夢惑う世界 草紙<蜃気楼> |
蜃気楼 その188 | 発行日 2017年6月25日 編集・著作者 森 みつぐ |
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季節風
心地好い香りを漂わせていたハリエンジュ(ニセアカシア)の花も、もうそろそろ終わりに近付いてきて、路上を白い花で埋め尽くし始めている。札幌の街路樹の花は、もう終わりであろう。どの都市でも同じであろうが、その土地固有の樹木が街路樹となっているのは、ほぼ皆無であろう。とても残念である。ただ札幌では今、北海道にも自生する街路樹のハシドイの白い花が満開を迎えている。
各民家の庭々も色とりどりの花で賑わっている。綺麗な花ばかりなのだが、カタカナの花の名前は、いつまで経っても覚えられない。やはり日本には、日本の花が似合うと思うのだが、何処へ行ってしまったのやら。 |
言いたい放題
今日は、夏至である。日は長くなっているのだが、札幌はまだ夏ではない。日中、半袖で過ごせる時もあるが、上に羽織る一枚は必要である。賑やかに春のセミ・エゾハルゼミも啼いているが、やはり夏のイメージではない。今年、種を蒔いた百日草は、既に2か月経つのだが、四つ葉になってから、ほとんど成長していないようで、花の蕾もいつになるのか見当が付かない状態である。最近、やっと20℃以上の日が続くようになり、夏日もたまにあるので、少しは葉っぱも広くなってきたような気がする。もう少し室内に置いていた方が良かったかも知れないと思っている。来年、再挑戦だが、今年の花はいつ咲くのだろうか。
キアゲハの幼虫を育てるのは、大体が夏の時期である。夏型のキアゲハの産卵は良く見かけるのだが、今までは、春型のキアゲハの産卵は、ほぼ目撃したことはなかった。今年は、運良く6月初めに私のすぐ傍にあったアマニュウの若葉に産み付けているキアゲハを見つけた。卵を2個頂いて来て、今日2匹目が前蛹になった。夏型のキアゲハの羽化は、初めてかも知れない。
今年は、6月下旬になっても、まだ札幌では30℃以上の真夏日になっていない。7月前には、一度や二度は真夏日になるのだが、今年は、どうであろうか。やはり夏のセミやキリギリスが鳴き始めないと夏という気分には、なかなか私はならないのだが。 |
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つくしんぼの詩
国道を自転車で走るときは、歩道を走ることにしている。国道の歩道は、幅も広くて自転車走行可能なところが多いと思われる。私の住んでいるところにある国道は、歩道走行可であり、幅の広い公道も可のところが多い。
自転車で歩道を走るときは、当然歩行者優先で車道側を徐行運転するのがルールである。この単純なルールを守って走っている人は、ほとんど見かけたことはない。私の乗る自転車を追い越して、あっと言う間に見えなくなってしまう。事故は、こうして起きるのである。巻き添えは、ごめんである。 |
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虫尽し
母の庭で見つけたボケの枝に付いていたエゾシロチョウの蛹は、まもなく羽化した。今、庭周辺では、エゾシロチョウが翔び回っている。空地となった隣の民家の庭に植えられていたエゾノコリンゴの木には、エゾシロチョウが好んで来ていた。今は、その木も枯れてしまったのだが、エゾシロチョウは、まだ周辺いるようである。
さて今年は、ボケの葉に卵を産み付けてくれるだろうか。私としては、それだけが楽しみなのだが。去年は気付かなかったけど、今年こそは。 |
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情報の小窓
『自我が確立しているとは、「悔しい」という感情にのみ込まれないということである。過去に執着しないことである。悔しいとか許せないとかいう感情をコントロールするのが、自我である。自我の機能は、そのマイナスの感情をうまくバランスをとることである。したがって、自分の人生を適切に生きるためには、自我の確立が必要である。人生を生き抜くためには、自我の確立がなければ無理である。それなしには人間関係で刃傷沙汰(にんじょうざた)にもなる。自分を裏切った人、自分を騙した人のことしか考えられなくて、来る日も来る日もそれを呪いながら生きることしかできなくなるのは、自我の確立がないからである。あるいは、自分の人生の目標がないといってもいいかもしれない。』
PHP研究所「やさしい人」加藤諦三著 |
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