夢惑う世界 草紙<蜃気楼>
夢惑う世界 蜃気楼 その190 発行日    2017年8月27日
編集・著作者    森 みつぐ
  季節風
 ハネナガキリギリスが鳴き始めると、まもなく8月になる。8月になって札幌は、まだ30℃に届いていないが、こんなことは私としては、初めてのような気がする。街路樹の下では、コスモスの花も咲き始めている。民家の庭々では、これでもかとばかりにムクゲの花が咲いている。次から次へと、良く咲く花である。
 セミは、アブラゼミとツクツクボウシは例年通り賑やかに啼いているが、エゾゼミの啼き聲はほとんど聞こえて来ない。子どもの頃住んでいた札幌の東区では、アブラゼミやツクツクボウシはいなくて、エゾゼミだけだった。今年は、どうだったのだろうか。それとも、セミの棲む場所が無くなってしまったかも知れないし、セミの種類も変わってしまったかも知れない。
  言いたい放題
 「琉球大の伊沢雅子教授(動物生態学)らの研究グループは17日、国内で38年ぶりに野生の力ワウソを長崎県・対馬で確認したと発表した。日本にいた「ニホンカワウソ」は絶滅したとされており、今回のカワウソの種類は特定できていない。・・・(省略)・・・小さい頭や、太くて長い尻尾などの特徴からカワウソと断定した。研究グループは、@対馬でカワウソが細々と生き残っていたA大陸に広く分布する「ユーラシアカワウソ」が韓国から渡ってきたB人が持ち込んだ―の三つの可能性があるとみている。(読売新聞より)」
 嬉しいニュースである。日本でも、まだまだ未知の大型哺乳類が見つかる可能性が残されているみたいである。今回のカワウソがニホンカワウソかユーラシアカワウソかは、私には、どうでも良くて、どちらであっても素晴らしい発見である。もしユーラシアカワウソならば、50キロの海も移動できるということになるので、他にも大陸から移動して来る哺乳類がいるかも知れないということである。
 哺乳類でそうならば、昆虫なんて、もっともっと渡ってくるのがいるかも知れないし、まだまだ発見されていない昆虫も、日本にはいっぱいいそうである。ただ自然保護の観点から保護区がどんどん増えてゆき、観光客が増えるが採集などの自然愛好家が立ち入りできなくなり、新種の発見もされずに人知れずその地域から消滅してゆくのも多くなってしまいそうな気がしている。悲しいことだが、それが現実であろう。
  つくしんぼの詩
 雨の中、国道の歩道を合羽を着て、ゆっくり自転車を走らせていた。青信号の細い支道を渡ろうとして、反対側の方を見た。ほんの4日前、そこで直進する車と右折する車の衝突事故があったばかりの所である。信号機の付いていた電柱はへし折れていた。“あれっ!”車が1台、歩道に乗り上げて、国道の横断歩道の方へと向かっているのである。
 支道側は赤信号なので、青信号になるまで待てないのか歩道を通って横断歩道の所から国道へと入って行ったのである。ちょうど強い雨が降っていたからなのか、歩行者や自転車はいなかった。このように不適性や人でも運転免許を取得できるシステムが交通事故を増やしている。ばかでもちょんでも運転免許を取得できる限り、痛ましい事故はなくなりはしない。
  虫尽し
 先日、ベランダで洗濯物を干しているとひらひらと一匹のアゲハチョウが翔んで来た。ナミアゲハの雌のようである。今年初めて見るナミアゲハである。札幌では、サンショウやキハダを食草にしているみたいだが、キハダを食草にしているミヤマカラスアゲハみたいに多くない。ベランダには、百日草が咲いていたが目もくれないで翔んで行ってしまった。
 その百日草の根元に、この春芽生えたミカンがまだ小さく伸びていたが、全く気付かなかったようである。この後、百日草が枯れたら、その鉢はミカンの木が独占することになっている。来年、またナミアゲハが来ることを願うばかりである。
  情報の小窓
『「自尊心の高い人は自己中心的だ」というのも誤解だ。「自己中心的である」ということと、「自尊心が高い」ということは正反対なのだ。自己中心的な人は称賛を求めるが、自尊心の高い人は称賛を求めない。自分の価値を信じているから、他人からの称賛など必要としていないのである。』
 ディスカヴァー携書「心の持ち方 完全版」ジェリー・ミンチントン著

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