規範を持ち出して弱い人間から心身ともに搾取する。つまり反抗を封じるのに道徳ほど都合のよいものはない。相手に罪の意識を強要して自分の側に利己主義を通す。彼らにとって利己的であることが許されないのは相手であって自分ではない。要するにあなたは同じ人間と見られていないのである。あつかい易い人間として見くびられているだけなのである。』
 PHP研究所「自分に気づく心理学」加藤諦三著

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