夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その167 発行日   2015年8月23日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 夏も、もう終わりに近付いてきてしまった。暑くなり始めた7月後半から札幌では梅雨入りしたみたいになり、不安定な天気が、ここまでずっと続いている。子どもたちの夏休み中は、ずっとこのような状態だった。
 セミは、遅れながらもアブラゼミ、ツクツクホウシ、エゾゼミも啼き始め、今夏は、アブラゼミが多かったような気がする。歩道でひっくり返っていたアブラゼミを4匹も見た。ハネナガキリギリスも気持ちよく鳴いている。先日からは、秋の虫であるカンタンの鳴き声も聴こえてくるようになった。コスモスも似合う季節になってきている。
  言いたい放題
 戦後70年談話が発表された。発表するまでに、様々な方面から要求され続けてきたキーワードを、ほとんど盛り込んで作られた、これといった注目するような文言のない八方美人のような作文であった。いろいろな文章からコピペで作られたような作文であった。
 これまでに首相が、中国、韓国の様子を窺うために仄めかしてきた文言は、ほとんど影を潜めて独自色は表れることはなかった。これは最近の政権支持率の低下も関係しているのではないだろうか。この談話で中国や韓国から強い非難があれば、さらに政府にとって安全保障関連法案どころではなくなるとの危惧があったのだろう。
 談話の中で私が気になった文言は、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」です。国として過去の歴史に対して責任を負うことで、未来への正しい道筋が開けてくるのです。謝罪を続ける宿命を追うだけの歴史的汚点を付けたことを反省し続けることは、国として当然のことでしょう。そこから国同士の新しい未来関係が生まれると思っています。
  つくしんぼの詩
 私は、自転車に乗っている。ほとんどスピードを出すこともなく自転車が通行できる歩道では、必ず歩道を走っている。歩道を走っていて一番危ない場所は、スーパーなどの駐車場に出入りする所である。自動車が駐車場から車道に出るときに、歩道手前で一旦停止せずに、歩道を塞ぐようにして停止するのである。
 歩道を通行できない道路では、左側の端を走ることになるが、そこには雨水を流すための格子状の金属蓋が設けられていて、これが路面と大きな段差があったりして自転車にとっては、非常に危険なのである。それ故に、車道側に寄ると、その後ろには、迷惑そうに自動車がゆっくりと付いてくる。
  虫尽し
 先日、母親が世話をしている庭の花を見ていた。小さい紫色の花をいっぱい付けた名前の分からない花を見ていたら、チョウが一匹吸蜜していた。“コミスジかな?”と思ってみたら、フタスジチョウだった。
 コミスジも、この辺りでは珍しいのだが、フタスジチョウは、もっと数が少ないと思っていた。子どもの頃、札幌の平地で見かけたのは、フタスジチョウである。山間地の定山渓では、今までに2〜3回位しか見ていない。早速、カメラを取りに行って数枚写すことができた。“ラッキー!!”
  情報の小窓
『力や富や名声を求める行為を続けていないと気がすまないというのは神経症である。権力や富や名声に対する強迫性は、自己蔑視に苦しむ者の特徴でもある。
 働いていても遊んでいてもそうした人々 は不全感に苦しんでいるのである。働いていること、遊んでいること、ただそのことだけで満足することができない。必ずそれが何らかのかたちで富の増大や権力の強大化につながっていないと気がすまないのである。
 何をやっていても、そのことだけで満足しきれないというのは不幸なことである。働いていても、本を読んでいても、薪を燃やしていても、食事をしていても、走っていても、歩いていても、話していても、テレビを見ていても、音楽を聴いていても、何をしていても、それがある目的達成のために役立っていないと気がすまない。
 それでいながら、その目的を楽しむことができないし、その目的そのものは、白分の人生に意味を与えてはくれない。それは、自己蔑視した執着性格的人間の自己不全感とでも言ったらいいのであろう。』
 PHP研究所「成功と失敗を分ける心理学」加藤諦三著

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