夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その178 発行日    2016年7月24日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 先週、テレビのニュースを聞いていたら、クマゼミの聲が聞こえてきた。広島からのニュースである。今週、梅雨明けした西日本のニュースには、ニイニイゼミやミンミンゼミの聲が背景から流れていた。真夏の到来である。沼津市に住んでいた頃、梅雨明けの7月下旬になると、クマゼミとアブラゼミの大合唱が始まり、部屋にいても喧しかったことを思い出す。
 札幌でも、もうそろそろ夏のセミが啼き始めても良さそうなのだが、今年は、今のところ静けさが続いている。だがいつもの年に比べて今年は、何故か菊の生育がいい。どんどん茎を伸ばし、葉っぱを広げている。9月には、どうなっているのだろうか。
  言いたい放題
 7月中旬にもなるとメタリックグリーンの翅を燦めかせて翔び回るミドリシジミの仲間が、定山渓の林道を翔び交うことになるのだが、今年は、少し遅れ気味のようである。いつもの林道を歩きUターンして戻ってゆくと、大きなカメラを手にした3人の初老の男性と会った。
 ミドリシジミの仲間を撮っているとのことである。特にメスアカシジミを撮りたくて本州から来たようである。メスアカミドリシジミは、ここでは珍しくないが、今年はまだ見ていないし、最初に見かけるアカシジミも見ていない。そう言えば、3年前にも、本州から来た5〜6人の初老の男性たちが、同じくオオイチモンジやメスアカミドリシジミなどを撮りに来たと言っていた。歳を取ると、採集よりカメラの方がいいのかなと思いながら、別の林道を教えて上げた。
 札幌郊外の採集地として定山渓は、有名なところである。とは言え、私はしょっちゅう歩いている訳ではないので、網を持って採集している人やカメラを持って撮影している人に出会うことは少ないのだが、やはり7月が最も多い。中旬以降ミドリシジミの仲間が一斉に翔び出してくるし、夏のチョウも一斉に姿を現すからである。今日の採集も終えてバスの時間に余裕があったので、教えて上げた別の林道に入って彼らを見つけ、もう少し奥に行ったところで、最後にミドリシジミの仲間が翔んでいるのを見つけた。そこで私は、彼らと別れ引き返した。
  つくしんぼの詩
 本州では、夏本番である。沼津に住んでいたとき、夜、クーラーも付けずタオルケット1枚かけて、それもお腹だけにかけて眠っていた。札幌に来ても、短い夏の間は、タオルケットをしっかりかけて眠っている。
 ところが昨年のこと、真夏に部屋の温度も上がって暑くなってきたので、タオルケット1枚にしようとして寝ていたら、なんとなく少し寒いような感じがして、結局、真夏の間、タオルケットに薄い毛布をかけて寝ることにした。これは暑さに強くなったというより、歳を取って、暑さに鈍感になってしまったからなのだろう。多分、今夏も、熱中症にかかるお年寄りが多くなることだろう。
  虫尽し
 親の庭の手入れをしていた。スギナ、ナズナ、ヒメジョオンなど、あっと言う間に草が伸びてくる。毎回来るたびに、草取りをしても追いつかない。前回、草取りをして壁際に無造作に置いていた枯れ草を片付けようとして除けてみると、湿った土の上でうじゃうじゃとワラジムシが動き始めた。そこに一匹、紫色のイモムシを見つけた。変な色の蛾の幼虫、ここで蛹になるのかと思って持ち帰った。
 ティッシュをひいた容器の中に入れて蛹になるのを待ったが、なかなかじっとしていない。ティッシュに潜って蛹になると思っていたら、3日後、蓋によじ登って落ちない程度のすかすかの繭を紡いで、その2日後に蛹になってしまった。こんなところにいるのは、ヨトウガの仲間かなと思ったが、棘のある幼虫なので違う。そして羽化した。北海道では、初めて見たカノコガであった。
  情報の小窓
『今の日本人は、貧しいという意味がわかっていないようです。健康と自由と、多少のお金があって海外にも行けるのに出て行かないから、ますます狭い視野でしか物事の判断ができなくなっている。当人も親も冒険はしたくないし、させたくない。何かと言えば安心・安全を謳う世の中で、生活全体が手厚く保護され、底上げされているにも関わらず不平不満が多すぎるのはメディアが煽るせいなのかもしれませんが、「井の中の蛙、大海を知らず」の島国根性としかいいようがありません。』
 新潮新書「人間の基本」曽野綾子著

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